なんでもない及びなんでもある日々

月曜日

 またはじまったかー。と鏡のなかの自分が言ってくるのは何度目だろうか。最近はもっぱらこの時間になると肩の高さが随分と落ちる。私は化粧が嫌いだ。高校生だったついこの前までは、化粧は禁じられていたはずだ。やけにませていた3年連続同じクラスの友人、ませ子は顔に細工を施しては担任のよしおにこっぴどく叱られていた。よしおの口癖「ありのままがイチバンや」が未だに私の耳と脳のつなぎ目みたいなところで再生される。あの頃、化粧はませ子のありのままを覆い隠す悪のようによしおも他の教師も言ったが、化粧を落としたませ子はどうもありのままには見えなかった。元の一重の目が姿を現すと彼女はうつむいた。化粧をして、自分に自信を持たせた状態こそが彼女にとってのありのままで、ありたい姿であったのではないか―。今、ませ子がどんな生活をしているのか私は知るよしもない。仲が良かった訳ではないし、教室に居るだけの私と、教室の中心で在りたい彼女とのあいだに理解しあえるものはそう多くはなかった。ただ、私が流し場で手を洗っているときにたまたま横に来た彼女が「まつげ長いねかわいい」と私に話しかけてくれたことは今でも覚えているし、その時のことを思い出すとさっき下がったはずの肩がすこしばかり上がるのだった。

 それでもすぐに肩の位置が元通りに直ってしまうのは、私の顔でのうのうと生活するにきび達のせいだった。彼らがここに来てもう10年は経つ。小学4年生の頃、保健たいいくの授業でおばさんの先生がこう言った。「皆さんもあともう少ししたら、顔に吹き出物ができたりしてくると思います。」クラスメイトはみんな私の方を見た。自分に向けられた視線の意味を理解するのはたやすいことで、先生は「もう少ししたら」と言ったのに教室のなかで私だけが「もう」にきびを持っていたからだった。無知な彼らをそれを茶化すわけでもなく珍しい虫を見たときのような顔をして私の顔をじろじろと見た。しかしそれは、皆が望んだオオクワガタではなく、ただの菌に過ぎないと分かったときには、彼らは私を穢らわしい存在として認識した。はじめの頃はその目線に心を痛めたが、そういう低俗な人間とは関わりを持たなければ良い、あるいはへらへらと笑って誤魔化せば良いと子どもながらに学んでしまった。しかし、やっかいなのは仲の良い友人の起こす失態であった。あいにく私は赤いぽつぽつとしたにきびだけでなく、鼻の毛穴を中心に黒く底まで埋まったようなタイプのものまでを持ち合わせていた。だから幾らかの友人は、校庭で遊んで帰ってきたあとに「あ、おこめちゃん、鼻に砂が付いてるよ!」と私の鼻をはたくのであった。なかなかとれない砂の真の正体に気づいたときの親切な友人らの表情に何度申し訳なくなったことか。

 おとな達は無責任にも「あらぁ青春の象徴ねフフフ」と笑い、おとなになれば勝手になくなるよと私を諭したが、ついこの前の成人を迎えた日も私の顔もあの頃とさほど変わらない多くの仲間達が快適そうに過ごす土壌だった。社会のマナーであるらしい化粧とやらをしようと試みても、私の仲間達は頑固すぎるあまり、ファンデーションをいとも簡単に突き破るのだ。これならば、何も塗らずよしおの言うありのままでいようと思ったが、それで学校へ行くと必ず変な目で見られた。今回も私はオオクワガタではない。人を菌と呼ぶほど私の大学の同級生は卑劣ではなかったが、きっともっと簡単な言葉で彼らは私を呼ぶに違いない。やはり、突き破られようが、仲間の住処を濁そうが私は化粧をすべきなのであろうか。私にとって化粧はありのままを覆い隠すものでもなければ、作る道具でもない。私のありのままは、にきびも化粧も関係ないところにある心だからだ。そう落ち着いて、まつげをビューラーで持ちあげた。そのあとスマホに目を流した。待っていた通知はとくに何も来ていなかった。

火曜日

 午後からバイトだ。昨日の夜ははやく寝たが、今日の朝は遅く起きた。6時台に家を出ていく中学生の弟がすばらしい人間に思えた。午後2時を過ぎた頃に家を出て電車に揺られた。電車のなかでスマホを見るのは勿体ない。なんとなくそんな気分だったので、なるべく窓のむこうを見ようとした。イヤフォンで音楽を聴くのも今じゃなくていい。なんとなくいつもそう思うから、基本的に私の耳はいつも無防備だった。スマホを見る母親のもうひとつの手によってゆっくりと揺れるベビ―カーのなかで赤ん坊が泣きわめく。離れた席のおじいさんが赤ん坊をあやす。わざとらしく鞄を中をかき回して絡まった有線のイヤフォンをそのまま耳に差し込む中年の男。母親を睨む若い女に、不穏な目でおじいさんを凝視する3歳くらいの少女。空いた車両のなかで泣き声を皮切りにひとつの、いや複数の物語が広がっていた。世界は、つながりのない断片のつながりだと思った。だとしたら彼が私にLINEを返さない断片とつながる断片は一体何か、舌を定位置からずらしながら考えた。

