言葉が大好きなのに自分の気持ちを言語化できない
自分の気持ちを文章にするのが好きだ。
自分の想いを言葉にするのが好きだ。
嬉しいとき、悲しいとき、胸が感情でいっぱいになったとき、言葉にしてどこかに記憶をしたくなる。
だから毎日ほぼ日手帳に想いをぶちまける。
自分の感情のままに言葉を連ねる。
だけど、毎日毎日書いているはずなのに、私の文章は上達しない。
26歳になるというのに、文章力も語彙力も小学6年生から成長していない、ポンコツ社会人である。
LINEをしていると、よく母から「てにをは」がおかしいと言われる。
会社でのメールは、相手より下手に出ようとするほど「〜幸いです」を乱用してしまう。
本当は、自分は申し訳なさを出そうと書いた文章が「若手が偉そうに書いた文章」に見られてしまう。
なんか句読点を打つ場所が、自分でもおかしいと感じてしまう。
なんでこんなに言葉が出てこないんだろう。
原因は2つあると考える。
私があまり人と話さないからだ。
いや、話しているのだが、私が多少頓珍漢なことを言っても、行間を読み取って会話を続けてくれる優秀な人たちに囲まれすぎている。
中身が相当ポンコツなので、的外れなことを言っても「天然だからね〜」っていうキャラで済んでしまうし、自分もそういう雰囲気に甘えて誤魔化している。
いや、普通の人と話しても会話が続かないから、そうやって行間をいい感じに読んでくれる人たちのところに自分から行って甘えてしまっているからかもしれない。環境のせいではない、自分のせいやん。
もう1つは、相手にどう思ってもらいたいか、相手はこれで理解できるのか、という思いやりがないからだと思う。
人に気を遣って、自分の言いたいことを我慢したり、相手の選択に合わせたり、なんとか輪を崩さないように努めているつもりだ。
しかし、たまに話すかと思うとマシンガンのように自分のことを話す。思えば中学のときのあだ名は「マシンガントーク」だった。
私は自分のこと大嫌いだけど、誰かに自分のことを好きになって欲しいから、自分のことを一方的に話してしまう。それを聞いた相手がどう思うか、あまり考え抜くことができない。
まあ、ここまで書いていると、自分はかなりのクソ人間だなと思う。人としての何かの感情や機能が欠落していると思う。
きっとその部分が人から「抜けている」と言われるところなんだろう。
でも、私は人が好きなのだ。人への感謝の気持ち、申し訳ない気持ちが最大限に伝わる言葉で伝えたいのだ。
ただそれだけなのに、言葉が出てこない。喉まであるのに、魚の骨が喉に引っかたときのように出てこない。だから、ありきたりな言葉、稚拙な言い方をしてしまって、誤解を生んだり、幼稚だと思われたり、人を怒らせたりしてしまうんだと思う。
そんなつもりじゃないのに。
美しい絵を見た時、素晴らしい作品を見た時、これを最大限の言葉で評価したいと思う。
でも、一流のコラムニストみたいな語彙力が皆無で、何も出てこない。
変な文章で気持ち昂るままに書いてしまう。
クソな文章だと思う。
どこでこんなダメな子になったんだろう。
弟は医学部出身だというのに。
自分の想いが伝わらないと、「あーなんかもうわかんないならいいです」って心のシャッターを閉めてしまう。
分かるように努力しようと思わない。
分かるやつには分かればいいと思う。
つか、そうなると人も話す気が失せる。
でも、話したい。
なんだんだよ、この感情まじで。
あ、あまり友だちがいないのって、会話を知らないからだろうか。笑
でも、いよいよそんなマインドではやっていけない状況になってきた。
社会人4年目。26歳。まじで普通の大人だ。
職場でも後輩ができたが、後輩の方が言葉遣いまじできている、すげえ。
そんな年頃なのに、会社の売り上げの金額がすぐに計算できないし、保険のこととか、世の中の国の仕組みとか、フェミニズムとか、世論とか、どこの政党がどんな考えをしているかわからない。
誰かポンコツ社会人のために、分かりやすい教科書を作って欲しい。
きっと人と会話をあまりしないから、自分の殻の中に閉じこもりすぎているから、周りとの距離が遠くなって、もう諦めているんだな。
自分に自信が持てない。毎日ゆらゆら揺れる吊り橋を渡っているみたい。
「これでいいの?」「この発言大丈夫?」「あー、メールの文章の言い回しこれでいいの?」
自分に自信が持てない、楽しくない、自信が持てるようになりたい。
そう言い続けて4年以上経っているけれど変わらない。変わろうとはして、本とかは読んでいるのだけれど。
小さい頃、もっと人と話して、本もたくさん読んでいればよかったと心の底から後悔している。
柔らかい豆花の中に沈むみたいな、ふわふわとした毎日だ。
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