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わたしがホリスティックヘルス塾をする理由。



わたしは緩和ケアの患者さんが
いる病棟で働いています。
 

死、なんてワードを
出すことができないくらい
死をすぐそこに感じる現場
 
 
患者さんの旅立ちを見送ることも
たくさんあります。
 


「お腹が痛い、、。」
「呼吸が苦しい、、。」
 
「どうにかしてこの痛みを取り除いてよ。」
「一緒にいて。」

「苦しいよ、助けてよ。」

「どうしてこうなったんだろう。」
「なんでわたしが。」

 
こんな言葉や意味合いのことを
目の前の人から投げかけられます。


 
わたしね、
本当にこの言葉たちを聞くのが苦しくて。

 
 
助けてあげられない。

この苦しみから
救ってあげることのできない
自分を無力に感じてしまって。
 
苦しくて苦しくて。
 

看護師として
立派に寄り添わなきゃと思って
「苦しいですね」って寄り添うけど

 
自分がいっぱいいっぱいで。

ああ、聞きたくない。

いのちっていうのは、
いつかみんな終わるんだよ!
それに気づいてよ!

 
って思っている時がありました。

というか今でも、
いっぱいいっぱいになると
そうに思います。

 
そんな患者さんの不安な気持ちを
受け止めきれない自分サイテーだなって思ったりね。
 


 
痛いという患者さんに対して
麻薬の痛み止めを使う時があります。

でも、 
どれだけ麻薬の痛み止めを入れても
全然効かない患者さん
がいたりします。
 


お腹の痛みだと本人は思っていますし
実際には、お腹も痛いには違いありません。

でも、それは
身体の痛みだけじゃないです

こころが
たましいが、痛みを感じている
のです。
 

そうゆうのを
スピリチュアルペインと言います。
 

「死ぬってどうゆうこと、、?怖い、、。」
「こんな自分に生きる意味なんてあるのか」

「今まで生きてきた意味ってなんだったんだろう」

「どうして病気になってしまったのか」
「どうして自分なのか」


どれだけ家族が寄り添っても
看護師や医療職が寄り添っても

この世でたった1人、
誰にもわかってもらえていない。

みんながいのちの希望がある中で
自分には、その未来がない。
 
そんな取り残された気持ち
なっているのを感じます。
 

わたしは死のふちにたったことがないので
いつも、想像です。

 
でも不整脈で倒れたとき
死んじゃうのかなと思ったときがあります。

死ななくても、
ペースメーカー入れて生きていくのかな、とか。


そしてそのとき思ったことは
もし元気で明日いられたら
明日の夜のめるお酒はどんなに美味しいだろう、でした。
(普段そんなに飲まないのになぜ。笑)


退院して
フラッと寄った公園で見た紅葉は
こんなに美しかったっけ
?と涙が出てきました。


 
、、と話がそれましたが。


 
目の前にそんな人がいて
そのスピリチュアルな痛みを
答えのない問いの痛み

その人の何百分の1なのかわかりませんが
感じる時があります。
 
 


そんなとき、思うのですね。

 
わたしは、
どうに生きていたいか
って。
 
いつか終わるこのいのちを
わたしは、どうにいきたいの?
って。
 

私たちは
いつか、必ず終わりがきます。

 
そして、その終わりが
あるからこそ、今があります。
 
 
死をも含んだこのいのちの
全体性を見る。
 

ホリスティックな捉え方で
わたしたち人間をまるごとみたとき

 
自分のちっぽけさを感じます。
そして、無力さも感じます。


と、同時に、
大きな流れの中にいる、
包まれているような感覚
になります。


そして、
今を過ごしている
このちっぽけな自分が
愛おしく感じるのではないでしょうか。


 
わたしは、今は
前の前の人のヒカリに繋がって
そのベッドサイドの時間を過ごしています。
 

ヒカリにつながるって何?って思いますね。
(詳しくはこちら。)

 

その人が今そこに
いてくださること、

その葛藤を、苦しさを、
体験していることがどんなに尊いことか。

 
目の前の身体だけじゃない。

その人のまとっている気や
奥にあるヒカリを見つめます。

(実際に見えるわけじゃないです。
 そうに感じるのです。
 だから怪しいと言われる。笑)

でも、ホリスティックな捉え方で
目の前の苦しさだけにフォーカスしなくなったわたし

 
今は苦しくなることは本当に少なくなりました。

 
わたしは、ヒカリ(たましい)の存在
相手もヒカリ(たましい)の存在であると思うからです。
 
 
そして、
身体の痛みはわたしは体験しえないけど

そのたましいの経験は、
わたしたちヒカリのレベルで共に体験している
のです。

たましいレベルでの繋がりでいるとき、
その人が自分のヒカリに気づくとき、

それは、
答えのない、
救いようのない痛み

ふかい癒しにつながるのだと思っています。
 


 
そして、
わたしは、
病気になって死に向き合うのではなく
今、元気に過ごしている
あなたに伝えたい
なと思うのです。
 


今、あなたはどうに生きていきたいですか。
大切にしたいことはなんですか💓
そのための道標はときめきです。
(くわしくはヘルス塾でっ!)


健康や死生観について
人間まるごと
ホリスティックに考えてみることの大切さ。


 
そんな思いがあって
ホリスティックヘルス塾をしています。
 

そんなとき素敵なカードに出会いました!
死生観を語る414カードです💓


最後の時を思うこと、

いつかくるけど、
誰も体験したことのない最後のとき。

わたしのホリスティックヘルス塾では
最後にこの414カードをして
みんなでシェアする時間を大切にしています。
 
 


以上、長くなりましたが
わたしがホリスティックヘルス塾を開いている理由でした。 
 


まず、わたしが
ときめいて今を生きて

最後のとき、
痛みや苦しみがあったとしても

「ありがとう」で 
あちらの世界へ、次の旅路へ
飛び立てる
よう、
 
過ごしたいと思います。


すっごく長くなってしまったけど
読んでいただきありがとう。

ホリスティックヘルス塾は毎月開催しています!


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