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世界に居られなくなるとき

人の輪の中にいる時、突如、それまでとは世界が変わってしまう。それまでの自分とは違う状態の自分になってしまう。
これをなんと呼ぶのか、分からない。

「ここには居られない」という猛烈な感覚と、「なんとか繋ぎ止めなければ」という別の猛烈な感覚がせめぎ合う。
内側に押し込んでいた風船がどんどん外に飛んでいっていくのを回収しないといけないが、電源は落ちている、そんな感じ。

自分を動かすネジやらバネやら歯車やらを内側に留めていた、ぎゅっとした輪郭が突如なくなってしまい、急に外圧を失った部品はばらけて、ふわふわ外に飛び出す。

そうなって初めて、それまで自分が当たり前にやっていたことが、実はいろいろな部品が精妙に配列されて、自分と世界との間の輪郭による適切な圧力を受けることで動いていたことがわかる。

表情を作ることができなくなる。
「今ここで笑わないと不自然だよ」と脳が言っても、一切の指令を受け付けない。何せ、部品が噛み合ってないし、どっか行っちゃってるので、何も動かない。
気の利いた返答なんてできないし、人の目は見れない。ハリのある声を出すこともできない。

それでも場の空気は伝わってくるし、自分の立ち居振る舞いがその場にそぐわない異質なものになっていることはヒシヒシと感じるが、「滑らかな立ち居振る舞い」ができなくなる。こういう時、顔を見られるのは辛いし、特に目を見られたくない。

体は普通に動くし、なんとか一方的に話すことはできるけれど、「社交」「会話」ができなくなる。

「ここ」にいるためのインターフェイスがなくなってしまい、この世界にいられなくなってしまう。
物質としての身体だけがこの世界に残されてしまった感覚。
魂だけ体から抜けかけてしまい、なんとか遠隔操作しようとするけれど、表情作ったりそういう高度なことはできませんってば・・・っていう感じ。

外界はどんどん動いていき、違和感のある自分の体だけが取り残されているこの時、頭の中には「しんどい」「無理」「しんどい」と流れ、「とにかく直ちに一人になれ」という指令が出る。

ウルトラマンが3分しか地球に居られないのと似ている。
何かが自分のキャパシティを超えてしまうと、どのような状況であっても直ちにシャットダウンされてしまう。待ってはくれない。

多くの人が集まる場。
全体の空気に合わせて集団としての動きが求められる場。
そこの空気にふさわしい立ち居振る舞いをしようとすればするほど、消耗が激しくなる。
どれくらい持つかは、その日の体調とか、場の雰囲気、状況、メンバーとかによって違ってくる。短いと15分くらいで「もう無理だ」となるけど、1時間とか。2時間とか。

このような感覚は、程度の差はあれど時々経験していた。
ただ、長らくそれが私にとっては意味不明の現象で、「謎に急に帰りたくなる現象/謎の急な不機嫌?モード」としか理解できていなかった。

1年ほど前に自分がASDであるということを自覚したが、この現象はASDと関わったものなのだと思う。「機嫌」の問題ではなく、「何かが自分のキャパシティを超えてしまった状態」だということが分かる。

本当はずっとみんなと一緒にいたいのに、きゃっきゃワイワイやりたいのに、その場に居られなくなってしまう。
何かが圧倒的に人と違う、みんなが普通にやっていることができない。自分は何かおかしいのではないか、と長らく感じていた。また、そういう自分が恥ずかしい、とも感じていた。

ASDという視点で見ると、自分は他の人たちとはどうやら仕様が違う、ただそれだけなんだ、と思えるようになった。(だけどついつい仕様の違いを忘れては気を使いすぎてすごく疲れたり、はしゃぎすぎて急速に電源がオフになる)

無表情は、不機嫌を意味しないから安心してね。
ただ、無表情である、というだけ。

ピクリとも顔が動かない時、フリーズしている時、何かがその内側で必死で繋ぎ止めようと、そして同時に脱出しようとしている可能性がある。


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