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あちら側から見る世界

その日は雨だった。
やっとの思いでバス停にたどり着き、吸い込まれるようにやってきたバスに乗り込んだ。

やった、ひとつ席が空いている。

後方の2人がけの座席が丸々空いていた。
その窓側に座ろうとしたとき、手にひやりと違和感があった。

雨の日にもかかわらず窓が開けっぱなしになっていて、そこから降り注いだ雨が座席をびしょびしょに濡らしていた。

なるほど、だから誰も座らなかったのか。

わたしは通路側の座席が濡れていないことを確かめて、そちらに座った。


いくつかのバス停を通過すると、あっという間にバスが乗客でいっぱいになった。
雨の日の乗車率はやはり高い。
そして当然ながら、みんなわたしの隣の空席に目をやる。

わかってる、わかってるんだよ。
わたしだって詰めて座りたいけど、ここ濡れてるんです!

そう思いを胸に秘めていても、気づいてもらえるはずはない。
とはいえ、自分から「ここ濡れてるんで座れないんです!」というのもおかしい気がする。


しばらくすると、痺れを切らしたひとりの女性が、少し苛立ち気味に話しかけてきた。

「……あの!そこの席詰めてもらえませんか?」

わたしは心のなかで何度も叫んだあの言葉をついに口にした。
周りの人にも弁明するように、できるだけ大きな声で。

「こっちの座席濡れていて座れないんです。」

思ったより声が小さくなった。
それでも、その女性の苛立ちがしぼんでいくのは分かった。


彼女から見たわたしは、さぞ傍若無人に映っただろう。
混んでるバスのなかで、席も詰めずに自分の快適さだけを優先している女。
マナーってものを知らないのかしら、とでも思われたかもしれない。

これは彼女がそう思っていたというのではなく、わたしが彼女だったらきっとそう思うだろうなという想像だ。

結局のところ、わたしの見る世界とあちら側から見る世界はリンクしていないのだ。
自分の目でしか世界を見られないのだから、見る人の数だけ世界がある。

お互いの世界をできるだけ近づけるのが想像力なんだけれど、そのことをついつい忘れがちだよなと、今日バスに揺られながら思い返していた。

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