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体調も体型も大・崩・壊!辛い経験は未来へのギフト【MyStory1】

「健康的な食事じゃ、健康にも綺麗にもなれない」
毎朝お腹の痛みで目が覚めて、体重計の数値で1日のテンションが決まる。体重計の奴隷化していた、大学生(管理栄養士専攻)時代の不健康なわたしの朝。

「これは食べたら太る?太らない?カロリーは?」
無意識な問いを一体、何度自分に投げかけたっけ…?
夜には呼吸が苦しいほどの腹痛に、疲弊し切って布団に入る。そんな日々の中で私が持っていた、怒りにも似た想い。

「健康的な食事をしたって、健康にも綺麗にもなれないんだ。日本の栄養学は何なんだろう」

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暗い出だしの文章ですね〜!驚かせてごめんなさい。
こんにちは。管理栄養士彩子です。
今回の記事から3回に渡り「MyStory」をご紹介。
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今の活動の原点でもある<MyStory1>
こんな時代もあったね〜!と、笑えるくらい、生き生きしている"今"があります。同じように悩んでいる方へ少しでもパワーを贈れたら!と思い、エールを贈る気持ちで書きました。

行き先が明確なら必ずたどり着ける

これは、当時の私からのメッセージだと思っています。
今回ご紹介する【MyStory1】のメインは、私の大学生時代※。多分、今のところ、自分史上最大の”黒歴史”。

でもそのおかげで、"今に繋がる原石"をたくさん集められた時期でもありました…今思えば!笑

当時は真面目に努力を重ねても、自身の体調・体型管理が叶わないが故、完全に"日本の栄養学"へ不信感を抱いていました。

それでも、
幼少期に祖母の影響によりいつの間にか興味を持っていた
・食事と栄養学、そしてその可能性
コンプレックスがあったからこそ抱いた
・綺麗になりたい
・自信を持ちたい
・それを叶えてくれるのは、食と栄養学である"という何の疑いもない信念  

これがあったからこそ、
大学生のあの頃「行きたかった場所」が「12年後の今」になったのだと思います。

※管理栄養士(国家資格)
定められたカリキュラムがある学校を卒業と同時に、"国家試験受験資格"の取得が可能。その後、国家試験合格で取得が可能です。
私は短大を卒業後、管理栄養士専攻の大学3年次編入学を経て、計4年間の大学生活でした。

 私の大学生時代は、一般的な"華やかなキャンパスライフ"とは無縁の4年間。国家試験のための勉強が忙しく、さらに実習や課題に追われ、世の大学生とは違った意味で、濃厚な4年間でした。遊びに行った記憶なんてほぼありません。
さらに編入先の学校は、本来国家試験受験資格の規定では免除されるはずの科目が免除されず、よって、短大2年間で履修したほとんどの主要科目を、編入後の2年間でまた履修し直す…という現実。
4年間分の授業を2年で履修+国家試験対策!!
…大好きな分野に浸れて、とても幸せでした(痺)

窮屈なダイエットとストレスで体調&体型崩壊…!
毎朝始発で朝練をこなし、年間休日正月の3日だけ!のハードなバスケ部生活を送っていた高校時代を終えて、
『このままだと太っちゃう、そんなの嫌!』
ごく一般的な発想から始めたダイエットが黒歴史の始まりです。

ハードな勉強、プレッシャー、ストイックな食生活、ストレスから陥った、過敏性腸症候群、1年弱の無月経、ホルモン治療、10kg体重増加…。
自信喪失どころでは済まされず、1日を生きることに必死、と言えるほどのしんどさでした。(生きるって大変…といつも布団に入ってから涙を浮かべてつぶやいていました)胃カメラや精密検査…病院スタンプラリーならぬ検査祭りでした。(原因結局わからず)

<私の黒歴史-食事編->
・カロリーコントロール
・飲みたくないのに朝はスムージー
・毎日計量してご飯や野菜の量を徹底管理
・好きなケーキや甘いものはほとんど食べない
・夜の隠れ食い/どか食い
・りんごダイエット
・低インシュリンダイエット
(今の糖質制限ダイエットと類似)
・置き換えダイエット
etc…!

