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3月13日水曜日〜3月19日火曜日の日記

三月十三日(水) 晴れ

今朝は起き抜けに、子どもが「きょうは6ねんせいと学校にいくさいごのひだ」とつぶやいた。いつも一緒に登校している、Mさんと離れるのが寂しいみたいだ。

行ってらっしゃいと見送り、朝ご飯を食べていたら、Mさんのお母さんからLINEで写真が送られてきた。最後だから、一緒に登校している町内のメンバーで写真を撮ったのだそう。登校を渋っていた時期、Mさんと給食の話しをしたりして、気がまぎれて学校に行けたということもあった。Mさんは知らないだろうけど、わたしたちはとても助けられていた。
そういうことは、この世の中にいっぱいあるのだろうな。

いつものヨガ配信。ストレッチ。生理が始まりそうだが、なんとか体は動く。よかった。今日は美容室の予約を入れているのだ。月イチのこの時間を、わたしはとても大事にしている。

そうえいば、昨夜一時ごろに目が覚めた。スマホを確認すると、Amazonから本を配達完了したというメールが届いていた。注文した本は二冊。一冊は『こどもを野に放て!』(YAMAPの春山さんと、養老孟司さん、池澤夏樹さんらとの対談集)、もう一冊はライター仲間から激しくすすめられた上原隆さんの『友がみな我よりえらく見える日は』。

ベッドの中でしばし逡巡する。外は結構な雨が降っていた。
Amazonのパッケージは紙でできていて、郵便受けの中とはいえ雨がひどくては本が湿ってしまいそうだ。気になって眠れない。深夜二時ごろに起き上がり、家を出て本を救出する。中を確認してみると無事だった。そのまま、上原さんの本をすこし読んだ。初めて読む文体に引きこまれてぐいぐい読まされる。「好きだと思う」と言われたとおりだ。

朝になって、ライター仲間たちに、「言ってた意味がわかったよ」とメッセージを送ったら、そこから隆談義が止まらなくなってしまった。その友人は、上原隆研究家を自称しており、打てばなんでも返ってきてしまう。
そのやりとりの中で彼女がいった「上原さんは、人が語る話しの中に自分を見つけてるんです」という言葉がすとんと心にきた。

最近、わたしは「人の話をよく聞こうとすると、自分に向き合うことになる」と結論づけて、インタビューするときや、聞きかたについての話を読んだり聞いたりするときにいつもそのことを思い出していた。「それに通ずるものがある気がする」と言うと、彼女は「わたしも!そのことをすごく考えてる」と。

そんなやりとりをしていたら、あっという間に出かける時間になっていた。身支度はすませていたのですぐに家を出る。予約には間に合った。

今日の服。ボーダーのシャツにブルーデニム。アニエスの黒カーディガン。

バスがけやき通りを通るときに、ブックスキューブリックの前でたむろする中高生くらいの男女のグループを見かけた。卒業式が終わった子たちだろうか。キューブリックの前で待ち合わせだなんて、なんて素敵なのだろう。

美容室で頭をすっきりさせてもらい、天神のスープストックでお昼を食べて、芋屋金次郎でおやつ用のいもけんぴを買って帰宅。電車に乗っているときに、子どもはすでに帰宅して、公園でお友だちと遊んでいると相方からメールがあった。駅から遠回りをして公園に立ち寄り、子どもと友だちたちに挨拶して帰宅。何件か、仕事のメールを送っておく。新たな取材のアポ取り。スムーズにいきますように。

三月十四日(木) 晴れ

今日は小学校の卒業式があり、一年生の子どもはお休み。ゆっくり眠っている。わたしは生理が始まり、体が重い。ひさしぶりに朝まで一度も目覚めなかった。

今日の服。黒いセントジェームスのカットソーの下に白Tシャツ。チノワイドパンツ。赤い靴下。

昨日、公園で遊んでいたメンバー(お隣弟、クラスメイトのOくん)で、十一時に公園に集合して遊ぶらしい。せっかちな子どもがお隣に十時四十分ごろ迎えに行くと、出てこず。時間ちょうどに出てきた。髪の毛が濡れている。

お隣の兄は今日卒業式で、両親とも卒業式に出席しているはずだ。

クラスメイトのOくんは時間になっても来なかったので、二人で家まで迎えにいったらしい。わたしは家でのんびりとできた。すこし作業も。
午後に打ち合わせがある。じわじわとお腹が痛くなっている。今日はピアノ教室もあるが大丈夫だろうか。

