言葉は間に合わない

『Neverland Diner 二度と行けない福岡のあの店で』が発刊されて、およそ一年が経った。

依頼いただいたのは、たしかその前の年の12月ごろで、原稿を出すまで一か月もなく、「書けない……」と、とても苦戦した記憶がある。

わたしが書いたのは、福岡県西方沖地震があった日のこと。
つまり、19年前の今日、起きたできごとだった。

地震の日、なぜか、父と母と一緒にお昼ごはんを食べることになった。
その時のことは、不思議な思い出として脳に刻まれていた。

どんな日だったのか。なぜ、不思議だったのか。
そういうことをぎゅっとこの文章にまとめた。

 まるでパラレルワールドに迷い込んだみたいな日だった。
 その日、2005年3月20日は三連休の中日だった。私は休日出社していて、大名にあるオフィスビルの6階にいた。
 最初は軽い揺れだった。「あ」と思った時には体験したことのないような大きな横揺れになり、無意識に机にしがみついていた。少し視線を上げると、フロアに数十台ある机たちがズサーッ…スサーッ…と波に流されるように大きくスライドしていた。

「あの日のこと」木下綾(『Neverland Diner 二度と行けない福岡のあの店で』)


なんでも記録しておかないと気が済まないわたしにも、「これは文章にできない」と思っているできごとがいくつかある。
「あの日のこと」は、その一つだった。

整理がつかない、あるいは向き合えない。文章にしてしまうのがもったいない、という気持ちもある。それから。

わたしには長いこと、忘れられない言葉がある。
ずっとずっと昔に観たテレビ番組で、「愛とはなんですか?」と街頭インタビューで尋ねられたおじさんが、

「愛とは、気づいたときには終わっているもの」 と答えた。

今より若かったわたしの心には、妙にその言葉がひっかかった。
どういう意味なんだろう。

それからすこし年をとって、経験を重ねていくうちに、なんとなく、あのおじさんの言うことが理解できるようになった気がした。

「愛」という言葉の意味にほんとうに気づくのは、大切な人をうしなった時なのかもしれないな、と思った。

そう思ったのは、母をなくした時だった。
わたしにとっての母もそうだけれど、弟たちにとっての母、父にとっての最愛の妻、母の兄にとっての妹、友人たち… 通夜やお葬式で見た、たくさんの悲しむ人たちを見てそう思った。

大切なものに、言葉はどうしても間に合わないようになっているのかもしれない。

そんなことを思っていたから、あの地震の日のことも、言葉にすることはできないんじゃないかと思っていた。けれども考えれば考えるほど、テーマ「二度と行けないあの店」に沿ったエピソードがあの日以外に思い浮かばず、天国にいる母から「書きなさいよ…書けるでしょ…」とすごまれている気さえしてきて(母には文才があった)、しかたなく書くことにした。

なんとかしてこの文章を書き上げられたことが、「書いていける」という大きな自信になった。

できあがった作品をいろんな方に読んでもらって、うれしい感想をたくさんいただいた。
今ではわたしにとって、すごくお気に入りの作品になっている。

他の方の作品もとても素晴らしいので、もっと多くの人に手に取って読んでもらえたらうれしい。

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