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ボーっとしていると涙が出てくるので

いまいったい何に悩んでいるのかよくわからなくなってきたので、整理してみようと思う。

自分を整理したくてnoteを始めたのに、別の理由ですぐに筆が進まなくなった。でも今日は時間もあるので書いてみようと思う。

 今月いつも通っている中医学専門病院で診察してもらっていたら、診てもらっているうちに涙が出て止まらなくなった。以前もそういうことがあったが、そのときは仕事がうまく行かなかったなど、理由があってのことで泣いていた。今は特に問題も無いのに診療中に先生に脈を測ってもらっている間、横になって天井を見上げたら涙が出て止まらない。特に今なんて仕事も家庭も何も困ることなんてないし、子供のことで多少のストレスはあれど泣くほど問題なことなんてない。しかし、今月も含め前回、前々回の診療中も謎の涙を流し続ける私に、先生は「心療内科へ行って、お薬もらってきたほうが楽になるわよ。」と優しく教えてくれた。謎の涙はいったいどこから来るんだろうか。
 そういえば、最近昔のことばかり思い出す。
 それは前職場で嫌な環境に対抗しようとしてがんばっていた力が一気に抜けて今度は自分で自分を攻撃しているようだった。しかもその攻撃方法が自分でも言うのもエグく、過去のどうしようもないことを頭で引っ張ってきては、始終それと戦っているようだった。仕事が終わった帰り道、家事をしている最中など、ふと過去のことを思い出しぼろぼろと涙が出る。学生時代に母親から「子供なんか生まなきゃ良かった。」って言われたこと。父親の無駄な怒号におびえた恐怖、その怒りと悲しみ。今までにそれを思い出して時々泣くことはあったが、確かにここ3ヶ月はその頻度が増えたように思う。
 そして、「過去なんだからしょうがない。今は前をみるべし。」と、一旦過去で自分を追い込むのを止めてみるものの、今度は未来からの追い込みも始まる。環境が自分を脅かしてこない「無ストレス環境」状態はいいのだが、その状態の自分は一体何をがんばったらいいかが分からなくなった。最低限仕事はがんばるとして、そのほかに何をしたら自分は満たされるのかが言葉に出てこなかった。夫はフルタイム。私はパート勤務。夫のおかげでそこそこに生活できて、趣味活動もできるような余裕のある時間や家計が整い、子供の面倒もほどよく見ていけるのだが、そんなささやかな日常の中にいても、「では自分は何がしたくて生きているのか。」という人生の問いがどこからともなく襲ってくる。そしてその答えがでてこないし、いつもの日常を過ごしていることに自責感情が産まれる。趣味の好きな映画を見ては感動し、ゲームをして子供と盛り上がるような、今ある幸せを確認しても、心からそれに満足していないようだった。子育て中なのに人生を突き詰めすぎているのかもしれないが、まるで「タイムループ」のお話の中に迷い込んだ主人公のような無感動、無力感を味わっているかのような感覚。私の場合は日にちは進んでいる、子供達も育って母親としての喜びを得ているはずなのに、世界に何の働きかけをしても周りは周りのペースで進んでゆくが、自分だけその先に進めないような無限地獄にいる感じ。それは暗い過去にいたときの感覚に近いので、単に過去を引きずりすぎているのかもしれない。
 
 20年前はそれを一旦捨てて、社会に出た。結婚もして出産し母になり私は積極的にライフステージを進めた。結婚後も何かと厄介だった父も昨年に他界。母がいる実家も弟が近くに住むのでそれほど通わなくてもよい状態である。それでも再び過去に引きずられているのはどういうせいなのか。もしかしたら「一旦捨てる」という行為は、「また使えるかも」って倉庫に本当の気持ちを置いておいただけかもしれない。そもそも過去は私を作ってきたものの一部なのだから、「嫌だ」って焼却炉に捨てても完全には燃やしきれてないし、ずっと残りかすが心のどこかに残っているものなのかもしれない。

 過去の死にも値する記憶が強烈に後も引っかかってしまうのは、人間誰しもそうなるのだろう。子供の頃の家族とは一番身近な社会であり、血の繋がりもあって最初から絶対信頼する人物だと遺伝子的にも組み込まれているのだろう。そんな存在から「あんたなんていなくていい」なんて言われたら、そりゃ誰も「自分の存在いらねぇんだ。」って、人間誰しも悲しくもなるし無力感も発生する。大人になれば傷つくことはあっても、その言葉に反発を覚えてその人を信用しないだけだろうが、何でも信じる力があった子供は、呪いの言葉のように「ああ、いなくて良かったんだ」って嫌でも信じてしまう。 おまけに私の親は当時、そいういう「子供は産まなきゃ良かった」空気を反映した態度で一緒に暮らしていたので、ただ家にいて、両親と生活しているだけでもなぜか苦しかった覚えがある。
 
