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RSRと男友達。

前回、夏フェスの話を書いたけど、
最近、たまたま、若い頃一緒に、夏フェスに参加してた男友達から連絡があった。
元気にしているという。

彼は、とても捉えどころのないタイプの男子で、
当時は、エリート大学に通っていた。
ヒョロヒョロとした痩せ型の体型で、高身長。黒縁メガネをかけていたので、
漫画のキャラクターのようだった。

「俺、挫折知らないからよぉ」
と、話して、笑いをとり、どんだけだよ!!!と、みんなからつっこまれる。

どの時に出会った友人なのか、考えてみたけれど、多分、友達の友達の友達だと思う。
なんて遠い関係なのか!

私の中学の同級生が、当時東京のテレビ局で働いていて、その時の同僚だった大学生アルバイトの男の子たちをライジングサンに連れてきて一緒にキャンプをした。
その中の1人の男の子と、やたらと気があって、すぐに仲良くなって、一緒にライブを観たりもした。
友人が連れてきた仲間たちは、愉快な子達ばかりで、あの時のライジングは、夜通し笑って、夜通しお酒を飲んで、
アッパラパーな三日間で。
いやほんと、アッパラパーだったなぁ、お恥ずかしい。
全力で音楽を楽しみながら、ゲラゲラ笑って腹筋が筋肉痛になった頃にライジングサンが閉幕して、お別れ。
こういう一期一会の出会いというのは儚いもので、
生まれ育った環境も、暮らしてる場所も全然違うと 
「また会おうね!」
と約束しても2度と会えないということなんてザラにある。
てか、そういうもんだよね。

なのに、その後も、彼とは共通の友人抜きで何度も会った。
こう書くと、恋愛話に発展したからみたいにみえるけど、
全然そういう雰囲気じゃなかった。

私たちは、全くもって、恋愛にならず、お互いがお互いにとって、良い友人だった。
あれは、すごいことだったんだなぁ。
心の底から、男性や女性としてではなく、
パーソナルを好きになった。
だって、ライジングの後、私の実家に連れてって、私の部屋で2人で雑魚寝してたって、本当に何も起きなかった。20代前半の若者たちが!
母が
「あんた誰!!」
ってキレて、目を覚ました。
彼は、私の妹に勉強を教えて、帰宅した。
いい思い出だけど、だらしないね。反省する。
だけど、“男女の友情は成立する”を、しっかりと体現して、交流をつづけた。


そんな、良き男友達が、数年後のライジングに連れてきたのが
ヒョロヒョロの彼だった。

彼らは、ライジングのたびに札幌にきて、
札幌に来るたびに“夜のすすきの”をえらく楽しみにしていた。
毎度、新千歳からすすきのに直行。
何をどう楽しんだのかはわからないけれど、
ニコニコしながら夜10時くらいに、私たちと合流。
すすきのに、いかに可愛い女の子が多いのか、とか、札幌は最高だ!という趣旨の話をしながら海鮮を食べる。

彼らがエリート大学に通って、エリート大学を浪人したり、卒業したりする頃には、
私も今の旦那さんと出会っていて、彼も、友人2人のことをとても気に入って仲良くなった。
近くに住んでいればどんなに楽しいだろう!と、思わずにいられなかった。

4人で行った、最後のライジングでは、誰もテントの張り方がわからなくて、あくせくした。
私の先輩から借りたそのテントは、コールマンの大きなやつで、フェスではよく見かけるタイプだ。
同じタイプのテントを張ってる人に声をかけて
テントを張る手伝いをしてもらった。
心優しい見知らぬ人は、私たちのテントをほぼ1人で建ててくれ、
完成後に“うちのテントにはビールサーバーがあるから遊びにおいでよ”
と言ってくれ、ビールまでご馳走になった。
ヒョロヒョロの友人は、三日間でその人たちとも仲良くなり、何度となくビールをご馳走になっていた。

そういう人懐っこい男子だったのだ。

一緒に行った最後のライジングが、忘れられないのは、
永遠にこの日が続くと思っていたからだ。
それまでも、そうしていたように、
彼らは、夏になると、当たり前のように札幌にきて夏を、ライジングを楽しんで帰った。

「今年も楽しかったね!また来年!」
と、手を振って別れたけど、
来年なんて来なかった。
いや、来年は来たし、ライジングもあったけど、
もう2度と4人で行くことはなかった。
きっと、これから先も4人で行くことはないだろう。

彼らは、今、きちんと大人になって、それぞれの場所で暮らしてる。
最初に仲良くなった彼は、静岡県にある車のメーカーで働いて、二児のパパだ。
海外旅行の記録がメインだったInstagramは、子供との日々に変化した。
きっと彼は、いいパパだと思う。


ヒョロヒョロの男子は、もうヒョロヒョロしていないらしい。
紆余曲折あって、
ねぇ、本当色々あったよね。
元気になったり、元気じゃなくなったり、
色々あったけど、愛媛県で暮らしてる。
元気でいて欲しいなと思う。元気でいてくれよって、日々思ってる。

とても大きな存在なので、彼らのことをよく知っているような感覚に陥るけど、
彼らと会った回数なんて10回にも満たない。
20代のあの頃の、ライジングサンは、
私にとっての日々であり、人生であり、青春だ。
それを共に過ごした彼らは、戦友のような家族のような、特別な存在だ。

もう、2度と同じように、あの会場で会えなかったとして、
もう、2度とあの場所で、4人で笑い合うことが、なかったとしても、

私はライジングに行くたびに彼らを思い出し抱きしめる。
ねぇ、楽しかったよね!
初めてみた聖飢魔IIや、吉川晃司の、衝撃!
The Birthdayの、チバのかっこよさとか、眠りながらみた奥田民生も。

…………

さて。久々に、ヒョロヒョロの彼からきた連絡は、こんな内容だった。

「すーさんの本、買いたいんすけど、売り切れてますよ!どこで買えますか?」

いいよ、あんたにはあげるよ。と連絡を返したけど、買うからいいという。
そのために300冊の増刷を決めて、
今ある数冊をカートに戻したら、
ものの2秒で購入してくれた。

毎日顔を合わせていても、分かり合えない人がたくさんいる中で、
遠くに住んで何年も会っていなくても、私のことをわかってくれようとする人がいる。

私は、そういう人たちに向けて、言葉を綴っているし、
言葉を綴ることで、こんな風に、遠くにいる人と繋がれるのか、と、何度も感動する。

もう彼らとは会えないかもしれないと、
思っていたことを撤回する。

会いに行けばいい。会いに来てもらえればいい。
時代も環境も何もかも変わったけど、
何も変わらない彼らとは、きっとまた、ゲラゲラ笑える。
そういう関係だったじゃないか!


今年も間も無くライジングだ。
私は恐らく1人で会場に向かう。
彼らに写真を送ってやろう。
ライジングだよ!早く遊びに来いよ!って。

「すーさん、日焼けしすぎじゃないです?」

とか、的外れな返信がくるだろう。
そんなところが、大好きなのだ。

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