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2人の間


TBS podcastのお題

父の日

に感化され
私も父の事を書いてみました。


確か小学生頃に私が母から聞いた話で
父が『俺は自分の母親、父親から
褒められた事がないから
子供の褒め方が分からない。』
と話していたそうです。
(悩みの吐露だったのかまでは分かりません。)

その事と同時に母は
『お父さんの過去は可哀想だけど
その分、気をつけてお母さんもお父さんもあなたへ愛情を注ごうと思ったよ?』
みたいな発言していた事を思い出しました。

おい、注ぎ方!笑
結果別居しとるやないかいっ!笑
とは思いますが笑

今回のpodcastを聞いて
キイコさんの対話サービスでも
お話させてもらった
自分の母に感じる接し方の問題だけでなく
父自身もアダルトチルドレンに近い歪みを持っていた事への理解が増し
私の両親自身が問題を抱え対峙し合い、なにかの拗れから、お互いへの期待と裏腹に
根本から相手の気持ちを理解し合えない
2人のバックボーンの難しさを
ちょっとだけですが…
思い計ることに繋がりました。

父は自身の親子の問題があり
歪みを起こしていたかもしれません。

今思い返すと私にとって日常過ぎて違和感がなかった、同居の祖母と父の関わりのなさ。

笑い合う姿や会話は無く。ひとつ屋根の下、祖母は自身の部屋で生活し、父もいつからかリビングから自分の部屋に篭もるようになり、家族で食卓を囲む時もその時以外も祖母と父が顔を合わせ会話していた記憶は無いです。

私は私で祖母に可愛がられた記憶はなく
怖くて嫌いでした。

父から聞いた祖母の生い立ちは戦争孤児になり下の姉妹を長女として養い、戦争で家が没落した無口な祖父と結婚しその後自身の幼い子供を2人病気で亡くしたそうです。

戦中、戦後だったとしても気持ちの良い人が世の中にはいるなら、そうは見えない祖母は幼い私にとって理解できない気難しい怖い祖母でした。

昔の日本あるあるの環境だとは思いますが、そんな家庭で当時の嫁である母の立場は毎日最悪だったんじゃないでしょうか笑
私は無理です笑 母やばい笑(←語彙力)

父の話に戻りますが恐らく父は親と快適なコミュニケーションを知らないまま、できないまま、結婚し親になり、別居し、死去してしまったように思えてきました。

ただ、それなりに私の幼い頃には父が親からしてもらえなかったことをしてあげようとしていたカケラがあった気がするし、そう思いたい私がいます。

土曜日、保育園のお迎えは父なのが特別だったし、そのまま田んぼへ2ケツでザリガニ釣りにいったり。(平日は毎日祖母のお迎えで緊張と怖かった思い出…笑)

仕事へ出かける前、毎回ハグしてくれてた時のお父さんは好きでした😊

また、実際父とは19歳まで一緒に住み、以降母と別居し交流は無く、病床に伏せ、余命いくばくとなり会ったのが最後。
私が確か23才で亡くなってる事について、これまで自覚がありませんでしたが一緒にいれた時間は短く、さみしい。をより追憶しています。

今は好きでも嫌いでもない父の事を
出したり仕舞ったり。

掘り返したいその時にはもっと
素直に整理できるようになるんでしょうか。

気の済むまで、気の向くままに自分の気持ちを調べずっと学び続けようと思います。

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