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友だちの重さ

この日月火3日間、なんと岩手県ご出身のしかもうち二人は盛岡ご出身の方と卓を挟む。

第1夜は、セラピスト学友のともちゃん。彼女のナビで、6年半前ぐらいに、十音でも使っている鉄瓶を手にいれた。

第2夜は、テノールの及川さん。(ご一緒に、ソプラノの千晶さんと、チェンバロ奏者の千秋ちゃん)ご夫妻が主宰するベアータ・ムジカ・トキエンシスのマニアックなCD(ラッソの「マタイ受難曲」)を、試しにセッションの時にかけてみたんですけれどね…及川さんの朗誦が90分つづいても、施術いけると思いました。あんなに冷静で飄々とした福音史家(ト書きを読むご担当とでもいえばよいか)はまれではないでしょうか。ちなみに、雑誌『レコード芸術』の準特選版に選ばれたそうで、おめでとうございます。

第3夜は、オペラ演出家の伊香さん。
SNS嫌いのいこうさんがこんなの読む可能性はないのですが、バレたら、こんなところに書くなんてあーやさん自己顕示欲の塊じゃない〜とか言われそう。でも、3日間会う人がピンポイントで岩手県さんて、人生でもあまりないと思いますから。顕示します。

さて、岩手ご出身に限らず、コロナ期の3年間、友だちと会えませんでした。かわりにドラッグストアで、たくさんの人たちが私の前を、少しずつ気配を残しながら通り過ぎていくことに慣れようと必死でした。
通り過ぎる人たちが、会計と一緒にちゃりん、とすこしずつ残して行く「気配」が澱のように身体にたまっていく。
帰宅するとぐったりとしている身体。食欲は異常にあって、食べても太ることはなかった。何に消費していたんだろう。それをしていると自分が壊れてしまうことに気が付き、人と真正面から向き合って受け取るだけが良い仕事ではない、と知った。
ひとりひとりの比重を軽くし、残ったものを流しつつ「しごと」ができるようになった。

娑婆での勉強でしたね!

そして、3年たち、いま、また友だちにリアルで会えるようになって、
その気配の質量に感動している。重い!いいねー重いね!

時々、流れる沈黙も新鮮(接客で沈黙ってあり得なかったし、必要なかったし)、彼女、彼の視線の先を自分も追ってみたり、次、何が出てくるかなと待ちあったり、問いを考えたりする、うっとりするような時間の贅沢。


「それも、『バエ』てやつですか?」といこうさんが写真を撮る私を笑っていた

軽く軽く、自分の印象を笑顔しか残さずに、たくさんの人を「捌けるように」とトレーニングした身に受け取る、
友だちというものの発する重さよ。


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