あや

好きや大事なことに出逢えてよかった。 そんなことを思ったりしながら書いています。 見出…

あや

好きや大事なことに出逢えてよかった。 そんなことを思ったりしながら書いています。 見出しの画像はそのうちに小旅行でもして 写真を撮ろうと思っています。 そう思えどなかなか旅立てずにいます。 先月から気になった映画は観に行くことにしました。

マガジン

  • 9月にウェブログ

    WebLogと言いたくなっただけの9月からは、もっと愛を心に持っていたいと思うことが、すでにそこここにあります。気を楽にいきましょう。

  • 8月にひらめけ

    夏休みだと思って今日を過ごしたら? そう考えたらいいヒントを得た気持ちになった。 そのあとは何か見つかるだろうか。 いつもの日常は続く夏休みの目線で過ごそう8月。

  • 11月にふと思う

    40のキリのよい年には思わなかったのに、2年経った今頃になって人生の折り返し地点を感じます。この何年かは思いついたら何かやってみることを大事に過ごしてみて、出来なさに打ちひしがれる日もあると同時に、多分それを全部やらなかった場合には起こり得ない嬉しいことがあると知りました。また思いつきで書きます。2022.11にふと思うこと。

記事一覧

とはいえ、この時間に2、30分昨日のおさらいから始めて少し進むくらいが最近の私の精一杯、明日起きなあかんから寝なあかん。続いているだけでも今の私には十分、、まず1曲全部弾けるようになるのはいつやろか!?

あや
18時間前

5ヶ月ぶりにギターを弾き始めてから10日経った感想は、毎日弾いていたら弾けるようになる。そう、洗濯機の水流の音を合図にギターケースを開き続けた10日間だった。20分、30分でも毎日繰り返したら出来なかったことが出来るようになった。毎日少しずつ、やることいっぱいある。

あや
1日前

嫌だなとか不満あるなとか寂しいなとか、私も人なら多少感じるときもあるもので、考え事が始まってもいつしか考えている中身がいかにギターを弾くかに移り変わっていることに最近気がつく。今の私の様々考えることの解決策か何かが、私がギターを弾いていること、みたいだから従ってみている。楽しい。

あや
5日前

どんどん先に進むとみせて、今週は先週に進んだところを覚えるまで繰り返す1週間だった。もちろん覚えきれていなくて、昼休みの食後のまどろむようなあの時間にタブ譜をぼんやり眺めるだけでもコード進行くらいは頭に入るのではないか?と会社に楽譜を持って行き始める日が、そう遠くない予感がした。

あや
5日前

連休明けて多忙につき疲労でギター弾いてない、とは言わせない。もはや数ヶ月前を読んだ人しかわからない、洗濯機が壊れて暫く手洗いで凌いだ、初めは楽しく続くと大変な毎日の体感を糧に、洗濯機がスマートに働いてくれている間に必ずギターケースを開ける。だから毎日練習できている。どんな経緯だ。

あや
7日前

段々わかりやすくなってきた。私ギター向いてるし、と自信や理由や何かがなくても思うときは元気なとき。私が歌ったとて、と考え始めるときは不健康。毎日は歌おうと歌わなかろうと変わらなかった。ならば何のためでなくとも好きにギターの練習をして歌ってこれからも生きていこうと思っているのが今。

あや
9日前

3ページまで進んだ。最初はリズムすらない。それが地道に来る日も来る日も続けていると自分の弾くギターに合わせて歌も歌えるようになったりするのだから。

あや
9日前

昨日は楽譜の1ページ分を弾けた(完璧に覚えてはいないけど)。今日は2ページ目の8割くらいまで弾けるようになった(1ページ目の覚え方よりあまいけど)。連休が終わっても、こんなふうに練習が続けられますように、と私に向かって願いをかける。弾くも弾かないも自分。楽しくなるように暮らそう。

