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好意の檻は幻です

誰かを好きになること。想いが通いあうこと。
それは凄く素敵なことです。
ただそれが、自分を窮屈にすることもある。
今日は、そのおはなし。


保育園の卒園式。
私は、式が終わり新しいお家に引っ越ししました。
みんなとさようならをして、卒園アルバムを開きました。写真と一人一人のプロフィールが書いてあるコーナーがありました。
お家に着くまで、待ちきれず車の中で開いた
アルバムに、自分の名前を探しました。

好きな食べ物や楽しかったこと。
その質問の中に大好きなお友達がありました。

じんわり目玉に浮かぶ温かいそれは、ぽたりぽたりと落ちました。

私の名前はどこにもありませんでした。

みきちゃん、ゆうこちゃん、おだんご(や)ちゃん。

私が海野おだんごちゃんだとして

山野おだんごちゃんや、里野おだんごちゃんが

いました。先生はあえて(や)とか(さ)と書いて

いるので、おだんごちゃんで誤解することも

できませんでした。

母は、きっとお引越しするからだよ。と謎の励ましをしました。

6歳の私はそうか!お引越しするからか!とはならず、誰にも選ばれなかったことにやっぱり悲しくなりました。

あんなに楽しく仲良く遊んだいろいろが、みんな
色褪せてしまいました。

私が大好きなお友達で名前を書いたお友達。

お手紙を書くね!遊びにきてね!

たった今、バイバイをしたみんなが一気に遠くにいきました。

お手紙は書きませんでした。

遊びに行ったり来たりもしませんでした。


このことを、私は45歳になっても覚えています。


                             ***

長男は小さい時

僕が友達と思っていても、相手は思ってないかもしれないから、仲良しの友達を聞かれても困る。

と言いました。

三男も同じことを、中学生の時に言いました。

それを聞くと、胸が締め付けられました。

知っているからです。その気持ちを。

いいんだよ。自分の好きや大切を大事にしていいんだよ。

乱暴に若干高圧的に、言い捨てるように言いました。

それは、子供達の中に私をみたからだと思います。


自分の思いより、相手の評価を重んじることは

私を幸せにしないことを知っていました。

なぜなら、答えはないからです。

どんなに推しはかり、思いを深めたところで、

誰かの心は、その人のもの。

わからないから、口に出さない。

それも一つのやり方です。

でも、自分の気持ちをきちんと伝えることは

やっぱり大切。

そして、それは自分を慈しむことになります。


誰にも選ばれなかった私にも

歳を重ねるうちに沢山の出会いがあり

気持ちのやりとりがあり、心の通い合う

大好きな人が沢山います。

もう、相手がどう思っているかより、

私が大事だと思える人に出会えたことの

幸せを感じられるようになりました。

子供達も、その子その子で差異はあるものの

やはり成長過程で、自分の気持ちを大切に

できるようになりました。

誰かに好かれたいから我慢したり

誰かに嫌われたくないから言わないことは

あるでしょう。

それでも、そこばかりに気持ちを費やすと

分解できない因数をひたすら解いているような

無限の迷路に陥ります。

自分の気持ちには答えがあります。

最後の最後には、その自分こそを信じてほしい。


保育園の卒園式の私に、


涙の止まらない私に、


今なら、大好きと思えるお友達に会えてよかったねと言ってあげられます。


好意が時に傷つけること。

好意が時にすれ違うこと。

好意が檻を作ること。

ただし、好意の檻は幻です。

あなたが作った檻は、あなたが鍵をあけて

自由にすることができます。

求めることよりどうありたいか。

不思議なことにそうしたら。

好意がハローとやってきたりするものです。

#日常
#エッセイ


お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。