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料理もしなかったわたしが恋した「食」の世界

新卒でカフェ・カンパニーというCAFEをつくる会社に入り、今は4年目の冬。まさか4年も続くなんて!と周りのみんなにはびっくりされるけど、同じ場所で考えつくり積み重ね続けることでしか生まれない価値に気付き、今ではここにいる理由がいくつもある。

会社では主に新規事業の企画やコミュニティデザインをしてきた。だけどこの会社に入ったとき、私は「食」というものに興味があったわけではなかった。そんなことわざわざ言わなくてもいいのだけど、自分の中ではなぜここにいるのかということに深くつながることで、入社してからはずっと自分が「食」に携わる意味を問い続けてきた。

私はシェフでも料理が得意な女の子でもない。まして忙しくなると食べることを忘れてしまうような人。だけどそれでも「食」の世界で出会う人たちに強く惹かれ、そこから広がる世界とその循環には本能がくすぐられるほどの何かがあった。

ずっとその何かがわからなくて、いまいち自信を持てなくて、自分の仕事のことを自分からどう話していいのかピンときていなかった。

だけど最近やっと自分の意志を持って、私は食に関わっていて、私は食から未来を考えていて、私は食から未来をつくっていこうと思っています。と、言える気持ちになった。

それはコロナをきっかけに一気に社会が変化し業界の常識が崩れ、未来を見つめたとき。今やらなければならない!と強い使命感のようなものに駆られ、もはや逃れられない渦の中に突入してしまい始まった新規事業の立ち上げで動いたときだ。

この事業の立ち上げをきっかけに私は出身地の大阪に「食」という視点で出会い直すことになる。そのときにとてつもなく深く熱い大阪の魂にふれ、涙が出そうなほど感動的な出会いに恵まれた。

実はそれまではどうしても東京に馴染めない感覚がぬけず、もどかしい気持ちで過ごしている時間が長かった。だけど大阪に帰って、大阪の食の文化を守ってきた方々に出会ったとき、心が開放され自分の中のエネルギーが全身を巡り周りの人に伝染していくその熱を久しぶりに感じた。

ああ、私は「食」というものに人生をかけて生きているその人たちの生き様が大好きなんだ、とそのとき思った。

自分が好きだと思う人たちの好きなものが食だから、私は「食」の仕事に巡り合って今もこうして続けている。人が好きで、誰と生きるかというのが人生の大きな軸の私は、そのときやっと、今ここにいるということに自分の中で強い意志が生まれた。

食べて、祈って、恋をして。

これは食には関係のないある映画のタイトル(笑)だけどなんだかとても気に入っている。「食」は生きることそのもので、生命そのものにとても近い仕事。食べるというその行為は「祈り」のようにも感じるから。

自然や微生物、地球の呼吸と対話して命を育む生産者さん。それを料理するシェフ、そして食べるその瞬間。そこから生まれる会話からは未来がつくりだされ、さらにそのあと食べたものは身体をめぐり自分をつくるひとつになっていく。

「食」というものが生み出すこの神秘的な世界に、私は恋をしているんだと思う。

食べるということは日常的なもので慣れているからこそ、無意識に適当に済ますこともできる。だけどもっともっと大きな可能性や社会のなかでの価値も秘めている。また日本という国において「食」とその周りにある文化的な価値には計り知れない可能性と希望がつまっているように思う。

もちろん問題はたくさんあって、明るい話ばかりではない。特に今は業界的にもとてもとてもとても苦しい状況。

だけど、だからこそ「食」というものから改めて未来を見つめていきたい。

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