普通ってなんやろうって話。-何か障害を持っているかもしれない。

瑆です。

今回は、私が私について最近わかったことについて、気持ちの整理のためにも書いていきたいと思います。実習明け1本目の記事がこんなに重くてごめんなさい。
障害とか、個人の考えがかなり出てきます。苦手な方はご退出を。


私は多分、世間一般的にみて普通じゃない部類だと思う。
うん。普通じゃない。

前々から、自分に若干の違和感があった。
私は小さい頃から、地元の福祉センターの支援教室みたいなところに行っていて、周りの友達は行かないのに、なぜ自分は行くのだろうと思っていた。でもそれは一瞬のことで、私は他の子と変わらず、通常級で小学校に上がった。
いじめとかいろいろあったけど、なんとか無事に高校までを終えた。

そこに違和感を覚えるようになったのは、割と最近。この実習期間中の出来事。
それとこれとは関係ないけど、人に比べてあまりにもできなさすぎた。
情報を与えられても分析できないし、注目すべき点がわからない。何か課題をするときになってようやく、ここを見なければならなかったのかとわかる。
他の友達が言う『できない』は、標準レベルを満たした上での『できない』だけど、私のは標準レベルすら満たせない。

今まで、それっぽいでいろんなことを乗り切ってきた。レポートはその典型例で、ただ言葉を書いて文字数を埋めているだけだから、耳障りがいいだけで内容は薄い。
だから、本質にはなれない。この実習の記録物は、決して『それっぽい』では乗り切れなかった。
でも、どうしたら本質になれるのかわからない。

周りの子が普通に、もちろん努力してるんだろうけどやってのけることが、私にはどうしてもできなかった。
1人でいるのが好きで、友達といるのも好きだけど、グループというのは苦手だった。だから小学校高学年から中学にかけては、割と1人でいることが多かった。
普通に友達と仲良くなって、グループで行動して(一番はここ)、冗談を言い合って、遊んでということが難しい。
冗談として捉えていいのか、字面のまま捉えるべきなのかわからない。表情を見ればわかるようになったけれど、それは、こういう発言があったらこうなのかという知識でなんとかしてきただけで、捉え方に迷うことはいっぱいある。

いろんな意味で、自分が普通じゃないっていうことには気づいてたけど、この前初めてちゃんと向き合った。

中学の時、不登校のための支援施設に行っていたことがあって、私のカルテがチラッと見えた。
『障害等』の欄に、何か文字があった。

そこから、もうすぐ20歳になろうとする今、やっと自分に何かしらの障害があるんじゃないか、と思い始めた。

私が、身内以外で色々相談に乗っていただいている方がいて、その方にすごく勇気を持って、障害があるかもしれない、と言ってみた。すごく仲良くしてもらってて、終わっちゃうのが嫌だったんだけれど。ちなみに成人していらっしゃる。

わかってたって言われた。

私は、アスペルガーとADHDを持っている可能性があるらしい。

なんでわかってたかというと、その方もアスペルガーだから。
自分と似ていたらしい。
でも私は割と上手く擬態できてるって。感情とかそういうのの詳しいものはその場では読み取れないから、知識をつけてなんとかしてるのは、その方も私も一緒だった。
そして、友達がすごく多いところ。普通の女の子ばかりの看護学科にも友達がいて、孤立せずやっていること。他の学科にも仲良い友達とか先輩とかいること。そこが、同じアスペルガーでも違うらしい。
その方は、ずっと1人でいるイメージが強かった。たまにお友達が来るけれど、つるむことはない。

私はその人の前で、しょっちゅう『やらかし』を起こしてて、どうもそれはADHDの性質によるものらしい。やらかしと言うのは、例えば、これどういう仕組みになってるんやろうと思って、何も考えずに触っちゃったりとかすること。
そこで、やっちゃった、ってなった私を笑い飛ばしてくれはって、私が自分で気づくまで障害について指摘しなかったその方には、感謝しかない。

一個人が言うことだから、本当にそうなのかはわからない。でも、そんな気がする。
そしてまだ、受け止めきれていない。

両親は、私が何かおかしいから支援施設に連れて行ってくれたんだろうけど、それで本当に障害を持っているかとか、障害名を告知されているかまでは知らない。
だから、相談したくても、相談することによって、『アスペルガーでADHDの娘』というバイアスがかかるのが怖くて、相談できていない。

さっき相談させていただいている方も、10月最初に大きな試験があるみたいで、それのお邪魔はできないし、あれから相談には伺っていない。大丈夫そう?ってLINEいただいたし、いつでもどうぞとは言っていただいてるけど、どうにも。

結局高校時代の先生に相談して、一度地元に帰って面談していただくことになった。ちょうどいい機会だし、かつて行っていた福祉センターとか、発達障害の支援施設にも行って、自分について知りたいと思う。

普通に擬態して過ごしすぎて、ADHDとかのチェックリストを見てみても(これが万人に当てはまるわけではないと言うのは承知の上で)、この項目は、今の私だったら違うけれど、擬態していたらそうなのだろうか?と言うものが多すぎる。
本当の私って、なんだっけ。

それを知ってから、言葉がうまく出てこなくなった。反射的には話せなくなった。
いつもカタコトになってしまう。今までそれっぽく話していただけだったから、話し方がわからなくなった。

昔は、普通になりたくて頑張ってた。でも最近は、それは個性を殺してしまうことのように思える。
普通と引き換えに心がときめくものを失ったら、現代の普通の価値観が崩れたとき、私の手元にはきっと何も残らない。
社会の価値観がかわっても、私にとって心ときめくものというのは、私の中での価値観が変わらない限り不変だと思う。そして、それを持っている人は、強い。

私は書きかけのnoteの記事に、こんなことを書いていた。
でも、普通でないと今の世の中は許してくれない。少なくとも公的な場ではそう。
バランスを取るのが難しい。

何が怖いって、今までアスペルガーとかでいじめられている友達を見てきたし、私はそうであるということを周りは知らなかったけど、いじめにもあってきた。
名前だけで偏見を持たれかねない、と言うことが怖い。

もはや、今の自分が素の自分なのか、擬態していて普通を演じている自分なのか、わからない。それがわからなくなってしまうことも、怖い。

今の私は、うまく擬態できていますか。

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