 悪かったのは自分ではないのに、苦しいことも苦しいと言えなかった中高学生時代。その頃の私は太っていて服がパツパツで自分を醜くて鏡も見たくなくて、当然学校のクラスでは「のけ者扱い」されたこともあり、家庭と社会の全てに居場所がなかった。居場所がなくて苦しいのが私の人生であっ て、「気楽で、好きなことをし放題で、おしゃれも人間関係も楽しい学生時代」なんて、今で言う学校カーストで上位にいる、ほんの一部の人達だけだと思っていた。またそのステージにいなくても、ありのままで気楽に過ごせているクラスメートや友人を全く羨ましいとか思ったことも無い。学校の人たちは私を傷つけてくるか、こっちをあざ笑っているんだろうな、という認識しかなかった。と、いうのも「デブは人間的に下位ランクである。」という残酷な世の中の認識から、「自分は太っているから、見た目を楽しめる人生は過ごせないんだよ。」と社会に言われているようで、自分の容姿に興味を持つ10代に、私は全てを諦め、何もしないままおしゃれや美容の楽しさなぞ一切味わえなかった。思い込みが強くて、やりたくても「どうせ」と思って、味わうことを禁止していたのである。

 なんにせよ、家でも学校でも誰かに傷つけられる気がして、無意識に外の目が私を見ているような感覚があり、どこにいても「あいつはデブで変な人だよね。」って思われているんじゃないかと日々不安で緊張していた。実際は直接的ないじめは無かったのだが、周りのささやかな対応から「自分は不要」な空気を無駄に感じ取る癖ができ始め、人に対する信用も薄く、信用できない人達に囲まれて苦しいというより毎日頭がずっと疲れていた。(「本当はクラスの奴らが一番クズなのにね!」って過去の自分に言ってあげたい。実際同情してくれる友達もいたけれど、自分でも過去の卒業写真なぞ見ると親心でも可愛いとは思えない風貌だったのでそこは仕方がないかな、なんて思うが。)

 家庭のことは親がおかしいなどと異常だと思っていなかったし、自責が強かったので、親同様に「あなたが悪い。」と言われたくない私は当時の友人らには家の事を何も打ち明けなかった。今は色々ハラスメントという言葉も一般化しているが、30年前は全く家庭の問題なんて公には晒してはいけない雰囲気があった。(あっても家庭内暴力などで、親が悪い、という原因追求より、荒れる子供の様子ばかりにフォーカスしていたように思う。)友人らには信用はしていたが、「彼女たちに嫌われてはいけない」と思っていた私は、どこか気を遣って本音で生きてない感はあった。相手が機嫌を悪くしたら怖いので、なるべく怒らせないことを言ってたし、明らかに相手が勝手でこちらが理不尽な思いをしても、私は反論する言葉も出ず、何も言えなかったし、「それは…だよね?」と「ちびまる子ちゃん」の「たまちゃん」のように、一切怒らなかった。たとえ仲良くしてくれる人がいても、その子が別の子と笑いあったりしているだけで、「やっぱり自分はその子の友達じゃないんだ…。違う子の方が大事なんだ…。」と勝手に落ち込んでもいた。

 親の態度で人を信用しなくなり、信用したい相手には本音が言えない。常に自分が悪いと思っているし、周りからも嫌われているように錯覚して一人疲れていた。(厳密には疲れていたことすら若さ故に無かったことにできた。)好奇心が沸いて興味があったことも、周りからの目を気にして諦めることが多く、常に周りを見てはそれに合わせたり、「私はこれが好きなんだ。」と思い込んでいたところがある。
 全て言葉にすると良いことが無さ過ぎるのだが、これが自分なんだと、自分自身への意識が形成されていく思春期にどんどんそのねじれがひどくなって成長していった。一つの悩みすら人に話すのも何だか相手に悪い気がして、どんどんその問題が自己内在化していく。先に書いた私のどこにも行き場のない無力感、無感動な状態はここに由来しているのだと思う。




書いているうちに筆がのってもっと書けそうなのでたぶん続く。


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