今でこそ、笑い話でも、当時の私にとってはかなり深刻な問題。どれだけ努力しても、痩せたい!綺麗になりたい!…そんな欲しい結果は手にできませんでした。(というより、求めていた結果とは真逆にどんどん太る始末)

いつまで頑張ればいいのか、何が間違えなのか、どうしたら良いのか、全くわかりませんでした。もちろん、学校の教科書(栄養学から解剖学…13を超える科目がありました)にも、私が求めていた答えはありませんでした。

どうしてこんな状態でも、
栄養学を学び続けて
休学の選択肢もなく
国家試験など全てを投げ出さずにいられたのか。

それはきっと、
【目標=ゴール/行き先=管理栄養士になる】
が明確だったから、だと思います。
今、結果論として補足するならば、
【目的/夢=女性を食と栄養で美しくできる仕事をするんだ】という当時は無自覚で、潜在的な夢があったのかもしれない…と感じて(美化して)います。

誰にも正解は求めない。
私のスタイルは私が見つけて私が選ぶ。

ダイエットの方法も、健康的な食事も、倒れてしまうほどの治らない体調不良の原因も、そしてもちろん対処法も、結局誰も教えてくれませんでした。処方された薬だって結局効かなくて、でも手放すのが怖くて、ずっと飲み続けていました。

でもなぜか突然、糸がブツっと切れたある時、こんなことを心に決めた気がします。
『誰にも正解は求めない。
私のスタイルは私が見つけて私が選ぶ。』

体調が悪ければ、薬は処方してもらえるし、マッサージに行けば施述を受けられる。お金を出せば、ダイエット本やダイエット食品は手にできる。
でもね。
自分の頭で考えた?
自分の身体の声に耳を傾けた?
自分といつ、向き合った?

結局一生かけて自分の身体と心を、育んで、守って、磨いていくのは、私なんだ。自分の身体と心に責任を持てるのは私しかいないんだ。
「誰か教えて」
「誰か助けて」
「お金払うからわたしを変えて」

自分のことなのに、いつも「人任せ」だったのかもしれない。自分で変わる気もないくせに、誰かや何かに寄りかかってただけだった。

こんな気づきで、少し楽になれました。
自分で負うべき責任を、誰かに押し付けている時点では、欲しいものは手に入らないのかもしれません。
こんな風に、少しキツイ質問をあえて自分に問うことで、目が覚めました。

でも実際、自分のことなんて、誰もが1番!と言っていいほどわからないし、自分と向き合う機会なんて、無い人の方が多いくらい。

だったら、わたしがその機会を作ればいい。同じ苦しみを味わっている人の背中を押せる人になればいい。
きっと誰もが可能性を秘めているのに、それに気づかないなんてもったいない!だって女性は強いのだから。
今はそう想えます。(当時はとても無理!)


そして、私はすがっていた全てのものを少しずつ手放すことを決意しました。独自の方法で体調・体型・メンタルなど、トータル的なセルフケアスキルを編み出して行くこと、を始めました。
知識がなければ、いつか出逢う女性を救えないから、救える自分であるために、必要な学びは20代の10年間でコツコツコツコツ。

結局全部自分次第。
欲しいものを自分で探して、見つけて、そこへ進んで行けたなら、誰かやどこかに依存するより、ずっと自由。

辛い経験こそ"未来へのギフト"

しんどかったあの頃も、なかったら楽だったのはもちろん!間違い無い。もう二度と経験したく無い過去…!

でも、辛い経験は、今のわたしにとってのパワーとなり、あの頃の痛みや苦しみを知っているからこそ、できることがあるのだろう、寄り添える人がいるだろう。そう、信じています。

乗り越えたからこそ、自信を手にできた。
食と栄養のプロとして、"自分のゆらぎを自分で乗り越えられた"という自負があるからこそ、

全力で伝えられる「大丈夫」という言葉があります。
これは今のわたしのお守りです。

…あとは、もしかしたら、
「苦しみで終わってたまるか!」「絶対諦めない」
という”運動部魂”みたいなものは、当時からあったのかもしれません。
(諦めたら試合終了ですよ。漫画スラムダンク-安西先生より)

これをご覧いただいているみなさんが持つ
「不安」や「辛さ」も、
少し先の未来のお守りになるのかな?
と、強く1歩踏みだすチカラになれたら嬉しいです。


辛い経験は「未来へのギフト」
そう多くは贈れないギフトですが、掛け替えのないものになることはきっと、間違い無いでしょう。

次回の【MyStory2】は、
社会人になってからの私のStoryです。

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彩子

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