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パスタは美味いがグルテンは合わない/エッセイ

先日、お昼にパスタをご馳走になった。トマトのソースのパスタ。つやつやとよく麺にからんだ赤いソース。そそられる食欲。くるくるとまわるフォーク。あ、なんかこの手の動き久しぶり。よく効いたニンニク。気まぐれに登場する、ぷりぷりの小えび。するするとあっという間にお腹の中へ。ご馳走様でした。

はて、前にパスタを食べたのはいったいいつだったか?

翌朝、ふと口元に触れた指先に小さな突起がさわる。並んで2つ。鏡で確かめる。右の口はじに、先端がしろく膿んだ小さな吹きでものが出現している。あぁやっぱり。

美味しいけど、私のからだとグルテンはどうも折り合いがよくない。それに気づいたのは3年前くらい前のこと。

当初、グルテンフリーなんて信じられない!小麦が食べれないなんて、食べるものなくなっちゃうじゃないか!と歯牙にもかけなかった私。それが、今やその信じられない食生活に至っているから不思議。人生わからないもんだ。

わたしがグルテンフリーへ至った経緯はこんな感じだ。

グルテンフリーという言葉はもっとずっと前から知っていた。だけど、当初は小麦を食べない食生活なんて信じられなかった。即座に自分には縁のないものだと判じた。

だって、パンが大好きで、パスタもうどんもケーキもドーナッツもクッキーも好き。それらが食べれらないなんて、ちっとも楽しくない。そうに決まっている。楽しくないどころか、当時の私の食生活からそれらのものを抜いたら、何が残るか。想像してみる。なんとも味気ない。まず、主食が米だけになってしまう。パンはもちろん、麺類が全部アウトになる。うどんもラーメンもパスタも小麦だ。「何食べようかな〜」と考える楽しみの”何”の部分は、主にパンか、麺か、米かの主食選びなのに、それが米一択になるなんて、楽しさ半減どころじゃ済まない。

それに、グルテンフリーは身体ににいいというけれど、本当だろうか?。日々の疲れはそりゃあるが、引き換えに食の楽しみを手放してもいいと思うほどの差し迫った不調はなかった。

健康や美容の追い求めたらキリがない。やった方が身体にいいこと、食べたら健康に役立つものは世の中に溢れている。次から次に新しい説やアイテムが出てくるし、お金だったかかる。全てを取り入れるなんて不可能だ。自分に無理のない範囲で取り入れていくしかない。グルテンフリーというのも、膨大な選択肢のうちの一つで、わたしをすり抜けていくもののひとつだろう。そんなふうに思っていた。

そんな折、グルテンフリーで体調が劇的に改善したという人と出会った。その人も以前は、パンが大好きな人で、友達といろんなパン屋さんのパンを持ち寄って食べ比べをするパンパーティーとかしてたくらい。パンパーティー、とても楽しそう。

その人は、30代のはじめごろ体調を崩して、一時期起き上がるのも辛い時期があり、体のこと、健康のことを総点検したらしい。そして会社の福利厚生で受けられら保険適用外の検査も受けてみたら、グルテンを分解する酵素が少ないことが分かった。詳しく腸を調べたら内側はズタボロ。体の不調で表面化してることはいろいろあったけど、まさか腸の内側に炎症が起こってるなんて思いもしなくて驚いたそう。
そしてその後、グルテンフリーの食生活にしてみたら、体調不良がなくなっていった、、、、と。

身近でやっている人と初めて出会った。

わたしは一番気になることを率直にその人に聞いてみた。
「パンとかうどんとか食べたくなりませんか?」

その人の答えはこうだった。
「ならないね〜。もうあのダルさには戻りたくないから」

そうなの、、、か。辛くないのか。それほどなのか。
そこで初めてグルテンフリーに興味が湧いた。やってみようかなって。

そんなに変わる可能性があるなら、試してみる価値があると思った。グルテンフリーが引き算なのもわたしの背中を押した。
あれを食べたらいい、これを飲んだらいい、そいうものの大方が足し算。今の食生活にプラスするもの。でも、グルテンフリーは引き算で、新たに何かを購入しなくていい。それなら気軽だと思った。
ネットで調べてみると、まずは2〜3週間試して体調の変化を観察してみたらいいとある。面白そう!と実験みたいな感じではじめてみた。

小麦を避けるなんてハードル高いなって思っていたけれど、いざやってみると食べるものはたくさんあった。米、肉、野菜、魚はもちろん食べられるし、麺類はフォーとかビーフンとか春雨とか小麦以外から作られてるものは結構あった。パンも米粉パンがあった。

