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ギターを弾くため歌にしてみたいとなっていったのだけど、日記を書いても気持ちを書いても見た夢を記録してもノートを捨てる捨てる、いなくなった後に読まれたくない気分が毎回勝って何も残らない、でも歌詞の形なら本当の思いも含めて後で読まれてもきっと平気だ不思議だ、と始めた2016年でした。
1週間のうちに家でコーヒーを淹れるかどうかで私に時間か気持ちか余分に余裕があるかどうかわかる。1週間くらい前に通りがかってちらっと見たコーヒーメジャーを今頃あれよかったなと思い出す。コーヒーを飲むと眠くなる。眠い頭で来週、、来月はギターを弾けそうと思う。ふわっと考えたことは近い。
2017年10月22日に実際にあった私の日常の数分間の出来事と思考を歌詞のように書いてみようとメモしたノートが出てきたので、そのまま記しました。こうやって、少し未来への決意、を繰り返し繰り返し今がありますね。。
諸々片付いて、ふとこの時間にポストへ外に出たとき、夏のまだ昼間みたいだと、嬉しい。
今はミリ単位の微調整のイメージで、一歩どころか1ミリずつ、筋肉を付ける前にまず肉が増えるのも、毎日読むページも厚みで言えば1ミリにも満たない、でもそれはすこしでもたしかに、それに思えば歌うことだって毎回ミリ単位の体の微調節をずっと繰り返しているから、少しは慣れたやりかたでもある。
0時就寝でも6時間半だから、平日8時間睡眠無理すぎる無理すぎると言いながら来週のための冷凍ご飯を用意した。来週はなかなか読めないでいた本を読む時間だけは楽しみに寝る前に作ることにして、仕事家事読書6時間半は必ず眠る週にしてみる。今週は本を読む、来週は何か書く、みたいにしてみよう。
なぜかいくら思い出してもどうしてそうなったかわからない慌ただしいような動けないような日々を越えて労ってもらえたような、髪を切る、ヘッドスパをする、前髪短い、が加わって髪も気持ちも艶々になっている。
やっと足りていると感じるくらいゆっくり眠った。約10時間の睡眠。肌に艶が。ありがとうありがとう。昔、長いこと、この肌が普通になるなら他は何も望まない、と言ってまだらな赤ら顔で色んなことを試して調べて聞いて考えた。大変、もうそろそろいい加減「他は何も望まない」は書き換えていいとき。
声がかすれるのどうの言っても自分の底力体力云々の問題で、流行り病の色々とはどうも関わりなく過ごせているのはありがたいことだけど、この数週間は外に出たら何度か続く変な酷い咳をしている人が多くて、大丈夫!?と振り返ること多し。自分も含め何を何からどう守るのかふと考えていることも多し。
一曲歌うと最後には声がかすれて、あれ?とやや不安でしばらく歌わなくてまた歌うようになったら、前の歌い方を忘れたみたいで前より体を楽に使って歌っていて、どうやって習得したのか?たぶん、ひたすら体を調整したことがそのまま歌い方に反映した。痩せ過ぎが元に戻ってきたことも筋肉に影響した。
余計なこと話しても書き足りなくても私の歌詞の意味がわからないことが今後あっても、自分で伝えたいことは伝えようと思って表す私でいたいとは思うよ。あと、十分些細なことばかり書いているけれど、笑える一緒に考えるどうでもいい話をたくさんして暮らしていきたいのはどの環境にいても思っている。
段々とわかってきた。話すと余計なことや自分のことは少なく、書くとどこまで書いたらよいかわからなくて書ききっていないようで、歌の詞として書き終わるのはこの人物から出たと思えない単純さになる。最近というか多分ずっと誰に何をどこでどうやって表したいのか迷ったり決めたりして暮らしている。
長らく、歌えなかった歌、弾けなかったギター、会えなかった人、行けなかった場所、書けなかった気持ち、それが駄目なことではなく、だからこそ思い出したこともある。
発見。分厚めのヨガマットにちょっと調子悪いときに寝っ転がるだけでも体のあちこちが痛い。そのまま真っ直ぐになろうとするだけで骨の歪みを感じた。確かにここしばらくヨガマットを敷く気力の余力はなかった。真っ直ぐにゆっくり伸びてみただけでも痛かった腰や足や首がましになってる。楽になった。
これまでの私なら気持ちがばたばたしそうなところを冷静な目線で、問題でないことまで問題にする考え方には巻き込まれませんからという気持ちになったので、余計なしんどさを引きずって「ギターで曲作ろう」に支障が出ている場合ではないと思うようになったのは進歩です。今日は作り始めは、まだです。