全ての性的嗜好を肯定する「正欲」の世界で唯一肯定されなかったもの
これは映画「正欲」を観て思ったことがあったので書きました。本編の情景を一つだけ切り取ってます。映画を観た人の方が読みやすいと思います。
小児性愛。
水フェチの人は小児を傷つけていないことを主張した。
でもそうできたのは性的対象が水だったからだ。
運がいいと言ってしまえばそれまでだ。
小児が恋愛対象だった人はいつか小児を傷つけてしまう恐怖に苛まれ続けなければならない。
正欲で性的嗜好が多数派じゃない人の生きづらさは日常に潜んでいることを知った。些細な会話さえ噛み合わない。でも、法を犯さずに欲求を満たすことができた。
でも、性的対象が小児だと欲求が満たされること=法を犯すことであると思う。小児が心から性的同意をすることはないと思う。映画でも一度はお金とその対価の行為として契約を結ぶものの、行為に及ぶ瞬間に小児が拒否するシーンがある。
私の恋愛対象が小児だったらすぐ死んでいたと思う。辛すぎるから。
でも今の世の中にはそれでいて死ねない人もいる。
小児性愛の人の中には大人の女性は怖いけど小児なら怖くなくて、性的嗜好は人間で結果的に小児を性的対象にしてしまう。という人もいる。
そのような人は性的対象はマジョリティーなので大人への恐怖を取り除くことが解決の糸口になると思うのだが
大人は怖くないけど恋愛対象が小児だという人もいるのなら、社会はどんなことができるのだろう。