PNMJ かしわで

汁の店を手伝うようになり、2年目の夏が来た。

俺のジュースは駆け出しのままだが、

じいちゃんの留守に来たお客さんが

りょうたのでいいよ！と同情とか諦めでなく

爽やかに、本当の音色でそう言ってくれることが

増えて、俺自身も励まされ自信もついていた。

ただただ一つ。

あのオーダーには応えられない。

自信はそのオーダーの前に完膚なきまでに

打ち砕かれる。

知る人ぞ知る、汁の裏メニュー。

柏手だ。

常連さんにしか出ないメニューで

頻回な注文は受け付けない。

人生のここぞの時、注文する人は

必ず1人でやってくる。

大事な試験。

プロポーズの前。

出産に立ち会う時。

会社を興す日。

甚平さん、柏手つきで。囁くオーダーが入る。

じいちゃんは、まじないだと言う。

じいちゃんができたジュースの上で柏手をうつ。

それを飲んで、自分の人生の岐路に挑む。

柏手を飲んだから、全て良い話になる。

わけはない。

しかし、多くの人がありがとうを言いに来る。

じいちゃんの柏手を飲んで、挑むその時に

導かれるような力が湧くのだそうだ。

結果がともなわなくとも、道がみえるんだよな。

と試験に不合格だった大輔さんは言った。

柏手は、やっぱりすげえよ。

俺が足りなかったと思えるんだ。

それって、誰のせいにもしないって最高だろ。

柏手は、俺の代になったらなくなるメニューだ。

俺には無理だ。そう思っていた。

しかし、ある日。

俺が柏手に挑む理由があちらから歩いてきたんだ。

つむぎさんだ。

つむぎさんは、大学生の頃から汁に通っていたそうで、会社勤めを始めるときに、汁の店に寄れるところを第一条件に就活をした変わり者だ。

毎日、挨拶をするが、つむぎさんがジュースを飲むのは月曜日だ。

お金と気合いの節約だそうだ。

どちらも出しすぎはよくない。

あと、依存しすぎも良くないのよ。

汁はさ、麻薬と遠い親戚だから。

そんな物騒な例えをさらっと言う人だ。

つむぎさんは、近いをゆっくり飲む。

身体の隅々に行き渡らせて染み込ませる。

あー、身体が喜んでいるなあと、顔を溶かす。

ほにゃらあと微笑むつむぎさんを見ると

じいちゃんも俺もほにゃらあが伝染して

身体がほかほかして嬉しくなる。

にやける男2人の前に空のグラスを置くと

手を合わせて頭を下げる。

本日もごちそうさまでした！

行ってきます！！

つむぎさんは正直で清々しい人だ。

つむぎさんは、俺とじいちゃんの

月曜日だった。

そのつむぎさんが、金曜日に現れた。

しかも夕方でお帰りなさいの時間だった。

なんだかチグハグで、胸がざわついた。

甚平さん、近いに柏手でお願いしても
いいかな。

負けられない戦いをすることになったんだ。

つむぎさんは、そう言った。

じいちゃんは、何がどうしたとは一言も

聞かなかった。

ただ、つむぎさんをじっと見つめて、

しばらく黙って、あいよ。と言った。

近いはいつも通り作っていたと思う。

じいちゃんは、ジュースをグラスに注ぐと

静かに息を整えた。

グラスの上でたった一回。

両手を合わせて音を奏でた。

じいちゃんが鳴らした音で、

ジュースの表面が揺らいだように見えた。

確かに何かが、注入された気もした。

つむぎさんは、いつものように丁寧に飲んだが

飲み終わると、きりりとした。

私にとっては、大きな手術をするの。

病気はいつだって、私と一緒にいたけれど

お別れして、私も新しい私になるんだ。

甚平さんの柏手、今なら飲む資格あるよね。

私、りょうたの柏手飲むまで、死ねないからさ

また必ず来るから。

つむぎさんは、涙はこぼさなかった。

潤んだ瞳は、強くて綺麗だった。

じいちゃんは、

待ってるから。ここはつむぎの店でもある。
がんばれ。
俺はな、頑張ってるやつにしかがんばれなんて
言わねえからな。　つむぎ。勝ってこい。

と言った。

つむぎさん、俺も柏手、習得するから。
頑張るから、だからだから。
絶対絶対きてね。ねっ。

きりりがほにゃらあになった。

うん。わかった。りょうた、頑張ろうね！

本日もごちそうさまでした！

行ってきます！！

その声は月曜日のそれだった。

はじまりのファンファーレだった。

気をつけて。行ってらっしゃい！

薄暗い金曜日に似合わない声が響いた。

だってほら、はじまりはいつだって

突然で特別で周りは関係ないからね。

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