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いたかもしれない競馬仲間のはなし


「せやけどお前!なんでこんな勝たれへんねん!腹立つわほんま!」


車内に響いたのは、少し呂律のまわっていない、耳をつんざく声。周囲に緊張感が走るのが手に取るように分かる。

ちら、と目で追ったところ、声の主は、ドア付近に立っている60歳代くらいの男性。10mくらい離れていているのにはっきり聞こえたということは、なかなかの声量だ。

個人的に、街で不自然な大声を出す人がいた場合、警戒レベルが少し上がるようになっている。何かあってからでは遅い。気を張っていたところで、どうにもならないことも起こりうるけれども。

とりあえず、視界の端に入れておくことにする。喚いているようにも、叫んでいるようにも聞こえる声は、不定期に、しかし確実に継続している。


「だからぁ!どんだけ、かけてきてると思ってんねん!くそったれ!!」


まぁ、おおかた競馬の話ができる、くだけた仲の友人とでも通話しているんだろう。ここぞ、というレースで大金をすったのかもしれない。他にもアンラッキーな出来事が続いていて、鬱憤が溜まっているのかもしれない。誰しも人生には、そういう時期が何度かある。

そんな状況が数分ほど続き、ふと視界のなかで彼が動きを見せた。こちらへずんずんと向かってくる。次の停車駅はまだ先なのに、歩いてくる。警戒を強める。黒いマーカーペンが、絶妙なバランスで耳に乗っかっているのが見える。まだ、いたんだな。耳にはさむ人。立っている私の横をそのまま通り過ぎ、几帳面に1人分ずつ間隔を空けて座っていた乗客たちの間に、でん、と座り込む。相も変わらず、彼は大きな声で、恨み言を口にしている。

ふと違和感を覚える。不自然じゃない程度に、彼の方にちらりと目をやる。


イヤフォンもつけてなければ、スマホを手に持ってもいない。

電話、してないやん。でかすぎる独り言なんかい。

最近、コードレスイヤホンを使って、手ぶらで通話している人も多い。私はいまだにこの状況に馴染めない。今でもそういった人とすれ違うときは、緊張してしまう。大きい独り言なのか、通話なのか、判別がつかないからだ。


全く存在しなかった、無二の競馬仲間を思った。違う街の、違う電車のこの時間に、ほぼ同じ彼がいるかもしれない。目を合わせた瞬間、打ち解けられる予感に、おたがい心が躍る。夢のような出会いだ。彼らはすぐさま、次の日曜日に、一緒に競馬を見に行く約束をするだろう。年甲斐もなく、その日を待ち望む自分がいる。遠足の日を指折り数えて待つような、そんな気持ち。

妄想はここまで。彼は、次の停車駅で降り、そのまま見えなくなった。

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