 バイト先の喫茶店『ビーナス』で、店員をする。コーヒーが売りのカフェだが私はコーヒーが苦手だ。ただ店の外まで溢れ出るじいちゃんとばあちゃんの知恵の集い場としての役割を果たしそうな雰囲気が妙に気に入ってしまったがためにここで働いている。知恵が集うかは別として彼らの話は私にとっては面白かった。

 「灰かぶり姫の主人子は、美人だった。だから王子に見つけてもらうことができた。でもドレスを身に纏っていなきゃ舞踏会へは行かれなかったし、硝子の靴を履いてなきゃ王子と結婚することはできなかった。そのドレスと硝子を用意したのは、仙女でしょ。素敵よね。私は仙女になりたいわ。」  「シンデレラの懸命な態度を人は褒めるけれど、褒められるべきなのは彼女を助けた仙女よね」と言うわけでなく、シンデレラを下げることはせずにあるおばあちゃんは仙女になりたいという夢を語った。彼女の目の輝きは忘れられないし、その日から私はシンデレラや姫だけでなくその立役者にも憧れるようになった。ビーナスは誰の夢をも光らせ、自由に語らせた。だからこのバイトの日はいつも心のなかの川がきれいになって、家路につく。

 しかし帰宅して、うんざりした。合理主義を装う非合理的な父親が今日も戯言を吐く。この人の話を聞くよりビーナスに詰まった紳士淑女の夢を聞いていたい。今こそイヤフォンをする時だと思って、自室でそれを耳にはめた。私のも絡まっている有線のものだ。尾崎豊のプレイリストを選ぶ。川は大いに氾濫した。

水曜日

 登校日。作文の授業のある2限をめがけて学校へ向かう。ペンネームを用いて作文を書き、受講生同士で読んでは感想をおくりあう授業だった。私は、ちりめんじゃこというペンネームの人の作文が好きだった。ラジオネームを思わせる名前をしていながらに、物凄く繊細で読んでいると生ぬるい風に包まれるような文章を書く人だった。「灰色の雲は重く、傘を打つ雨はその重さから解放された数少ない幸運な奴だった。」天気をこんな風に切り取るちりめんじゃこに夢中になった私は、ちりめんじゃこの正体が分かった日、とってつけたような理由を真剣な顔で言いながら彼のLINEを獲得した。LINEでの「リン」は詩人ではなく、むしろ間を使いこなす役者で、拗れたちりめんじゃことはひと味違うタイプの人間で少し落胆した。でもきっとリンのなかのありのままの部分を生きるのがちりめんじゃこで、ちりめんじゃこはリンの心の代弁者なのだと勝手に腑に落とした。

 今日も、ちりめんじゃこの作文に惚れながら授業を受けた。授業後話すこともなく、簡素な会釈で済んでしまう関係性に勝手にため息がでる。ため息が多くなったのは、恋をしているということみたいだ。「おこめちゃん、話あるんだけど…」今学期になってから話すようになったあい子ちゃんがみぎうしろからやってきた。ませ子を彷彿とさせる派手な化粧とあい子といういかにもな本名をそのままペンネームにする姿勢に勝手に偏った先入観を抱き、私はあい子を避けていたが、話してみるとその高飛車で自我が強そうというイメージはみるみるうちに崩れ、愛らしさだけが残るあい子に申し訳なさを感じた。「なにー?」いつもの調子で尋ねると、あい子は「私、おこめちゃんが好きよ。」と言うものだから、「なに急に、!私もすき?だよ?」慣れない友情表現に戸惑いつつそう返した。しかしあい子は、「じゃあ付き合って・・・」自分のつま先に焦点を合わせてそう言った。え?私はさっき以上に戸惑った。彼女に対しての先入観はとっくの前に払いきったと思っていた。全く払い切れていなかった先入観が、思い込みの「あたりまえ」が、音を立てるように崩れていった。自分の未熟さと偏見に嫌気が差すよりも先に、今この場をどうしていいのか分からず、あい子のことを見たまま固まってしまった。

「ごめんねっ。急に戸惑うよね。ふつう、こうじゃないもんね。」

 あい子はそう言って、悲しそうに微笑みながら帰って行った。あい子ごめんね。私が勝手に思っていた「ふつう」は間違っていた。っていうかそんなものは存在しないんだった。電車のなかで涙が零れた。世の中のすべてが覆されたような心地で、外をふる雨を解き放たれた幸運な奴と捉えるちりめんじゃこが自分より幾らか世界を知っているように見えて、辛くなった。去年の暮れから喧嘩したままの両親の気持ちも、私はなにも分かっていないのだと思うと、自分の帰るべき場所が家だというのも思い込みで、幻想なのではないかと不安になった。案の定、家に帰ると長らく口を聞いてこなかった正気ではない父親に「はやく出てけよ」と言われた。これからこの世界に居場所を求めに行くのは、随分と、随分と、億劫だった。

