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信州Day25 土用間近の新月

大学院修了後、沖縄県芸で歌を学んでいた頃、
組踊のワークショップや繁華街のバーまで出没していたので、
教授から「キミ、どこにでもいるなあ」と呆れられたのを覚えています。
学校、特に大学はある意味全員が他所者的で村を作ったり国際派がいたりとあまり考えずにいけたけれど、

大人になってから出かけていくのはなかなか勇気がいる

一人で50歳で山の上に移住しパートで働き始めたあの頃の母ほどには異端度が高くはないのだろうが。

あたらしい土地で、よそ者として活動を始めようとしていて、
正直ちょっと早まったのかと思う時間と
これとても面白い、待ったなしでやるしかないじゃんと思う時間とが
交互に現れます。
引っ越してきたのが夏至だから、今は移住後3週間ほど。

昨日東京から友人が弾丸で中央高速を飛ばしてきて、
洗濯ものを干していたら見慣れない練馬ナンバーが庭の前にとまっているなあなんて思っていたら、彼だった。
夫と3人、縁側で話し込む。
3週間とは思えない速さで人とつながっていないか?と言われる。

高原の夏のスピード感は東京とは比べものになりません。
残暑までむしろ歩みをゆっくりにする傾向があった雑司が谷の夏に比べ、
富士見町では8月には秋の風が吹いて9月にはいろいろとお仕舞にし、
冬は雪に閉ざされて何もかも眠り減速することが予想できるので
生まれるにも大きくなるにも完成させるにもこの2か月だ
とばかりに引っ越してきてから走り回ってきたという気がします。

8月で47になる年齢も関係しているのでしょう。
例えば、富士見町では住むために古民家を改修する助成金の年齢制限が50歳未満だったりすることもあって。

完璧な移住なぞないのだろう

人と完璧なタイミングでつながり、完璧な間合いで物事を起こし、完璧に仕事がまわり、完璧に健やかであるなどということは。

例えば、ごみの出し方がどうしてもわからなくて玄関に酒の瓶が溜まり始めているとか、納車までに任意保険に入りたいので車検証を送ってくれとメールをしても返信がないとか、笹原の改修が思うように進まず繰り返し工程表を作ってそれぞれのタスクを確認しないといけないとか、

とにかく白黒つかない気持ちの悪いところで身体も白黒つかずに、正直疲れが抜けきらず打ちあがらず待ったり待ちすぎたり急ぎすぎたりとやってます。こういうの、間合いがつかめないとかリズムがつかめないとか言ったりするんだろうか。



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