あや
10日前

ぱっと見ただけで読めないところも、一音ずつ、楽譜で音符を辿って音を出す日々が、また始まったのがうれしい。

あや
11日前

練習記録ノートより、練習課題と曲名のメモから1時間以上は弾いていたと思われるのは、5ヶ月ぶりだったみたい。ギターを長く弾く気力体力元気が帰って来た。どうしたら私の心身は快適でいられるのか、いつもみたいに他のことを優先させないで自分を知るための疲れ気味の約2年のあれこれにも感謝を。

あや
11日前

働き出して一番長いお盆休み、出かけるに決まってる!のに、なぜかそうならなくて直前に予約する予定の切符も取らなかった。そっか。とニュースを見て納得、予定していた日は運休の様子。でも長い休みでよかった。ギターを始めた頃の色々なことや葛藤したことや嬉しい気持ちを思い出して過ごしている。

あや
13日前

昔は別に特別やりたいこともなくて、でも何とか仕事は得ていて、その度に仕事と仲間とよい経験に恵まれて、自分で暮らせるような様々なことを与えてもらえた。ありがたい、そしてギターを思う存分弾いて楽しんで歌える時間を毎日私が私に与えるのは中々に思ったよりも大変だった、ちょっと待ってね私!

あや
2週間前
2

あっぶね、ほねかわすじえもんのままゾンビになるとこやった。といったようなことで、待って、いくらか数年前くらいの元気さに近づいてきたけど、休みの間に色々と修繕できる気もするので待って、とお取り寄せしたクッキー缶と紅茶でよりふくふくとしてきた。がんばった、そう言えるときがあっていい。

あや
2週間前
1

仕事がどうとか人間関係が何とか、それは全く関係なく単純に私の、今までの私の考えと気持ちのままでの暮らし方や接し方や何もかもの無理や我慢や下手さのしわ寄せによる限界が8月になる頃にはきて、限界のはずがゾンビのように限界を超えて自らを見つめ直して、ご褒美ウィークの様な休みまで生きた。

あや
2週間前

何のために生きているのかより、何のために生きようかと考えるほうが、答えに自主性が出やすいな、と思いながらの帰宅。でも時々、何なんやったっけなと見失う。というつぶやきの下書きが残っているのを今見つけて、いつ書いたか全然思い出せないけど、なんとなくいいやんと思ったので、今つぶやいた。

あや
2週間前
1

昨日の帰りと今日の行き帰りは身の危険を感じる暑さ。今年は小学生の頃の夏と確かエアコンが効いているのは音楽室と多目的室な世代である高校生の私たちの夏がやたらと懐かしい。教室の開け放した窓から入るカーテンをなびかせる風が気持ちよかった。風が強くてカーテンにからめとられる席は憧れの的。

あや
3週間前
1

とはいえ、この時間に2、30分昨日のおさらいから始めて少し進むくらいが最近の私の精一杯、明日起きなあかんから寝なあかん。続いているだけでも今の私には十分、、まず1曲全部弾けるようになるのはいつやろか!?

5ヶ月ぶりにギターを弾き始めてから10日経った感想は、毎日弾いていたら弾けるようになる。そう、洗濯機の水流の音を合図にギターケースを開き続けた10日間だった。20分、30分でも毎日繰り返したら出来なかったことが出来るようになった。毎日少しずつ、やることいっぱいある。

嫌だなとか不満あるなとか寂しいなとか、私も人なら多少感じるときもあるもので、考え事が始まってもいつしか考えている中身がいかにギターを弾くかに移り変わっていることに最近気がつく。今の私の様々考えることの解決策か何かが、私がギターを弾いていること、みたいだから従ってみている。楽しい。

どんどん先に進むとみせて、今週は先週に進んだところを覚えるまで繰り返す1週間だった。もちろん覚えきれていなくて、昼休みの食後のまどろむようなあの時間にタブ譜をぼんやり眺めるだけでもコード進行くらいは頭に入るのではないか?と会社に楽譜を持って行き始める日が、そう遠くない予感がした。

