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不安障害を発症した記録。ようやく気がついた大切なこと


今年の4月、晴れて銀行員3年目になり、そして不安障害を発症した。


二度と同じ失敗を繰り返さないように、また同じ症状で苦しんでいる誰かのために、今感じていることを正直に記録する。


不安障害は、アメリカでは今や10人に3人以上発症しているほど、誰にでも起こりうる精神疾患。


私の場合、症状は数分間、長くて数時間に渡り、異常なくらい不安な気持ちになり、「どうしよう苦しい・・・」と心の中で必死に助けを求めるような感じ。身体にも症状が出て、動悸、胸焼け、過呼吸、手足の痺れなど様々な発作が起こる。

怖いのは、いつどこでその症状が起きるのか分からないことだ。仕事中、大好きな友達と一緒に遊んでいるとき、電車に乗っているとき、本当に読めないのだ。


今思い返すと、不安障害の初期症状のサインは幾度となく出ていた。朝出勤すると何故か涙が出たり、吐き気がしたり・・・ 
ただ我慢すれば治ると思い、特に気にせずに仕事を続けていた。

そしてある日、上司に「あなたは人を苛つかせるの」「何言ってるか分かんない」「あーもう本当に無理」と怒鳴られたことがとどめとなり、私も仕事が無理になった。

今まで、しょっちゅう怒られていたし、時には「〇〇大学出身なのに何故出来ないの」みたいな酷い悪口も平然と言われていた。その度に耐えて来たのに、それなのに一瞬でダメになってしまったのだ。



そして恥ずかしながら、体調を崩してからようやく、自分を労る大切さを学んだのだ。今まで自分の偏った考え方のせいで、労ることを知らなかった。


私は学生の頃から自分に対して厳しく、「置かれた場所で咲きなさい」という言葉をモットーにしていた。

弱音は吐かない、周りのせいにしない、努力し続ける。

そんな真面目な自分に、学生の頃は満足していた。自分に自信もあった。学生は勉強で評価されるシンプルな評価制度だし、勉強って努力したら結果に繋がりやすい。


それが社会に出ると、「出来て当たり前」とされることが多く、褒められることなんてほぼない。銀行の事務なんて、正確なことが当たり前だから、評価も減点方式だ。
仕事への適性だってあるし、頭の回転の早さ、要領のよさ、立ち回りのうまさ、メンタルの強さ、キャパの広さ、多少のずる賢さなど、評価されるポイントも変わるよね、当たり前なんだけど。


人から評価されなくなった時、自分で自分を褒めてあげられたら、多少は何かのせいに出来ていたら、早く誰かに弱音を吐けていたら・・・自分を労ることができれば、きっと不安障害にはならなかったはずだ。

周りの人は思っている以上に自分のことなんて全然気にしてない。周りの方から助けてくれるなんて思ってはいけないし、人からの評価ばかり気にしていてはいけない。


「置かれた場所で咲く」なんて自分を苦しめる堅い考えをやめて、緩く柔らかく、鈍感に考えることが、今の私にとって必要な成長なんだと思う。






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