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適応障害、心変わりが激しい

数ヶ月前にメモした“やってみたいこと”をふと覗いた。
ちっともわくわくしなかった。


書いた時には楽しそうだと思っていたことに今は微塵も魅力を感じない。


もはや過去の自分も今の自分も信じられない。まるで別人みたいだ。
飽き性ではないはずなのにどうしてこんなにも感じ方が変化するのか不思議だ。


学生時代から何かしら目標を持っていて、そのために時間を作って勉強して、継続力がある方で、とにかく常に何かに突き進んでいたのに。
あの勢いや明確な目標はもう無くなってしまった。


適応障害になってから見えている全てがどうでも良くなって感情が湧かなくなって生きることすら興味がなくなった。


診断から約半年経った今、泣くこともなく普通にお笑い番組で笑って外出もできてストレスもなく身体も心ももうあの時とは違うけれど。
それでも何か失った感覚が消えない。


自分を甘やかしすぎたのだろうか。優先順位が最下位だった自分の心に従って好きなだけ家にいて無職でのんびり過ごしていたら、自分がしたいこともできることもわからなくなった。頑張ると休むのバランスをとることは私にとってとても難しい。


一時的に楽しい瞬間はあっても、ずっとしていたいほど楽しいものはない。
一回やってみる機会があればやりたいけれど、これをしないと死ねないなんてものはない。


燃え尽き症候群に近いのだろうか。どうしてみんなやりたいことが、楽しみなことが、頑張れることがあるんだろう。そのモチベーションはどこから湧いてくるのだろう。どうして前向きに「生きよう、生きたい」と思えるんだろう。


この疑問はいつ解決するんだろう。どうしたら解決するんだろう。


やってみたいは変わるかもしれないけど

現時点であるのは“暴れたい”の感情。
叫びたくなるし動きたくなるし多分まだ自分の外に感情を出しきれてないからそう思うんだろうと思う。感情を押し殺してきたからこその欲求なのか。

最近気になっているのは女性アイドルの楽曲の完コピダンスをYouTubeにアップしたりイベントで披露したりしている集団。
その方達の動画を見て、ダンス経験者ではないけれど本家をものすごくリスペクトしているからこそバチバチに踊ってみたい、踊りで感情を爆発させることで暴れられるんじゃないかと考えている。
1人でダンス動画を上げるのもいいけれど集団で作り上げる達成感に憧れるし、本家への気持ちや楽曲の魅力が集団の方がより伝わると思う。
日本のやや端っこに住んでいても、本家より年上でも、参加できる権利があるのだろうか。そういう集団を作るという手もなくはない。


あとは“健康にいいことがしたい”の感情。
生きることに前向きになれないと思うことが多い一方で、肌の調子を整えたいからスキンケアを見直したり、温泉やサウナ・岩盤浴がある施設に近々行きたいなと思ったり。綺麗な自分でいられたら自信が持てると心の奥底では思っているのかも。


休養しすぎで自分を見失いかけてるけれど奥底では何かしたいと思っているのかもしれない。今まで「休みたい」「何もしたくない」が最優先だったから従っていたけれど今はもう何か「動き出したい」感情も出てきているのかも。


勝手なイメージだが、最近心はカボチャみたいな構造なんだと考えている。
適応障害になるまでカッチカチに凝り固まった1番表の分厚い自制心の皮、
自分に優しい甘い言葉で楽な方に促して自分を柔らかくする実、
どんな時でも次の芽を出すためにプラスの方角を向いている本音の種

図画工作の成績はあまり良くなかった


今やっと実までは簡単に辿り着けるようになってきていて、あとは種を外に出しつつ、3つのバランスを保っていくことができたらいい。そこが今の課題。


自分でも気が付きにくい種を探すために、こそこそnote書き続けてみます。



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