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《世界史》カリグラとネロ

こんにちは。
Ayaです。
今日は暴君として知られるカリグラとネロについて取り上げます。

アウグストゥスの死後、二代皇帝として即位したのは、義理の息子ティベリウスでした。彼は帝政を盤石なものとしましたが、養父と同じく後継者問題に苦しめられます。
生前のアウグストゥスの命令で、ティベリウスはアウグストゥスの甥・ゲルマニクスを養子としていました。しかし、そのゲルマニクスが養父ティベリウスの前に亡くなってしまったのです。ティベリウスの息子も暗殺されていたため、彼の死後ゲルマニクスの息子に継承されます。彼こそカリグラです。

ユリウス=クラウディウス朝の家系図
(Wikipediaより)

カリグラ(12〜41)

カリグラは12年ゲルマニクスの息子としてうまれます。彼の父ゲルマニクスは武勇の誉れ高い人物であり、彼も幼いときから父に連れられ従軍していました。そのとき、兵士たちから『カリグラ』(小さな軍靴)というあだ名をつけられ可愛がられていました。本名より有名なため、こちらを使用します。
将来を期待されていたゲルマニクスは急死してしまいました。この父の死によって、カリグラの家族に危機が訪れます。ティベリウスによってカリグラの母や兄たちは追放され、流刑先で非業の死をとげてしまったのです。カリグラと妹たちはティベリウスの機嫌を損なうことなく、なんとか生き延びました。
37年ティベリウスが逝去し、カリグラはやっと即位することができました。前皇帝ティベリウスの不人気と、彼の父ゲルマニクスの武勇や家族の不遇を知っていたため、彼の即位を熱狂的に歓迎しました。

カリグラ
愛馬に元老院議員の職を与えるなど常軌を逸した行動をしていた。

しかし、即位からわずか7ヶ月後、カリグラは病の床についてしまいます。なんとか復帰しましたが、臨死体験するほどの重病で、このときから彼は変わってしまいました。
まず彼が回復するならば、自らの命を捧げてもいいと誓った人々を呼び出し、崖から突き落として殺害。妻を追放し、義父や後継者候補だった従弟に冤罪をきせて処刑してしまいました。さらにカリグラ即位のためにティベリウスを暗殺したと噂されていた側近も処刑しました。(ティベリウスの死は現在病死とされている)
他にも財政危機にも関わらず浪費を行ったりしましたが、なにより批判を浴びたのが、自身の神格化でした。彼は自分のことを『ユピテル』と呼ばせ、神々の扮装をして民衆の前に姿をあらわすことがありました。カエサルやアウグストゥスも神格化されていましたが、本人の死後なされたものであり、このカリグラの行動は常軌を逸したものだったのです。
完全に元老院からも見捨てられており、41年妻と娘とともに暗殺されました。享年29歳。

ローレンス・アルマ=タデマ
『カリグラ暗殺後、カーテンの後ろに隠れていたクラウディウスを皇帝に推挙するプラエトリアニ』

カリグラの暗殺後、皇帝に擁立されたのは、叔父にあたるクラウディウスでした。彼は脳性麻痺の影響で手足が不自由で、長い間不遇を囲っていましたが、即位後は財政を立て直すなど成果をあげていました。
思いがけず即位し意外な辣腕をふるったクラウディウスでしたが、家庭的には不幸なままでした。彼の妃メッサリーナは性的に奔放な女性で、浮気相手と夫の暗殺計画した上で発覚し、処刑されてしまいます。

ギュスターヴ・モロー
『メッサリーナ』

このことに目をつけたのが、ネロの母・アグリッピナでした。

ネロ(37〜68)

ネロは37年アヘノバルプスという人物の息子として生まれます。母がカリグラの妹・アグリッピナで、野心のかたまりのような女性でした。父はネロが幼いときになくなり、アグリッピナの強力な支配のもと、ネロは養育されることとなります。

