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正しさに妥協できない。

わたしは自称「お節介校閲者」である。

もちろん、正式なお仕事として校閲作業を依頼されることもあるのだが、頼まれてなくても勝手に目が校閲してしまうのだ。

先日、とあるキャンペーンに応募しようとしたときのこと。
ホームページの記載に誤表記を見つけてしまった。

わたしはこれを、看過できない。

キャンペーンの応募より前に、主催者へ間違ってますよとメッセージする。
該当箇所のスクリーンショットを添えて、正しい表記も書き加える。

主催者からは返信もなかったし、そのあと修正されている様子もなかった。
そもそも見てもらえているかも分からない。

そして、やはり、キャンペーンは落選だった。


わたしも自分がライター側のとき、校閲者の指摘をありがたく思うときもあれば、その指摘にがくっと落胆することもある。

校閲者側のときは、できるだけことばを丁寧に選び、書き手を不快にさせないように心がけているが、疎ましく思われていることもあるかもしれない。

でも、わたしは正しさに妥協できないのだ。

多少間違ってたって、伝わればいいという考え方もあるだろう。
わたしも、正しくなければ伝わらないとは思わない。
対面の場などリアルに感情を受け取れる場面では、熱意がことばの代わりをすることもあると思うからだ。

でも、ことさら文章においては、正しくないことが誤解につながることもある。

それどころか、読者をことばの世界から現実に引き戻してしまう。
夢の国に浸っていたはずが、取引先からの一本のメールで、仕事モードに切り替わってしまうように。


わたしが「お節介校閲者」なのは、校閲者の使命感とかそういうものではない。
いち読者として、その世界観にどっぷり浸かりたいという、至極私的な欲望ゆえなのだ。


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