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「どちらでもいい」と思う理由。


こちらのVoicyを聞いてね



「どちらでもいい」
わたしも、そうに感じることがとっても多いです。
 

その目的はなんなのか
その目的のための方法ならなんでもいいと。

ホリスティック医療もまさにそう。

その人がより良く過ごせるために、
いろんなアプローチがある。

身体に対する治療も
こころに対する心理療法も
たましいに対する補完代替療法も
 
いろんな方法があっていい。


「その怪しい治療をやるなら
ここでは見られないので他でやってください。」

うちの病院にやってくる患者さん方からは
こうに言われるという話は本当によく聞きます。

いのちへの責任が絡んでくるから
とっても理解できるけど
本当にね、
その方のより良い生き方をするために
選んだアプローチを否定するってもったいない。
(補完代替療法を否定するコメディカルはかなり多い)

 
アプローチって、西洋医学でいえば
ひとつひとつの薬、ワクチン、
手術技術、医療機械、抗癌剤、放射線などのこと。
 
その一つ一つに根拠があって
それを発明したり、発展させてきてくれたから
アプローチ方法として確立されているわけで
とーーーても、素晴らしいものたち。


でも、その方法論だけに
とらわられてしまうと、本当に苦しくなっちゃうの。

 
「この抗癌剤が効かなくなれば
もうあなたにはできる治療はありません。」


本当にそうなの?

・・・

違うよね。
私たちの健康でありたい目的ってなんなの?

この病気が、痛みが取れたら
「何がしたいの?」
「どうに生きていたいの?」

そこにつながることが
とっても大切。

それってね
たいしたことじゃないかもしれません。

世界一周旅行に行きたいとか、
そんなおっきなことじゃないかもしれません。
 
懐かしの宿に泊まりたい、とか
美味しくご飯が食べたい、とか
来年の春に桜が舞い散るのも見たい、
大好きな家族に囲まれて過ごしていたい、とか

そうゆうことかもしれません。

 
その病気が治ったとしても
やっぱりいつかは、終わるいのち。

 
もし、病気があったとしても
このいのちが過ごしたい時間ってどんな時間なの?
 

 
その答えは
私たちの内側にあります。
その道標はときめきです💓


でも、気づこうとしなかったら
なかなか気づけないものなのかもしれません。

 
もちろん、
目の前の病気に対峙することが必要な時もあるけど
もっと、大きく健康でいたい目的を見つめること💕


私たちは
病気があろうとなかろうと
今、この時間を与えられている。


 
このいのちの時間を
ときめいて生きていること、

その時間こそが健康、です。
病気があろうとなかろうと。
 

 

ご本人とご家族が
どのアプローチを選ぶかを情報提供・フォローしたり
選んだ方法に希望を持って一緒に取り組んだり

またそのアプローチだけにこだわらず、
他の療法も組み合わせてコーディネートしたり。

 
で、その中で
その人の死をも含んだいのちに寄り添って
死生観を築きながら過ごしていくこと。
 
これこそ
わたしの大切にしたいことだなあ、と💓



__________

 
自分の生きるを見つめたい方へ💓


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