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手放すことを少しずつ 10日間チャレンジ #思い出編

所有することの満足感から、所有物の多さにもやもやを持つようになったら、やることは一つ、物を減らしていくこと。そんなこんなで先日これを書いた。

思い出の品は最後にするのがセオリーだけど、小さいクローゼットを開けたくて、中に入っている物を取り出したら、まぁこの16年一度も見なかった思い出の品とされるものたちが鎮座していた。(16年前にこの家に引っ越してきた)

すぐに捨てると判断できたのは、友人の結婚や引っ越しのお知らせハガキ(なんでとっていた?)。あととにかく、旅行と人の結婚式の写真がべらぼうに多い。これを見て思うことは、若いわぁ、服買うの大変だったわぁ、この人誰?(たまにある)。
デジカメがなかった時代、写真は後日誰かが現像して、それを焼き増しして、郵便で送ってくれていたんだよなぁ。髪型が、ソバージュに前髪クルン。こういうのを見ているから時間ばかりが経つのだ。
それでも、だいぶ手放せた。

手放せなかったのがこの日記たち。
開いては見入ってしまい、そんなことあったのかと思い出して。

高校・大学時代の日記の一部

高校の頃のは、テストの山が外れて最悪だとか、部活(バレー部)帰りに肉屋でコロッケ食べて帰ったとか。大学になると、サークルとバイトのネタばかり。それとダイエット話がめちゃくちゃ多い。20歳が人生最高に太っていた時だったから。この日記はおもしろいので、捨てずにおきたいところだけど、持っている必要はもうないか。でも今日は捨てられずに箱に戻す。

昔は筆まめだったんだな。箱にもらった手紙(エアメール含む)がこれだけあるってことは、ほぼ同数こっちからも送っていたに違いない。
誕生日カードも結構あった。いまはLINEで送っているメッセージを、カードを買って、書いて、到着日を計算して送っていた、いい意味で手間がかかった時代。

やっぱり思い出の品は処分するのに時間がかかる。だいぶ思い切って捨てたけど、まだ半分くらい。私は思い出を持ち過ぎていたのだろうか、みんなそんなものなのか。

最後に小さい箱から、お守りが出てきた。高校の部活で代々伝わる、謎のフェルト。顧問の先生の顔がモチーフ。ここで公開するシロモノではないけれど、あまりにも記憶が30年前に飛んだもので。

ジャイ先生と呼ばれていたな

そんなこんなをしていたら、6年も会っていない友人グループの一人から連絡があり、来月みんなで会うことに。さっきまでそのメンバーが写った写真を手にして仕分けていたから、LINEが来たのがインスピレーションのような気がして一人にやける。

まだまだ続くよ、手放すことを少しずつ。





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