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《聖書-16》イエスと女性たち

こんにちは。
Ayaです。
イエスが宗教活動をはじめると、彼の母・マリアは偉ぶることなく、一信者として彼に従いました(本当によくできたお母様です)。今日はイエスと関わりをもった彼女以外の女性たちについてとりあげます。

サマリアの女

さて、ユダヤ人社会では『選民思想』というものが根強くありました。「自分たちは神に選ばれたヤコブの子孫である」という自負です。(彼についてはこちらをご覧ください)

この思想は他民族からたびたび侵略・支配をうけてきたために発生したものでしたが、純血主義につながり民族差別を生むこととなりました。特に差別されていたのが、長年ユダヤ人と対立していたサマリア人と呼ばれる人々でした。
そんなサマリア人の中に、ある女性がいました。彼女は5度も結婚して夫たちに先立たれ、今は6人目の男性と同棲していました。現在でも複数回結婚歴のある女性に対しての評価は高くありませんし、当時はさらに強い差別を受けていただろうことは想像に難くありません。つまり、彼女はユダヤ人から差別されているサマリア人の社会からも爪弾きにされていたのです。
そんな彼女が井戸で水を汲んでいると、イエスが話しかけます。イエスは弟子たちに宿泊先への連絡を命じてひとりでいたのですが、喉が渇き、女性に水をくれないかとお願いしたのです。女性はイエスの行動に驚きました。当時ユダヤ人がサマリア人に話しかけるなどありえなかったからです。女性がどうして自分に話しかけたのかイエスに聞きます。すると、イエスは、

「もし、あなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』といったのがだれであるのか知っていたならば、あなたの方からからその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたであろう」
ヨハネによる福音書
4-2~23

と答えます。我々にはチンプンカンプンですが、『生きた水』とは信仰心や神の救いの比喩であり、自分を信じたら神の救いが与えられるであろうという意味だと思われます。
女性は勿論信じられませんでした。

「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか」
ヨハネによる福音書
4-11~12

と反論します。すると、イエスは

「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」
ヨハネによる福音書
4-13~14

と答えました。女性はこの答えに感動し、さらにイエスは自分の身の上を話していないにも関わらず知っていたので驚嘆しました。彼女が村へ走って行って、すごいメシアが来たと宣伝してくれたので、サマリアの人々もイエスの教えを信仰するようになりました。

グエルチーノ
『イエスとサマリアの女』


マルタとマリア

さて、イエスの信者のなかにラザロという男性がいました。彼については次回とりあげますが、その姉妹に、マルタとマリアがいました。ちなみにマリアという名前は当時よくある名前で、このマリアは聖母マリアとは当然別人であり、のちにとりあげるマグダラのマリアとも別人とされています(同一説もありますが)
ある日、イエス一行はラザロの家に滞在します。姉マルタは一行をもてなすため忙しく働きますが、マリアはイエスの説教に聞き入って側から離れようとしません。さすがにマルタは怒り、イエスにマリアへ注意してくれるよう頼みます。すると、イエスは

「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」
ルカによる福音書
10-41~42


とたしなめました。
このエピソードも我々にはよく理解できませんが、マルタの行動は『活動的生活』、マリアの行動は『観想的生活』の比喩であり、どちらも大切なものであるが、マルタがマリアに対する不平を漏らしことをやんわりと注意していると解釈されているようです。

フェルメール
『イエスの接待に立ち働く姉マルタとイエスの説教に聞き入るマリア』
フェルメール唯一の宗教画。この存在が贋作『エマオの晩餐』を真作とした根拠の拠り所となった。

姦淫の女


イエスが神殿で説教していると、彼を敵視する律法学者たちは彼をワナにはめようと画策します。姦通罪で捕まっている女性を引き出し、イエスに裁かせようとしたのです。当時姦通罪は重く、石打の刑に処されていました。イエスが唱えていた『赦しの神』は律法学者たちには許せないものでした。もしイエスがその教えに従って彼女を許した場合、『モーセの十戒を軽視している』と追及するつもりだったのです。すると、イエスはかがんで、指で地面に何か書き始めました。律法学者たちが早く答えろとけしかけると、

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石をなげなさい」
ヨハネによる福音書
8-7



と答え、地面に書きました。この答えを聞いて、人々は何も言えませんでした。人間はアダムとエヴァの子孫である以上、『原罪』を背負っており、
罪を犯していない者などいなかったからです。白けてしまい、人々は次々と立ち去りました。誰もいなくなった後、イエスは女性に

「わたしもあなたに罪を定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」
ヨハネによる福音書
8-11

と諭し、解放してあげました。

ピーテル・ブリューゲル
『キリストと姦通の女』

マグダラのマリア

さて、イエスと関わりのあった女性たちについて取り上げてきましたが、中でも有名なのが、マグダラのマリアでしょう。
彼女はイエスの女性弟子であり、某映画では妻だった!!とまでとりあげらており、ご存じの方も多いでしょう。
彼女の前歴はよくわかっていません。7つの悪霊を追い出してもらった女性として登場していますが、伝統的に高級娼婦だったとされています。そのため、さきほどの姦通の女と同一視されたりしています。
高級娼婦時代の彼女は華やかな女性を描くには格好のテーマとなったようです。

カルロ・クリヴェッリ
『マグダラのマリア』

さて、彼女と特定されている聖書の記述は一か所しかありません。そのシーンは今後取り上げるので、姦通の女と同じく彼女だろうといわれているエピソードを書きます。
ある日、イエス一行はファリサイ派の人に食事に招かれます。すると、突然『罪深い女』が現れ、イエスの足を自分の涙で濡らし髪でぬぐいながら香油を塗ります。ファリサイ派の人はイエスがこの女にされるがままなのに眉を顰めます。すると、イエスは

「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」
ルカによる福音書
7-44〜47

と諭すのでした。そして、『罪深い女』自身には、

「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」
ルカによる福音書
7-50

と伝えるのでした。
この『罪深い女』とは娼婦のことを指すので、マグダラのマリアなのではないかと考えられているのです。

ティツィアーノ
『悔悛するマグダラのマリア』


どちらにせよ、彼女のような多くの女性たちもイエスに従いました。
今回はイエスと関わりのあった女性たちについて取り上げました。最初のサマリアの女の内容が思ったより哲学的で難しく、まとめるのに大変苦労しました。
イエスの教えは社会的弱者を中心に広がっていきます。それによって、パリサイ派など高位聖職者たちに嫌われていくこととなるのです。
次回はイエスが行った奇蹟や教えについてまとめます。


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