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HSPの私とHSPだと知る前の私

久しぶりにnoteを開いてみました。
最初は毎日続けて書きたい!と意気込んでたけど、文章を生み出し続けるのってなかなか体力がいることだなっと実感しました。
結局、1ヶ月以上更新できずに止まっちゃいました。

「何か自分の考えてることとか形に残したい」と思い、テキストを書くのが自分的にまだ自然とできるかなと始めましたが、もともと国語力がないため書くことは上手ではないなので、途中からしんどくなりました。笑
でも、今はまた何か創作的なものを形として残していけたらなと。
これはもう、憧れも入っちゃってますが。

HSPと知ったきっかけと過去の私

今日はHSPについて書こうと思います。
最近、テレビでも取り上げられているHSP。
かくいう私もそのHSPです。
HSPについて知ったのは去年の6月。
入社して、配属された先で行き詰まって、早々に心が折れていた時でした。
追い打ちをかけるように、実家の愛犬も亡くなり、生きるのが本当にしんどいぐらいになっていました。
仕事帰りに逃げるように本屋に入り、たまたま通路で展開されていたHSPの本が目に入り、冒頭を試し読みして、私に当てはまり過ぎて驚きました。

小さいときから、内向的な性格で、人の反応を気にしすぎている自分がいました。
上手く自分の思っていることをとっさに表現できなくて、コミュニケーションが苦手でした。
皆が苦手に思わないことでも、私はどうしても苦手で、上手にスムーズにできないことがありました。
すぐに不安になったり、後悔したりする自分を何とかコントロールしながら生きてきていた感覚です。
それは結構しんどくて、勝手に他の人以上にエネルギーを消費しているので、すぐに疲れてしまいます。

人付き合いも本当に苦手です。
だけど、ちょっとでも断りづらい状況や困っている相手を見ると、断ることができず、結局、無理をしている自分がいます。
飲み会に誘われて、断れる雰囲気じゃなかったから行ったけど、別にそこで誰かとわいわい話すわけでもなく、逆に後輩に変に気を使わせるような人間です。
『楽しくないのに何で来ちゃったのか』
『結局、人に変に気を使わせてしまっている』
そんな感じで一人脳内反省会が毎回行われます。
自分でも周りの親しい友人でも、私が気付いたら損な役回りをやって、働き過ぎているということを感じていました。
(それが分かっていたから、就活は慎重になったつもりだったけど、結局、今も自分で自分の首を絞め続けています・・・)

考えすぎてしまうこと。
気付いたときにはしんどい方へと自ら首を絞めにいっていること。
コミュニケーションが苦手なこと。

ある程度昔から自分の苦手なことを把握してたつもりで、何とか自分で対処しつつ、生活をしていました。
だけど、皆は何不自由なく簡単にできることが、私はすごく苦手で、プレッシャーになるので、これは周りから理解されることは難しいと思っていました。

HSPという言葉を知って、どういう人が当てはまるかを知って、今まで自分だけがしんどいと思っていたことが書かれていて、初めてこのしんどさにちゃんと名前をつけてもらえて、とても嬉しくて救われました。

発達障害の特集番組から考える「個性・普通・幸せ」

HSPを知る前にもすごく腑に落ちるというか、救われるようなことがありました。
それは、2019年の秋にNHKで放送されていた「【特集】発達障害って何だろう」の番組を見たときです。
(正直、この話を思い出したのはつい先日で、スマホのメモを遡っていたら当時のメモが見つかったからです。「そういえば、これはHSPと知る前の私が救われた一つの出来事だな」と思いました。)

この特集の意図としては、発達障害のある人に対する理解を促すものだと思います。(ここで“理解“って言葉を使うのが違和感があるんですが、何にしろマイノリティに対して”理解”って使うと上から言ってるみたいに感じてしまって・・・考えすぎですかね。そして、言い換えの言葉ないかなと思ったり。)

その中で「困りごとのトリセツ(取扱説明書)」を書いてみるというものがありました。
どういったことで困るのか、困っているときにどう自分で対処するか、人には何をお願いしたいのかといったことを書きます。
ただ、これを発達障害のある人が書くだけでなく、発達障害のない人にも日常生活で苦手に思っていることを書いてみて、皆が過ごしやすくなるようなきっかけにしようというものでした。

また、この特集の「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、発達障害の人たちと関わってきた精神科医の方が出演されていて、当時、これを見ながらボロ泣きしたことも思い出しました。
“発達障害”という名前だから、何か悪いといった印象があり、優劣のようなものがつけられていると感じるけど、「発達障害の特徴はその人の個性そのものだ」というのです。
そこから、「“普通”とは何か?」「“幸せ”とは何か?」を考えていきました。
「個性・普通・幸せ」となると、発達障害ではなくても考える事です。
この放送でも、何かしらの生きづらさを感じている全ての人に向けたものだったんじゃないのかなと思いました。

(正直、HSPと知るまでは実は私も軽度でも発達障害があるんじゃないかと疑ってみたりしていました。ただ、それには特徴が当てはまらないことが多くて、発達障害ではないのかと思ってました。実際、詳しく検査とかしたことないから断定できないかもだけど。)

発達障害のあるなしに関わらず、全ての人が何かしら苦手に思っていることや、人と比べたときに劣っていると感じることはあるはず。
それを個性と捉えると、くよくよ悩んでもしょうがないと思えば、生きるのが少し楽になる。

自分視点で考える

自分は「真面目」「ちゃんとできる」みたいな印象をもたれがちだけど、実際真面目じゃないし、ちゃんとできてないし、ダメ人間だと思っています。
それまで、人から思われている自分の印象と、自分自身の印象との隔たりが自分の中で起きていて、葛藤していました。

皆から見られる自分と本来の自分。

自分自身に素直になろうと思ってみても、ダメな自分は周りから社会的な意味や今までの自分との比較で受け入れられないと思っていました。
でも、「普通」とは、「幸せ」とはとか考えていたら、人の基準で自分の基準を決めたらダメだと思い至りました。
ダメな部分も受け入れて、どうやって世の中と折り合いをつけてやっていくか。
それが自分にできる対処法だと思いました。

メモを振り返ってみて、まさにこの対処法が今の私の知っているHSPに対する自分自身ができる方法だったと気付きました。
ダメな部分をまず自分が受け入れる。
周りに受け入れてもらえないと思っているのに、自分が受け入れないで誰に受け入れてもらうっていうんだってことです。
そもそも、「周りに受け入れてもらえない」と思っていることでも、案外受け入れられるものだったりするときもあります。
けど、まず人に頼ることが苦手な自分なんだから、自分で受け入れようぜって。

これから

HSPについてはまだまだ勉強中です。
そして、HSPの私がどうすれば生きやすく今後過ごせていけるかも模索中です。
自分のためと思っていた選択が、結局は本当の意味で自分のためではなく、周りの目を気にした結果だということがよくあります。
客観的な意見を気にせず、主観的に自分のしたいように生きたいです。

HSPと知ったきっかけの本は以下の2冊です。
イルセ・サン(枇谷玲子訳)『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2016年
武田友紀『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本』ダイヤモンド社、2018年

今はこれを読んでます。
武田友紀『今日も明日も「いいこと」がみつかる「繊細さん」の幸せリスト』ダイアモンド社、2020年

HSPについてはまた投稿すると思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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