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9/28 言っても大丈夫、ができてから

2022年9月28日(水)

今朝は、学校に行く時間になって「行きたくない」。
あれやろうあれ、とカードの方を指さして自分のベッドに座り込む息子。
わかった、持っておいで、と息子に言う。
さぁ今日はなんだね、という気持ちで私もベッドに座る。

息子も3日目になると慣れたもので、感情のカードを一緒に並べて、弾くように8枚ほど選んだ。
「これは、学校に行きたくない今の気持ち? それとも学校で質問されて緊張する時の気持ち?」
と聞くと、どっちも、と言う。

本当はどっちも、ではなくて、特定の時の方がクリアになるものだけれど、そこまで分けて考える感じでも今の彼はないのだろうと、そのままにする。

「今の気持ちだとすると、選んでいる様子はちょっと楽しそうにも見えるよ」
「自分でこれ、と選ばないけど、人から見るとこう見える、って気持ちもあるんだよね。楽しそう、っていうのは聞いてみてどんな感じがする?」
と聞くと、カードを見ながら笑う。
このカードを通して話しているプロセス自体が楽しいのかも。

選んだものは見慣れたものもあれば、今回初めてのものもある。
「どんな時にこの気持ちになる? この8つの気持ちに順番はあるのかな」
と聞くと、頷いて、真剣に考えながらきれいに並べていく。

起きる順に並んだカード

順番にそうなるのはプログラミングみたいだね、と並んだカードを指さしながら、「これは、どういう時の気持ち?」「これは?」と聞いていく。
先日来聞いている、授業で質問されて、手を挙げて、答えて、間違えて、というプロセスとその時の気持ちを聞いていくと、最後の方に「傷ついた」というカードが。

「これは?」
と聞くと、クラスメイトの一人が叩くんだ、それが嫌だ、と言う。

「そうか。〇〇くんはどんな時に叩くのかな」
「あなただけ? それとも他の子も?」

その子が叩くのは息子に限らずみんな、その子は息子と席が近いわけではなくうろうろと歩いていて、間違うと叩かれる、らしい。

「自分が叩かれると傷つくの? それとも、他の子が叩かれるのを見る時?」
「保育園の時にはそういう子はいなかった?」

傷つくのはどっちもで、保育園の時にはそういう子はいなかった、と言う。

「そういう子が初めてなんだね。びっくりしたのか」
「来週、かーちゃん学校に行こうと思っているから、何が起きているのか、そこでわかるかも。その子のことはその後に一緒に考えよう」

それまでは、先日から聞いている理解したい、について考えよう、と話を続ける。

間違った時に、友達に聞いたらわかる、と言うので、間違ったら友達に教えて、って聞いてみよう。
聞けなくてわからなかったら、問題と間違った答えを自由帳に書いて持って帰っておいで。
帰ってから一緒にやろう。
そして学校は、知らない・できないことを知る・できるようになるための場所だよ。
だから、できないところ、間違うところがわかると、やったー、ってことなんだよ。

そこまで話すと、息子はお腹が空いた、と言って台所に行った。
軽く用意したものを息子が食べた後に、学校に行こう、と促すと、えー。わかったよ、と素直に準備をして、一緒に家を出る。

同じ話かと思うと、聞いている側としては知っている、もう何度も聞いている、という気持ちにもなるものだけれど。
話す側にとって今まで聞かれていなかった、と感じる気持ち=自分が緊張していること、混乱していること、嫌なんだ、という気持ちは、何度でも聞いてほしいもの。
そしてよく聞いていると同じでなく、少しずつ様子が変わっていたり、詳細になっていたりする。

そして、初めて出てきたクラスメイトの話も。
大人でも、本当に嫌なことは最初から教えてもらえるものではなくて、聞いてもらえる、と信じられるようになってから出しても大丈夫、と思えるものだと思う。
彼にとってクラスメイトの話がそういう類なのかはまだわからないけど。

さて、今日は息子が一週間楽しみに待っていたプログラミング教室。
私も楽しみ。


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