木曜日

 目を思い切り腫らして朝を迎えた。たぶん、あまり眠れなかった。暗い気分の夜とか急に不安になる深夜には、適当に底なしに明るそうな映画を選んでつけた。でも決まって、作られた明るさに嫌気が差して、泣けそうな映画を選んでつけなおす。昨日観た映画の名前は覚えていないけど、たしか家族にも友達にも裏切られたひとりの少女が運命の出逢いによって人生を立て直すような話だった。私は、ひとりの少女に同情して泣いた。泣いて泣いてすっきりした。いつの日かそれなりの年になったら、昨日のことはビーナスで語って笑い飛ばそうと決めた。今は、飛ばせない気持ちだったのだ―。

 今日は、なんにもしない。それでもだれも怒らないだろう。大好きなエッセイストの本を3ページ読んでは辞めて、大好きなお笑い番組を3分見ては辞めて、自分の将来について5分考えては辞めた。寝間着のまま、自室のベッドに倒れ込んで外の光の色の変化を楽しんだ。日が昇り、日が沈み、また日が昇ることを私は疑えなかった。

金曜日

 「ただ酔ってただけだからさ。気にしないで。」「ごめんね。」独立したふたつの台詞を母は私に言った。母の手作りミネストローネを無駄に冷ましながら胃に流す。この一年で幾度となく聞いた「ごめんね」が苦しかった。トマトの酸味もジャガイモの甘みも感じないほどに、わたしの口の中はいつも苦味で埋まっていた。「謝らないでよ。はやく終わりにしようよ。」そう言ってこの一年私は離婚を促し続けた。しかし両親は共に離婚という選択に踏み切らず、最も苦しい状況を自分たちで作り上げていった。その「最も」が彼らにとっては離れた先にある状況なのかもしれないが、現状のなかだけで選ぶのであれば今が「最も」苦しいに違いない。だったら、その状況から抜け出す方法をいくつか考え、試すべきだが、彼らは一歩も動かなかった。私にできることは限られていて、もうあらゆる手を尽くした。母が望むのは、私がこの状況を気にしないで自分の人生を楽しむことだった。「外の世界は難しいんだ。なんか疲れるの。人生は楽しいよ。」私はいつも本音の言葉で伝えた。高校を卒業して、社会の暗黙のルールに沢山出会った。人と人を結ぶ糸が案外脆くてすぐに切れることも、一度絡まったら解くのが難しいことも、一気に学んだ。年相応にマナーは身につけているけど、年相応ではない力を持っていることが偉いと言われることも知った。

 そもそも喧嘩の原因は何だったか―。原因を徹底的に話し合って、妥協ではなく同情と共感と何度も繰り返すべきだった。しかし、大人はそういう努力を省いて、自分を正当化するための理由ばかりを探す。そんな大人にはなりたくないと私は思うのに、私も自分を正当化することで救われている。

 適当な服を着て、にきびを隠さない程度の化粧をして、散歩に出かけた。自分の人生に出てくる人達をぐるぐると思い出しながら歩いた。最近は、誰かを想うばかりで、自分の感情を忘れがちだった。作文の課題で小説を書き始めた頃、「学生らしくて青臭い体験と感情は面白いけれど、その淡々とした羅列では登場人物の成長が見えてこない。彼女が成長する過程を私は見たいのだ。」という講評を先生からもらった。あい子は「知ってる感情ばかりで共感した」と言って、ちりめんじゃこは「今しか書けない言葉なのに、どこかの御老人が語っているみたいで、気に入りました」と言った。大人は形が変わっていくくらいの成長を求める。何でもない日常の何でもない生活をなんとかして送っていることのなかに心の成長があるということを認めてくれてもいいと思った。外から成長がみえない時期の藻掻きや足掻き、停止、後戻りの全てが成長だと言ってほしかった。世界へ叫びたい思いを常に持ちながら慎ましく生きているんだ実は。そろそろまた年が暮れるらしい。叫べない思いを今年に置いていくか、来年に持っていくか迷っているところだ。

土曜日

 何も変わらない1日のはじまりだ。これは失望か本望か分からないまま朝を迎える。思いよらない言葉に表情筋の動かし方に悩んだ。

「おわりにするね」

母からの一言。

「うん、たのしみだね」

明るく言った。未明の感情が涙となって表れた。安心。悲しみ。安堵。悔しい。辛い。嬉しい。不安。恐れ。希望。どの感情の定義もとっくの昔に知り得ているものだと思っていたけれど、それぞれの感情の意味さえ正しく分からなくなったし、それらの言葉の外に今の感情があるような気がした。

 でも、とびきりに明るく跳ねる心がいた。きっと憂鬱な時間は少しばかり晴れるし、何もかもが新しくはじまる気がした。変化のない時にも成長を認めて欲しいとかねがね思ってきたが、自分だって自分の変化を欲しているのだ。

「今日からどうする?」

「明日は日曜だけど何する?」

知らない感情にはワクワクするし、知っている感情だって何度味わおうと飽きない。なんでもない日々がまたやってくる。

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