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「そこ」に向かっている

先日、友人のなおこと話していたら、自分の口からこんな言葉が出てきた。

「母親が57歳で亡くなったからさ、どうしてもそこに向かって生きちゃってるところがあるかもしれない」

そうなのだ。わたしの母はこのご長寿時代に57歳で亡くなった。思えば父方も母方も、親戚たちがだいたい短命。おじいちゃんやおばあちゃんたちは、高校生くらいの時には(お亡くなりになられて)ほぼいなかったし、最後の祖父(言い方)が亡くなったのも、わたしが19とか20とかそのくらいの時だった。

なので、母が還暦を迎える前に亡くなった時、いよいよ「自分もあんまり長生きしないのかもなあ」と思ってしまった。とはいえ子どもが生まれてからは、「そんなの嫌だなあ、子どもとできるだけ長く一緒にいたいから、長生きしたいなあ」と思っていて、健康に気をつけようと思ってはいるのだけれど。(母は病気で亡くなったので)

でもどうしてもそこを意識してしまう。日々、子どもと向き合いながら、あと何年かな、とふと考える。57歳までは、あと16年だ。

数ヶ月前に、一田憲子さんの『キッチンで読むビジネスのはなし』を読んだ。その中に、奈良の言わずと知れた人気店「くるみの木」オーナーの石村由起子さんのこんな言葉があった。

「夢は目標。目標は、立てたら叶えるもの。夢を見なかったら、叶うこともありえないですよね。そして、夢は目標でもあるから、いつも来年のこと、3年先のこと、5年先はこうありたい、と考えています。次の5年を考えたら、今これをしておかないと、絶対にそこへは行けないよ、ということがあるんですよね。」

『キッチンで読むビジネスのはなし』一田憲子

目先のことじゃなく、5年後、10年後のことを考えて今動かないと…というのはビジネス系の本ではそんなに珍しくない言葉だと思う。
わたしはどちらかといえば「そんなガチガチに考えて動けないよ…」「1年先のこともわからないのに、5年先だなんて…」と思ってしまう方の人間だ。

しかし、すこし前に『となりの雑談』(ポッドキャスト)で、サクちゃんの「お財布の話」を聴いて以来、ちょっと感じ方が変わってきた。

サクちゃんは、なんとなく自分のお財布に不満を感じて、ずっと「新しい財布が欲しいなあ」と思っていた。「もっと良いのないかな」とは常に思っていて、日々小さなストレスを抱きながら過ごしていた。そうしているうちに「財布を買い換えたい」と思ってる「だけ」で5年が経ってしまったことに、ある時気がついたという。
5年も経ってたんだよ。怖くない?」とサクちゃん。(怖い)
そのことに危機感をおぼえたサクちゃんは、いきなり動き始めた。
今の財布のどんなところが不満なのか、じゃあそれをどう解決したくて、具体的にどんな財布が欲しいのかを書き出してみた。そして翌日買いに行った。そうしたら、その日のうちに思った通りの財布が見つかった。
5年間欲しいと思いつづけていたものを、(動き出したら)1日で手に入れることができた…

その話を聞いて、ほんとうにあっっっという間に時間が過ぎてしまう怖さと、もしかしたら「こうしたい」と思っている時点でグッと目標物が近づいているかもしれないのに、動きださないから一生辿り着けない、みたいな怖さも感じた。

「57歳」と言うポイントを無意識に設定していることもあって、石村さんの「次の5年を考えたら、今これをしておかないと、絶対にそこへは行けないよ、ということがあるんですよね。」という言葉が、しっくりくるようになった。

5年後も10年後も、今のわたしが積み重ねたものの先にしかない。こうしたい、こういう自分でありたい、と考えていることがあるなら、今始めておかないと間に合わないかもしれない。

完璧を目ざしているわけではないし、「あー間に合わなかった!」「あれもこれもやっておきたかったー」となる最期でもいいと思う。それはそれでおもしろい人生だ。だけど、「あの目標を叶えるぞ」と旗を立てて、そこに向かって動いていくのはわくわくして楽しいから、そうしてみようと思う。

なおこにそんな話をしていたら、「…長生きしてね…」と言われた。笑
長生きもしたい。そのためにできることも、積み重ねていかねば。

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