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先週夫と喧嘩したこと

私のnoteは、ほんとうは日々の幸せを書こうと初めていたのに、全くもって私の暗い過去とか嫌なことばかり書いている。
でも一見、家庭を持って幸せに見える人たちでさえ、誰だって何かしら暗い部分があるのだろうから、私はただその面をここに出しているだけだと思いたい。私も仕事があり、子供が2人いて、働きものの夫がいて、一見幸せそうには見えるんだ。

でも、職場でも周りにいる人たちでも、もっと暗い部分をえぐって外にだしちゃえば、こんな「つらいことの多い世の中をグッと堪えて生きていくのが人生だよ。」なんて義務教育の頃から言われている人生の馬鹿げた通説なんて無くなるのにな…とは思う。
先人達はなぜ自ら感じた感情を封じ込めることが「善」なんて思っているのだろう。

先週、夫と喧嘩したのはそのような内容である。

今年から小学生になる息子を、どういう方針で学校に通わせるかで夫と朝からもめた。
小学校の宿題や次の日の準備を初日からサボってゲームをしている息子。宿題サボったらどうなるかなど、私が色々と話したけれど聞く耳を持たない。「息子は一度宿題を忘れたらどうなるか、経験しなくちゃ分からないほうだろう。」と悟った私は翌朝登校する直前まで私は放っておいた。
翌朝、それに気付いた夫が私に「放置は良くない!」と怒り出した。(「放置」じゃねえだろ。)やらない息子が怒られず、なぜ怒られるのが私なのか。

息子にいろいろ言い聞かせようとしたけれどやろうとしないので、「一回学校で怒られてから気付くしかなくない?」と言ったら余計に夫に怒られた。
そしてとどめに「あなたの過去がそうだったからって、そうすんなよ。」と、私の過去(※以前の投稿参照=ほぼ機能不全家庭のトラウマ)を持ち出して、こちらにダメージを与えてきた。

夫からいきなり怒られ、しかも過去のトラウマを持ち出し発言をしてきたので、私もびっくりして子供の前で泣いてしまった。その時点で頭の中がぐちゃぐちゃになった。夫は泣いている私を無視して宿題をその場で息子にさせ、ランドセルに教科書を仕舞っている。ショックで泣くのが止まらない私は夫を自動的に罵倒している。「ここで過去のこと持ち出す意味が分からない!」と。
夫は子供の準備を怠った私にこうした罰を与えたかったらしい。こういう時に夫は相手に何を言ったら一番ダメージを与えられるかを知っているので、いともたやすく人の心をかき回す発言ができるのだ。
(夫は小学生からきっとこういう性格だったようで、私は本当に性格悪い人と結婚しちゃったんだなぁと、夫との喧嘩になった時、いつも静かに結婚の失敗を感じている…。その逆も然りで、私も性格がかなり偏屈なところがあり、お互い似たもの同士ではあるとは思う。)

夫と息子が小学校へ家を出て、娘も中学校へ行っても、私はそのショックで泣き続けていた。最近過去のことを思い出す機会が増え、そのたびに泣いている。しかし仕事と生活を動かすことは止めていない。泣いて落ち込んでいても家事や子供の世話の手は止めずに忙しく動いていた。
だのに、夫の痛恨の一撃で「私が過去のことに囚われて、子供の世話をしていない。」という烙印を押されたような気持ちになった。毎日積み上げてきた生活がガラガラと崩れたようだった。

傍から見たら相手の言葉にここまで敏感になる必要もなかろうが、私は今まで夫にそういう言葉しかかけられていないし、過去にも自分を否定する言葉ばかり受け取ってきたので、現実を見ないで頭の中でどんどん悪く考える癖がついている。

もはや、「子供が課題をやらない問題」と、「課題をやらない息子を私のせいにする夫の問題」と、「過去のことを言われると過剰に反応してしまう私の問題」が、泣いている私には混在しすぎて、どの糸を解いたら解消するのかもその場ではわからなかった。とりあえず泣くだけ泣いて、自分のメンタルを解放させた。

夫はただ、「親が子供に学校のことをさせるのは親の義務」という自分のルールを母親である私にも強制的にやらせたかった。「やってダメだったから、子供に任せる。」は言語道断らしい。
「学校の課題は子供と先生との約束なんだから、最初くらい間違えてもよいいのでは?」と、子供に「自分の判断でしたことが、自分にも良くない結果になった」という経験をさせてもいいのにな、とは私は思ったのだが。
子供を小学校まで見送った夫が帰宅し、私は泣きながらそう演説しても夫は聞く耳を持たなかった。
「だったら、あなたの言うことをすんなり聞いてくれる相手と結婚してください。」とまで言ったが、「子供のためにも母親である私が傍にいないとダメ。」と返された。全ては夫の思うとおりにしないといけないらしい。

しかしながら、自分の思うとおりに妻が動かないからと、関係のない私の過去を持ち出して傷つけるのは、こちらを理解していないし、理解しようともしていない現われだ。
そんな人の言うことなど、反対意見をもつ私がなぜ従わなくてはならないのかと苛立って来、「相手に嫌なことを言ってダメージ負わせる相手の言うことなんて、絶対に聞かない!」と言い張って、夫の思うとおりには聞かない意思を表明した。

今までだったら夫の言うことは全て正解だと思い込まされて従ってきたほうなのだが、世の中の社会の意識の変革に、私も考えさせられて当たり前の思考も変化するようになった。夫の言うことは正解かもしれないが、私の意見だって相手に尊重されても良い気がしてきたのだ。(いきなりウーマンリブ的なのだが。)

途中、私がテーブルを蹴って足に打撲を負ったり、お茶を入れたピッチャーに怒りをぶつけ、言葉にならない悔しさを物に当て、夫と話し合った結果、
喧嘩の発端の「子供が学校の課題をやらない」という問題が解消されるまで、私は自分の思うとおりに動いて、夫も夫が思うように動く、ということになった。すなわち、「子供の宿題などは夫が面倒を見る」ことである。私も普段どおり声はかけるけれど、夫からの命令に従わずに済むことになった。
今までの私だったら「子供のために」で夫の言うことを聞いてきたけれど、今回は泣いてでも私なりの正解を相手に突き通すことができた。
私のわがままを単に夫が諦めて受け入れた、ということなのかもしれないが、そんな自由すら叶わなかった結婚生活の13年間だったとも言える。

その日の私の一番の後悔としてあった、「子供達に私の大泣きと罵倒を見せてしまったこと」は、帰宅後の子供に謝った。相手の感情を過敏に気にするような性格の子供達ではないのだが、経験上ものすごく嫌なことだったので、子供が忘れていても謝る姿勢は見せたかった。

課題やらない問題は、その翌日から子供が通っている学童保育の時間で終わらせて来ていた。自動的に親が目くじら立てる必要もなくなった。

私の過去に対する執着は、まだ対策ができていない。夫とまた同じような喧嘩をしたら、また同じように泣いてしまうのだろう。病院へ行くのが手っ取り早い気がしているので行くけど。

長くなってしまったが、そんなこんなで子供と新生活を始めています。(なんだか平和な終わり方。)






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