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夫との離婚が決まり、もろもろの事情を考慮して離婚届を提出するのは、11月の私たちの結婚式を挙げた日にした。あれから1年あまりがたっていた。

当時、娘からは【通いママを1週間くらい体験してみたい】というリクエストがあり、離婚届けを出す日の1ヵ月くらい前のどこかの1週間でトライアルしようか、と前夫に話したら、期間を決めてというより、トライアルもしつつ実際に【通いママ】をしながら生活をしていって、気づけばもう1年経ったね、みたいな感じでいいんじゃないかなという返答があった。

そうやって、あの日(2020年10月1日)から【通いママ】が始まり、つまり、わたしの寝床が新居にシフトした。娘のスケジュールや前夫の仕事のスケジュールなどに合わせて、「向こうの家=娘と前夫の家」に通う生活だ。そして1ヵ月余りがたった11月の某日、いよいよ離婚届も提出し、社会的にも夫とは婚姻関係がなくなった。

【通いママ】の目的は、①娘の実生活のサポート&母娘の関わりを生活の中で引き続き体験すること ②パパさん=前夫の家事のサポート。私の中では、母業というものも1つのお役目=業務のような感覚で、私がこの人生で表現してゆく「私」というお役目の1つという捉え方が私の中にはある。

前夫とは、物理的にも社会的にも距離ができたことで、近くにいすぎて見えなくなっていたお互いの魅力やありがたさに気づくことができたり、無意識のレベルでお互いに相手任せになっていたことを、これからは自分で取り組んでゆく環境に立たされることになった。けれども、それはより人生に対して自立的になってゆく方へ向かうことであり、むしろ、本来の在り方であると思う。

離婚はしたけれども、娘自身のことや、娘との関わりにおけるリアルな悩みの理解者としてはお互いに唯一無地の存在だということは、変わらずに感じるし、いや、むしろ、離婚してからの方がそう言った側面でのコミュニケーションは増えた。シェアし合うようにもなったし、お互いに相手の話に耳を傾けられるようになった。これについて、前夫も似たような感じで私のことを捉えているようです。LINEで前にそんなようなこと送ってくれたから。

娘(現在10歳)の子育ては離婚とは無関係に現在も進行形であり、ご縁あって結婚した人である前夫と子育てという共通項で関わりを続けることができること、子育てを通してのわたしの学びを続けさせてもらえること、すべて、娘の存在のおかげだなと感じている。

実は、私が妊娠を望むようになったのは、その当時、何か自分の人生に対して「こうではないのだよ」という違和感や、いい加減ここらで方向転換の必要性の感覚(直観)がすごくあった。子どもを産むことが、何か自分の人生によき流れ(=必要な流れ)となる、という根拠のない確信のような感じ。

今、私が私でいられる「ここ」は、娘を産む前とは人も環境もまるで変りました。家族がいること、そして日常的に協働するパートナーがいること(もちろんそのほか周りに存在してくれている人や環境すべてが)、自分がこの人生で「私を生きる」ということと支え合う関係のように感じられて、本当に感謝でしかないのです。

あの時、娘を妊娠・出産せず、ずっと夫婦2人の暮らしをしていたら、こうはなっていなかったのか、どちらにしてもこうなっていたのか、そんなことはわかりませんが、【娘が私の人生によき流れ(必要な流れ)を起こしてくれた】という感じがしていて、あの時に感じた感覚(直観)は本当だったのだな、という体験も今している。

このような体験を、ときどき経験するようになった(自覚するようになった、気づけるようになったということなのだと思うけど)。こういった経験は、私の意識を広げてゆくことや、意識が広がっていった先に捉えることができる「新たな感覚」に確信をもたらしてくれている。

それは、私が捉える感覚(直観)に対して、「信頼してよいのだ」と確信できる感覚。このような確信を味わう体験を1つまた1つと経験することで、私の中に自信=自己への信頼が自然と満ちてゆくのも感じていること。

これまで勉強や練習など、さまざまに努力をしても、私の内面で感じられる本当の意味での自信を持つということがなかなか味わえなかったのだけれど、今味わっているこの「自信」の感覚は、明らかにそれらとは違うのがわかるのです。


𝐒𝐩𝐢𝐫𝐚𝐥 𝐖𝐨𝐫𝐤𝐬

🦋『わたし』から自由になる生き方🦋

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