連休明けて多忙につき疲労でギター弾いてない、とは言わせない。もはや数ヶ月前を読んだ人しかわからない、洗濯機が壊れて暫く手洗いで凌いだ、初めは楽しく続くと大変な毎日の体感を糧に、洗濯機がスマートに働いてくれている間に必ずギターケースを開ける。だから毎日練習できている。どんな経緯だ。

段々わかりやすくなってきた。私ギター向いてるし、と自信や理由や何かがなくても思うときは元気なとき。私が歌ったとて、と考え始めるときは不健康。毎日は歌おうと歌わなかろうと変わらなかった。ならば何のためでなくとも好きにギターの練習をして歌ってこれからも生きていこうと思っているのが今。

3ページまで進んだ。最初はリズムすらない。それが地道に来る日も来る日も続けていると自分の弾くギターに合わせて歌も歌えるようになったりするのだから。

昨日は楽譜の1ページ分を弾けた(完璧に覚えてはいないけど)。今日は2ページ目の8割くらいまで弾けるようになった(1ページ目の覚え方よりあまいけど)。連休が終わっても、こんなふうに練習が続けられますように、と私に向かって願いをかける。弾くも弾かないも自分。楽しくなるように暮らそう。

ぱっと見ただけで読めないところも、一音ずつ、楽譜で音符を辿って音を出す日々が、また始まったのがうれしい。

練習記録ノートより、練習課題と曲名のメモから1時間以上は弾いていたと思われるのは、5ヶ月ぶりだったみたい。ギターを長く弾く気力体力元気が帰って来た。どうしたら私の心身は快適でいられるのか、いつもみたいに他のことを優先させないで自分を知るための疲れ気味の約2年のあれこれにも感謝を。

働き出して一番長いお盆休み、出かけるに決まってる!のに、なぜかそうならなくて直前に予約する予定の切符も取らなかった。そっか。とニュースを見て納得、予定していた日は運休の様子。でも長い休みでよかった。ギターを始めた頃の色々なことや葛藤したことや嬉しい気持ちを思い出して過ごしている。

昔は別に特別やりたいこともなくて、でも何とか仕事は得ていて、その度に仕事と仲間とよい経験に恵まれて、自分で暮らせるような様々なことを与えてもらえた。ありがたい、そしてギターを思う存分弾いて楽しんで歌える時間を毎日私が私に与えるのは中々に思ったよりも大変だった、ちょっと待ってね私!

あっぶね、ほねかわすじえもんのままゾンビになるとこやった。といったようなことで、待って、いくらか数年前くらいの元気さに近づいてきたけど、休みの間に色々と修繕できる気もするので待って、とお取り寄せしたクッキー缶と紅茶でよりふくふくとしてきた。がんばった、そう言えるときがあっていい。

仕事がどうとか人間関係が何とか、それは全く関係なく単純に私の、今までの私の考えと気持ちのままでの暮らし方や接し方や何もかもの無理や我慢や下手さのしわ寄せによる限界が8月になる頃にはきて、限界のはずがゾンビのように限界を超えて自らを見つめ直して、ご褒美ウィークの様な休みまで生きた。

何のために生きているのかより、何のために生きようかと考えるほうが、答えに自主性が出やすいな、と思いながらの帰宅。でも時々、何なんやったっけなと見失う。というつぶやきの下書きが残っているのを今見つけて、いつ書いたか全然思い出せないけど、なんとなくいいやんと思ったので、今つぶやいた。

昨日の帰りと今日の行き帰りは身の危険を感じる暑さ。今年は小学生の頃の夏と確かエアコンが効いているのは音楽室と多目的室な世代である高校生の私たちの夏がやたらと懐かしい。教室の開け放した窓から入るカーテンをなびかせる風が気持ちよかった。風が強くてカーテンにからめとられる席は憧れの的。