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10/3 そうなら、もう、そうかなぁ

月曜の今朝も、息子の「行きたくない」から始まる。

「今日は、かーちゃん学校に行ってどんなことが起きてるのか、
あなたはそれの何が嫌なのか、逆に楽しいのか、それを一緒に見てあなたと相談したいから授業を見学させてほしい、って先生にお願いしてるんだよ」
「だから、今日は行かなくてもいいよ、じゃなくて、かーちゃんのお願いで、一緒に行きたい」
という話から始めたものの、「行きたくない」しか言わない。

「わかった、カードを持っておいで。新しいのね」

視覚優位(ではないかと思う)の息子には絵があるとよさそうだなぁ、と購入して昨日届いた、絵つきのカードを広げて話を聞く。

友人が製作した、子どもニーズカード

感情の方は、やはり絵がある方がイメージしやすい&選びやすいようで、
これとこれと、、、と、すぐに選んだ。

大事にしていることの方は、絵を見ながら難しい顔をして、
これは何? これはどういう意味なの? といろいろ聞いてくる。
もしかしたら、彼にとって大事にしていることの方は、自分の感覚にアクセスする上で絵があると情報過多なのかもしれない。

前のカードにする? と聞いたら、頷いて前のカードを持ってきた。
文字だけのカードで、改めて「理解」と「効率」を選ぶ。

そして一週間やってきて、カードで話をすること自体にも少し飽きてきている様子。
行きたくなーい、とごろごろして漫画を読んでいる。

「今日は先生にお願いもしているし、かーちゃんは一緒に行きたいよ。一時間でも」
とも何度か話してみるけれど、全然耳を貸さない。

かーちゃんはあなたと話がしたいのに、全然聞いてないね? と少し声を荒げて言ってしまうと、彼も怒って子ども部屋に籠ってしまった。
まぁ、そうなるよね。。

10分ほどして子ども部屋を覗くと、息子も出てくる。
「かーちゃんはあなたが大事だと思っているよ」と抱きしめると、僕もかーちゃんがいいよ、と抱きついてくる。
何度聞いても、やる気がないんだよねぇ、と言う息子。
そうだろう、見ればわかる 笑

じゃあ、今日はどうしようかねー、とうだうだと息子のベッドでごろごろしながら話して、結局行かないことになった。
(学校への欠席連絡は入れる……)

学校に、ものすごく嫌なことがあるわけではなさそう。
叩くクラスメイトの話も、じゃあたとえばその子がいなければ学校に行くの? と聞くと、わからないと言う。
ただ彼にとっておもしろい場所ではない、だけなんだろうなぁ。

小5の娘が帰ってきて、学校から一人一台配布されているタブレットにスクラッチ(プログラミングアプリ)は入っているよ、使ったことないけど、と教えてもらう。

息子のタブレットを確認するとインストールされていて、それを伝えると、目を輝かせて、マウスもなくプログラムを書き始めた。

以前にスクラッチを触ったことは一度だけ、テキストも何もない状態で、触りながらこれをこうしたい、だけで作っている様子。
キーボードの文字入力表、50音表を印刷すると、それを見ながらタイプもしている。打ち方がわからない時だけ私を呼んで、ちゃかちゃかなにやら組んでいく。

それを見ながら、もうこういう学び方で息子はいいんじゃないだろうか、と思えてきた。
作りたいものを作りたい、と思えば、そのためには学ぶ必要がある、ということにも早晩気づくだろう。

スクラッチ! スクラッチ!

子ども向けのスクラッチを使ったプログラミング入門の本を発注しながら、
学校は行きたければ行く、行きたくなければ行かない、途中から行きたければ行く、という場所でしばらくはいいのかもしれないなぁ、と思う。

「理解」「効率」を毎回選んでくる息子。
作りたいものがある、を膨らませることが、結果自分にとって効率的に学ぶこと、理解することへの近道でもあるかもしれない。

彼自身が必要とする教育プログラムを、自分で組んでいけるようにサポートする。
もちろん最初はその視野を広げること、選択肢を提示すること、共通言語で話ができたり、あんな風に作りたいという憧れになる先輩や仲間のいるコミュニティや体験を探すことなども含めて。
その中で、学校という場で学ぶことが効率的だと彼が思うなら息子はおそらく行くのだと思う。

なんとなくそんな方向だなぁと、私の姿勢が決まったような。
夫と息子自身と話して、しばらく試行錯誤は続きそう。

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