アグリッピナ
母も同名のため、小アグリッピナと呼ばれる。

なんとしても息子を皇帝にしたい彼女は、妻を処刑したクラウディウスに近づきます。彼を誘惑し、後妻におさまったのでした。クラウディウスはアグリッピナにとって叔父にあたるので許されない婚姻でしたが、押し通してしまいます。またクラウディウスに懇願し、ネロをクラウディウスの養子にしてもらい、クラウディウスの娘・オクタヴィアと結婚させます。こうして息子の即位の布石を打ったアグリッピナは、用済みとなった夫のクラウディウスを暗殺してしまいました。
母アグリッピナの異様な権勢欲によって即位させられたネロでしたが、当初は善政を行っていました。母アグリッピナは有名な哲学者セネカを家庭教師につけるなどしていたからです。しかし、ネロ自身も皇帝としての自覚を持つにつれ、何かと干渉する母を疎ましく思うようになっていきます。焦ったアグリッピナは恐ろしい手段に出ます。
なんと息子と関係を持ったのです。アグリッピナは兄のカリグラとも関係を持ったと噂されていましたし、ネロの死後流された醜聞とも考えられますが、その後のネロの行動を見ると、案外本当かもしれません。
ネロは母を呼び出し、日頃の無礼を詫び、歓待しました。その後、豪華な船で送り出します。この船の船底に穴を開けておいたのです。しかし、泳ぎが上手だったアグリッピナは死なず、ネロは恐れ慄き、暗殺者を送ります。死を覚悟したアグリッピナは、裾を巻き上げ、『刺すならここをさすがいい!ネロはここから生まれたのだから!!』と叫び、悶死しました。

ネロ

母を殺し、重圧から解放されましたネロ。無理やり結婚させられたオクタヴィアを自殺させ、友人の妻だったホッパエアと略奪婚しました。恩師セネカにも自殺させます。略奪婚したホッパエアも妊娠中に頓死したため、ネロに殺されたのだと噂されていました。
ネロの悪名の決定打は、なんといってもキリスト教徒の弾圧でしょう。
ことの起こりは64年のローマ大火です。ネロは旅先で知り、すぐに人命救助を命じるなど迅速な対応をしました。しかし、ネロが日頃からローマの雑然とした街並みを嫌っていたというのは有名な話でだったので、すぐに大火はネロによる放火だと噂がたちます。
この噂をなんとか鎮静化させたいネロは、格好のスケープゴートを見つけます。キリスト教徒たちです。当時ローマに伝わったばかりの新興宗教であり、多神教のローマ社会では唯一神のみを崇拝するので奇異の目で見られていたのです。大火の犯人として多くのキリスト教徒が処刑され、なかにはペトロやパウロもいました。

『蝋燭にされるキリスト教徒』

こうしてキリスト教最初の弾圧者となったネロでしたが、元老院や市民からの人気にも翳りがみえてきます。原因はネロの度を逸した趣味でした。ネロは歌が大好きで、ネロ祭なるものを作りました。この祭りでは大会が開催されネロも参加しましたが、勿論出来レースでネロが優勝しました。また元老院議員の土地を取り上げ、悪名高い『黄金宮殿』も作りました。
68年、ついに人々の不満は爆発します。当時穀物が高騰していましたが、ネロが穀物ではなく、剣闘士競技場の砂を運ばせたことが発覚。人々は激怒、見限った元老院は彼を『国家の敵』に宣言しました。
ネロはローマ市外へ逃亡しましたが、逃れられないと知ると、喉に短剣をつきつけ自殺しました。享年31歳。最期の言葉は『何と惜しい芸術家が、私の死によって失われる事か』だと言われています。

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
『母親の殺害を悔やむ皇帝ネロ』

カリグラとネロ、ローマ皇帝屈指の暴君とされるふたりをとりあげました。カリグラは大病まではまともだったようですし、ネロも前半は善政をしいていました。ネロの場合、やはり母アグリッピナの存在がよくも悪くも影響をもたらしていたのは明白でしょう。母が無理強いしなければ、歌手になりたかったんでしょうね、きっと‥。

ネロの死によって、カエサルとアウグストゥスに繋がるユリウス=クラウディウス朝は断絶します。初回のローマ史で言っていた目標まではなんとか辿り着けたことになります。また気長にまとめていきたいと思います。




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