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涙の理由が聞きたくてオンラインカウンセリングを受けてみたこと

 一人でいるとふとした時に出てしまう涙。その理由が聞きたくて、初めてオンラインカウンセリングに話してみる。「嫌なことがいま何一つないのに涙が出て来て仕方ないんです。」の相談から始まり、30分以上自分の家族関係、これまでの過去の話もざっと話してみる。高校生の頃に母親からの存在否定の言葉を投げつけられたことから父の病気が原因で家族が機能不全になった実家族の歴史、現在の家族関係までのこと。
そして直近の「トイレのポンプが詰まって直せないだけなのに、惨めな気持ちになって大泣きして助けを呼んでもなかなか帰ってこない夫を責めてしまった」という、一見夫婦で起きそうなくだらないエピソードまで、思いつく限りを吐き出すだけ吐き出した。

 そして、それまで何もコメントをせず、ただ話を聞いてくれたカウンセラーは意外にも、そのトイレエピソードを拾って
「それは…きっと心細かったんですね。」
と言ったのだった。

 専門家でなくても言いそうなその言葉をカウンセラーが何気なく言っただけなのだが、今でもそのキーワードを聞くと涙が出そうになるくらい、言われれてグッときたのだった。なぜだろう。

「心細い。」

「心細い」=「心が細い」と聞くと、今の胸が詰まりそうな気持ちを表すにはピッタリで、なぜそれに気づかなかったのか。的を得すぎてそれだけでこのカウンセリングに満足してしまうくらいだった。

 子供の頃から私が悩んで苦しんできたことを客観的に見たら、当たり前に言える私側の感情の言葉のはずだったのだが、今まではただ「悲しい」ばかりが先行して、それ以上に自分の寂しい感情を表す言葉は出て来なかったのである。今までを思い返してみるに、それは私の語彙力の問題でもなく、奥に潜める感情をもっと知ろうとしなかっただけだ。

 私が子供から大人になるまで、ずっと周囲に合わせる社会性を身につけるのに必死だった。しかし自分でも気が付かぬうちに心は細く、消えてなくなりたいくらい寂しい気持ちが煙のようにずっと滞留していたらしい。

 両親関係の不和を感じていた幼少期も、太っていたことで見下されたような態度を受けてきた小中学時代も、猛勉強の結果学年トップを取っても母が全く認めてくれなかった高校時代も、ずっと私は自分の心細さを見ないで生きて来た。自分が傷付いたときは、そういう態度をしてくる相手の心情ばかり考えていた。理不尽に怒りをぶつけてくる相手に対して、「なぜ理不尽な態度をしているのか」という相手の心情を理解することで問題を収めようと頭の中は必死で、自分側の胸の内側にある本当の感情に全くフォーカスできなかったのだと思う。辛かったよな、私。

 母親が家でイライラして不機嫌だった当時は、母の機嫌が悪くしている状況を変えるべく、母の機嫌をとれるように自分の意識を変えようとしていた。学校の勉強、与えられた課題において、何某か優秀であることで母の機嫌を変えたかったし、周囲の印象も変えたかった。
本当は誰も自分を認めてくれない寂しさと心細さを感じていただろうが、私の感情は何も価値がないのだろうと思い込んで来た。母親など、目の前の人の感情が大事で、自分の感情は二の次とするうちに、自然と自分の感情を味わえなくなっていた。当然自分の感情を知らないので外に言葉として出すこともできず、「心細い」という言葉をかけることも知ることもなかった。

 大人になって、何度も両親や心無い人たちに傷つけられた過去を思い返しては泣いていたのに、「心細い」は全く知り得なかった感情の言葉だった。そう感じる度また涙が出る。相当その言葉が気に入ったんだね、自分よ。

 「トラウマ復帰には自分の感情を深く味わってみることが大切」と、どこかのトラウマ本に書いてあった気がしたが、「だからなんなんだよ」とその心理法をどこかへ投げつけたくなるように思っていた。自分の感情を知ったところで何も解決しないと思っていたが、悲しみのその先の「寂しい」気持ちを認識し、再び感じるだけで意味があることのように思う。

 今まで「悲しい」を十分味わい尽くしたつもりであったが、その悲しみにも理由があり、「心細い」はずっと自分の胸の内にいたはずなのに、自分の気持ちに寄り添うことを素直にできない私は、寂しさや心細さがどういう心の状態なのかもわかっていなかったのかもしれない。」悲しい」状況ばかり思い出しては泣いていたが、「なぜ悲しいのか」という自分の心の状況を表す言葉は一言もわかっていなかった。
新たに自分の辞書に「心細い」が追加されたことで、やっと自分自身を知ったし、素直に感情を感じて吐き出しても良いことを知ったのである。それは新たな自分の面を知った喜びとも繋がるように思う。思い返せばいつだって感じる心のモヤモヤには「心細い」「寂しい」気持ちが結びついていたのだから。

 カウンセリングは先生のアドバイス含めて1時間だった。涙が出る時はいつも昔のことを思い出してしまうことから、「複雑性PTSD」の疑いもあるとか、アファメーションなど心理学的な改善策もいくつか教えてくれたけれど、その知識よりもいまは「心細い」の言葉を知っただけでなんとなく特効薬を得た気がする。

 これを書いている私は未だ「心細い」と聞いただけで涙が出てくるくらい感情の浮き沈みが激しいほうなのだが、今まで得て来た社会性でなんとか家事も仕事もできてはいる。  
でも一人の時は、寂しい気持ちに寄りかかってずっと泣いていても良いと思う。今まで味わえなかったぶんだけ、時間を無駄にして感情を味わっても自分の感情を大切にした証なのだから決して無駄にはならない。泣きたい時は思いっきり泣こう。

カウンセリングで気づいたことはまだあったので続くかもしれないし、続かないかもしれない。

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