もしかしたら大丈夫
昨日、夫と久しぶりに出かけました。
出向いた先は、私たちの結婚の際に仲人をしてくださった、夫の高校の恩師の方のご自宅です。
ちなみに訪問は突撃です。ヨネスケの隣の晩御飯スタイルです。
ルックルックこんにちわですね。懐かしいですね!
途中、手持ちのお菓子を見繕いました。
街のお菓子屋さんで、桜のどら焼きとマドレーヌを選びました。
かわいらしいお姉さんが丁寧に箱詰めしてくれました。
私も夫も少しうきうきしていました。
先生の顔が見たいね。顔を見るべきだよね。夫が言ったとき大賛成と思いました。
いいね!!そうしよう!!二人で行ったらきっと喜んでもらえるねそう言いました。
私たちが唐突に先生を訪ねようと思い立ったのには訳がありました。
先生が何の前触れもなく、私たちに贈り物を届けてくれたからです。
それは、レターパックで届きました。日本郵便版ヨネスケです。
仕掛けてきたのは実は先生でした。
中身は、先生の3冊目の俳句集でした。私たちが1冊目と2冊目を頂いたのは7年前でした。
先生は毎日、2首ずつ句を詠まれていました。その句には、先生の毎日が溢れていました。取りこぼしてしまいそうな日々のきらめきや葛藤、時として苦悩など、垣間見える日々に、生命を感じました。
7年前もいたく感動して、夫は同じように仲人をお願いした同級生の仲良しを誘い先生と飲みに行きました。
街の中で昔からある、少しすすけたような先生の行きつけの居酒屋で、男3人楽しい宴を開催しました。
送迎中、いいなあと思ったのを思い出します。
私は、お手紙を書きました。お礼を沢山込めました。
しかし、今回は、コロナウイルスも落ち着かない毎日で、飲みに行きましょうとは言えません。
私たちは、いまだ気軽に飲食店に行くことを禁じられた仕事をしています。
というわけで、玄関先でお暇することを二人の約束事にして、突撃することにしました。
顔を見て、お礼が言いたい一心です。先生を驚かせたい、奥さまを驚かせたい一心です。
ご自宅に向かう道すがら、一瞬お家に入る路地を見失いました。
結婚して5年ほどは、お中元だ、お歳暮だとご挨拶に伺いましたが、堅苦しいことは抜きにしよう、たまに飲みに付き合ってくれという、先生の温かいお心遣いで、随分失礼をしていました。
23歳と20歳の結婚でした。働いてもいない、学生上がりでした。
結婚が決まり仲人をお願いするときに、一番に夫や夫の両親が思い浮かんだのが先生でした。
先生は、夫の高校時代の担任で、多くの生徒さんの心の支えとなるような温かい人柄と、気のいいお酒好きでした。
初対面の時から、私に対してもとても優しく温かく接してくださりました。
どうなるかわからない、不安しかない私たちに大丈夫大丈夫と声をかけてくれました。
ご自宅のピンポンをおして、引き戸をあけて「ごめんください」と大きな声を出す夫の声に現れた奥さまは、上品さは変わらずに一瞬きょとんとしました。
私たちはもう40代になってしまいました。
気付いてあらまああ!!!と笑顔になった後、先生を大きな声で呼びました。
出てきた先生は、ちょっと寝癖を直しながらおお!!どうした!!あがれあがれと言いました。
いやいやここでと言いながら、本を頂いたお礼を伝え、近況を報告し、お互いに笑いながら、通り過ぎた年月を埋めました。
最後に、長男が教職の夢を追いかけている話をしました。
先生は、すごくまっすぐに迷いのない目で言いました。
「大丈夫、なれるよ。諦めなければ必ずなれるから。心配ないよ」と言いました。
私は俄然大丈夫な気になりました。根が単純です。
帰り道、夫が言いました。
「先生はすぐいうんだ。大丈夫って。お前なら大丈夫だってすぐいう」と。
「でも、信じられる大丈夫だった。根拠はないけど大丈夫な気がした。」
「俺の受験はそう言ってダメだった」と言いました。
「それはさ、諦めたからじゃないの。方向転換したからさ。でも、あいつは諦めないからさ、先生の言うとおりになるかもよ。」
「そうだな、諦めなければ、大丈夫かもな」
私たちはほんのり希望を感じていました。
私たちは今年銀婚式を迎えます。
先生の大丈夫は、案外本当じゃないかそう思います。そう思うほうが幸せだと感じます。
これは、私たちのスタートを応援してくれた人が、実はずっと心のどこかに私たちをおいてくれて、今また新たなエールをくれたことに感謝をささげるnoteです。いつだって誰かに幸せをもらいながら生きています。
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。