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イカリ、を飼いならす方法

いかり。あれです。喜怒哀楽のど。

瞬間湯沸かし器とか聞きますが、すぐにめらっとしちゃう性質が、自分にある、と自覚したのは仕事を始めてからのこと。

学生の頃はもう少しねじれ、腑に落ちないことにはそっと無視をしたまま忘れたり、冷笑的に応対したり、論理の矛盾をついてみたりしていた。我慢することもそれほどないし、感情の波は大きくない方だと思い込んでいた。後から振り返るなら、直接対峙していなかった。

その考え方でいくと、怒ることができるようになった、というのは当事者になったということと同義という点で、ある種の進歩と言えるかもしれない。



怒る、というと、真っ赤な顔をして頭から湯気を出している人の絵で表現されることが多い。


自分の場合は、怒りのレベルが上がるほど冷えていく性質だった。

それがなんで体温に影響するのか不明なものの、年に一度くらいあるかないかの”絶対に”かつ”許せない”域に達するときは、指先がキンキンに冷たくなる。いちど止めにきた部下が手を触れて冷たさのあまり驚き手を離すくらいの冷え度だった。


なので、吉本ばななの『TSUGUMI』を読んだときに、わりによくある事象なのか、と納得したりした。


でもさ、その時、体の温度分布は一体どうなっているのだろう。

ホメオスタシスを無視した緊急事態配備ってことだ。命より大切なものがある、という判断なんだろうか。熱が上がるのはまだしも下がる、というのは生理には反しているような気がする。もしくはそのカロリーを全部集中させているのが脳だったとしたら、あながちあの絵も間違っていないのかもしれない。頭からの湯気ってやつ。

まぁだからそう考えると当然、な自然の摂理だったのかもしれないが、仕事で「許せない」ことに怒ると、ぶっ倒れるようになった。

物理的に。万有引力的に。ブラックアウトし地面にダイブ。その後、平衡感覚がしばらくあやうくなるので、日常生活にも支障をきたすことになる。というわけで、あんま怒らない生活の必要性に迫られる。怒らない生活をそこからはじめてみました。というわけです。


職業柄感情のコントロールは得意だと思っていて、はじめは怒らないことに集中してみた。けど、そうすると、よくないことが2つ。

1.おこった場合自責につながる(消極的になる中、物事の進みも遅くなるので、自分へ怒りが向くというエンドレスダウナーな悪スパイラル。)
2.怒りを抑制しようと考えると他の感情も同時に押さえ込まれる。(ロボット化)

…全然生産的では無い。立て直しが必要。ということで第二手へ。

行きづまった時は、過去の知見に頼るが勝ち。自分だけで考えるのは時間の猶予が永遠な時だけ、ということでかじっていたアンガーマネジメントを再度取り出す。

アンガーマネジメントー怒りを予防・制御する考え方と手法。

怒りを問題として配置し、それを解決するためのスキルの一種。その中には、怒りを分類するという項目がある。ざっくり雑にいうと2種になる。

・フラストレーション系…大切なものを遮断・妨害されたことへの対応
・防衛機制系…根底にある恐れや脆弱性に対しての対応

怒るのは人間として反応として当然のこと。それを分析し、どう外部に行動として出すか出さないか、を考える時間を持つことで怒る以外の選択もしやすくなる、考え方(雑)。生きていく上で身につけておいて全く損がない手法だ、と思う。


それに加えて、3つのチェック項目を並行して使っている。

1 それ自分に対してもそのまま言える言い方か?
( 脳は人に言ったことと、自分に対して言われたことを区別できない)
2 それは手段か目的か?
(怒ることが目的化してない?達成したいことは怒ることで得られる?)
3 コテンパンかジャンプ方式か
(その戦い方で、終わった後に相手は敵のまま?それとも仲間になる?)

そのことを頭に置く様にすると、怒る回数…というか怒りを外部に表現する回数はめっきり減った。


念のために言うと、個人的には怒りはめっちゃ最強ブースターなエネルギー増幅装置だと思っている。だから、その他の犠牲を払ってでも、時を見て使える人は強いと思う。でも、怒りに使われるのはダメ。あれは強靭な魔物みたいなもので、供物や対価を要求しまくる。ミイラとりがミイラになっちゃわない様に、あくまで感情の主人として容量用法を守り、健やかに暮らすのが一般的には安全です。というのが私のスタンスです。

三つのチェックの詳しい説明は思い出したらそのうちどこかでするかも。(池谷祐二さんの一連の脳の話に救われ続けています。)

それでは。今日のところは以上です。

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