あれ?意外と食べるものあるぞって思った。思いの外楽しみながら2週間が過ぎた。

そして、2週間経って気づいた。あれ?なんかダルさがない、と。肌も調子がいい。吹き出物が減った。しかも少し痩せた。小麦を避けただけで、量を減らしてはいないのに。

なんかいいことづくめじゃん!って。

というか、あのいつもあるダルさがなくなって初めてあれがダルさだったんだと気づいた。いつもそうだからデフォルトになっていてダルいとすらも気づいでなかった。生きるってこんなもんでしょって。

そして、思い返してみる。以前今も痕が残っているくらいのひどい吹き出物ができた時、わたしはパンにハマっていた。当時の職場の近くに美味しいパン屋さんが多かったので頻繁にパンを食べていたし、パン屋でアルバイトしていて毎日パン食べてた時は毎日ダルくてしょうがなかった。

もしかして、、、グルテンのせいだったのか?

それは今になっては分からない。当時のことを振り返ると、確かにパンを食べることが多かったけども、そもそも栄養とか一切気にして無かったし、睡眠時間も短けりゃ生活リズムもぐちゃぐちゃで、、、体調不良の要素は多分にあって、一概には言えない。

だけど、事実としてその2週間でわたしの体調はかなり良くなった。なので、それから徐々にグルテンフリーを心がけるようになっていった。どうしても食べたくなったらパンを食べたり、ドーナッツ食べたりしながら。少しずつ減らしていった。

グルテンで体がだるくなる理由は、グルテンを消化する酵素の不足で、十分に分解されないまま腸へと運ばれたグルテンが内壁を傷つけてしまい、炎症が起こるかららしい。体に炎症があると、それを治そうとエネルギーを使う。なので、だからだるくなる。
免疫細胞が過剰に反応するアレルギーとは違い、酵素の不足による消化不良から引き起こされるのをグルテン不耐性というそう。
そう、わたしグルテン不耐性だったのだ。

普段は米粉パンを食べているけど、時々食べたくなって小麦パンを食べることもある。やっぱり小麦美味しいな!って思う。米粉パンは美味しいし、食感は小麦ぱんと遜色ないけど、小麦は小麦の美味しさがある。小麦独自の香ばしさみたいな。だけど、もっと食べたいとは思わなくなってきている。
パン一つくらいは、特に何も感じないけれど、量が増えたり連日食べることが続くと体がしんどくなってくるから。その経験をすると、これ食べてダルくなるくらいならやめとこうと思うようになってきている。

我慢しているというより避けているという感覚なので、ツラくはない。食べられるけど、自分で自分のために食べない選択をしているので、抑制されていると感覚はない。

今はほとんどグルテンフリーだ。ほとんどというのは、冒頭のパスタのように不可抗力で食べることもあるし、頂き物はありがたく頂戴したりもするから。
あと、グルテンフリーにも程度があって、わたしは、パンやうどんのような小麦メインのものはなるべく避けているけど、お醤油などの調味料に入っている微量の小麦などは気にしていないくらいのゆるさ。
わたしのグルテンフリーのきっかけとなった人は、その辺まで徹底的にしている方だったので、そういう意味でもわたしはだいたいグルテングリーな感じ。

徹底したらまた体に変化が現れるかもしれないけれど、そこまでやるのはわたしの今の生活では現実的じゃないので、今のところする気はない。自分に無理なくできる範囲でいいと思っている。

わたしは、グルテンフリーでいい変化があった。でも、だからといって闇雲に誰にでもおすすめはしない。要は、グルテンの消化酵素の量の問題で、特に問題なければ、小麦を美味しく食べたらいいと思うから。わたしも小麦の味は好きだし。

だけど、もし、どこかしらに不調を感じるなら、試しに2週間やってみる価値はあると思う。グルテン不耐性の可能性があるから。
日本はお米が簡単に手に入るし、米粉パンや春雨の流通も多いから、比較的気軽にグルテンフリーを試せる環境にある。
小麦避けるだけで、体調良くなったら儲けもん。通院も薬もいらないわけで。
面白がってやってみれば、わたしのように発見がある人もいると思う。なので興味ありそうな人には、軽く紹介するようにしている。押し付けにはなりたくなから、あくまでサラッと。

わたしはいつも、自分のことって自分ではよく分からないなって思うのだけど、このグルテンの件もまさにそうだった。

自分のことは自分でもよく分からない。
だから、実験したり本を本だりして、見聞を広げている。

そうそう、グルテンフリーで体調がよくなってよかったけれど、一つ残念なことがある。
それは、冒頭のようにご馳走になった時に素直に喜べないこと。味は美味しいのだけど、後からのことを考えるとちょっと影がさす。美味しいしありがちのだけどね。

パスタはうまいグルテンは合わない。

長くなりましたが、この辺でわたしのグルテンフリーへの変遷を締めくくりたいと思います。

栫彩子(カコイアヤコ)
関西が拠点のフリーのフローリスト。
趣味は読書と3DCG。




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