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亡くなった人との心残りを解消した悲嘆療法の話(2)

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この記事は私のYouTube動画を書き起こしたものです。
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(承前)


前置きが長くなりました、「亡くなった人との心残りを解消した悲嘆療法の話」でしたね。

今回は、私が悲嘆療法を受ける側だったセッションの事例のご紹介です。
実在していた人物に関する話になるので、適宜改変してお話します。

当時私は、とある、外国人のスタッフが多い職場で仕事をしていました。何人かでチームを組んで仕事するんですが、よく相棒になるとあるヨーロッパ出身の高齢の男性スタッフがいたんですね。高齢で白髪というかすごく素敵なシルバーの髪のとても品の良いおじいちゃまだったので、銀の髪の銀髪さんと仮にお呼びすることにします。で、ある日、仕事先から職場のみんな宛にメールで連絡が入りました。その銀髪さんが亡くなったと伝える訃報でした。

まあものすごく驚いたわけです。訃報の1,2日前にも職場で顔を合わせて、いつものように冗談を言い合ったり、次の打合せ日程の調整をしたりして「じゃー、また来週よろしくおねがいします!」「はーい!」なんて話して笑顔で別れたばかりだったので。ご高齢ではあったけど血色も良くていつも笑顔で、健康そのものみたいな感じだったので。で、私と別れてご自宅に戻られた数時間後に、急なご病気で、奥様の傍らで息を引き取られたということでした。

とにかくその急な亡くなり方がショックだったのと、とにかく銀髪さんがものすごく優しい、ユーモラスで、それでいてものすごく仕事のできる方で、私は日ごろから銀髪さんをとても敬愛していたんですね。銀髪さんはあるヨーロッパの小さな国のご出身だったんですけど、若いころに仕事で日本を訪れて、そこで出会ったとある日本人の女性を愛して、その女性と生きていくためにそれまでやっていたあるお仕事を辞めて、家族とも祖国とも離れて、とおい極東の日本に移住して、何十年も生きてこられたというとても珍しい人生を送られた方でした。今でこそ国際結婚なんて珍しくもない世の中ですが、銀髪さんが日本に来られたのは確か1950年代。私が生まれるよりはるか前で、外国人がまだまだ珍しい時代。日本で生活するのは想像を絶するたいへんさがあったと思います。私が知らない日本を知っている、私が一生かかっても届かないような、人生に対する深い洞察を持っている。そういう方だと感じていたので、いつかゆっくり、プライベートなお話もお聞きしたいな、なんて思っていたのに、私たちを置いて、あっけなくあっち側へ逝ってしまった。

銀髪さんのお葬式にも参列させていただきましたが、棺に入れられた姿を見て本当につらかった。ただの同僚の私がこれだけショックだったのだから、ご家族のご心痛は想像するに余りありましたね。

まあそんな経緯があったんですが、この銀髪さんが亡くなった10か月後に私は悲嘆療法を受けました。

続く


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