お昼は焼きそば。子ども、帰宅してささっと食べてまた公園へ。

十三時から打ち合わせ。社内報の仕事。今回、スケジュールがいつもよりタイトだ。

打ち合わせが終わるころ、子どもが帰宅。隣の弟は、家族で出かけるそう。もう一人の子もお出かけするとのこと。

ピアノに出かける時間が近づくにつれ、どんどん行ける気がしなくなっていた。全身がだるい。こういうときに無理して出かけて、帰れなくなったことが何度かある。(だいたい生理痛がきっかけ)無理をせず、休むことにする。
発表会の前なので、なるべく欠席したくはないのだが。

じっとしていれば平気なので、PCの前に座ってウェブの作業をちょこちょことやっていた。

相方が注文してくれていた、ゴディバのチョコレートが届いた。ホワイトデーだ。箱もかわいいし、春らしいベリーを使ったチョコレートがおいしい。
わたしのチョコレートを見た子どもは「ぼくもらってないよ!」と言っていた。バレンタインに引きつづき、ホワイトデーを知らない模様。

眠るころに、どんどん体調が悪化。おなかというか全身が痛い。寒気もする。
寝かしつけを終え、生姜湯を飲もうと下に降りる。お湯を沸かす間、テーブルにもたれてぐったりとしていたら、相方に「そんなに?」とおどろかれた。自分でもちょっと変だと思う。

三月十五日(金) 晴れ

夜中も体が痛くて目が覚めた。朝なにげなく熱をはかってみたら、三十七度八分あった。発熱してるじゃないか。生理プラスアルファ熱というのは、はじめてのパターンだし、こんなにもわかりやすい「体調不良」ってひさしぶりだ。

なんとか子どもを送り出して、朝ごはんを食べ、ベッドに横になる。寒気がするので相方が準備してくれた湯たんぽをぎゅっと抱える。

ぜんぜんよくならない。相方は、湯たんぽのお湯を変えたり、水をいつでも飲めるようベッドのそばに置いてくれたり、薬をもってきたり(いつになく)かいがいしく世話をしてくれた。

昼前に薬を飲んでからすこし眠れて、十三時ごろ相方が炊いてくれたお粥ができたというので食べた。塩とゆかりとふりかけを準備してくれていて、味変しながら食べたら体がぽかぽかになり、ちょっと元気が出てきた。

最近、休まねばと思っていた。のんびり過ごしてみたりしたけれど、ちょっと追いついてなかったのかも。強制シャットダウンさせられた気分だ。からだが「休め」と言っている。

そういえば昨日、何かの本から引用された「脳は間違えるが、身体は間違えない」という言葉を見かけた。その通りかもしれない。

からだがしんどくて、子どもに会いたくなった。
子どもだったらこんなとき、「ままー」と呼ぶだろう。
わたしもいつかはそうだったはずだ。
いつからそうじゃなくなったのか。思い出せないな。

三月十六日(土) 晴れ

夜、何度も何度も目が覚めた。喉が痛かったり乾いたり、身体が痛かったり熱かったり、トイレなどで。変な夢もたくさんみた気がする。

朝五時。汗びっしょりになって目が覚めた。首の周りが濡れていて不快だ。着がえるために起きあがる。換えの寝間着は寝室を出てすぐのところにある。おじいちゃんのようにふらつきながら着替えた。

三十八度八分まで体温が上がったのを見た。朝は三十八度ちょっと。下がっているけれども大して調子は変わらない。

それでも、朝食のために下におりようかという気持ちにはなっていた。パンとスープを食べようと思ったのだが、パンを一口かじった時点で、スープまでたどりつかなそうだな、と思いやめておいた。体調は悪いけれどもお腹はすく。しかしそんなにたくさんは食べられない。

相方が、「十一時ごろに子どもを連れて買い物に出るよ。薬と、なにかほしいものある?」というので、「くだもの」と答える。昨日から猛烈にくだものが食べたかった。

朝食を食べた後すぐに寝室に入ってまた眠る。眠りはたぶん浅くて、子どもや相方が二階に上がってくるたびに目は覚める。そしてまた眠りに落ちる。その繰り返し。

十一時ごろ、子どもはクラスの子と公園で遊ぶ約束をしていたのだったと出かけてゆき、相方は一人で買い物へ。
ほんとうは、お昼にマクドナルドに行きたいと子どもが言っていたので帰りにマクドへ行ってテイクアウトする算段だったようだが、昨日からシステム障害で、閉まっている店舗もある模様。今日はやめておこう、と言ったら「じゃあぼくかいものいかない」となったらしい。

子どもは公園からすぐ帰ってきた。お友だちが来ていなかったそう。(帰ってくるのがはやい気がする)(というか、遅刻していったのですれちがいの可能性もある)小学生の約束はこんなもので良いらしい。

相方が帰宅して昼食。買ってきてくれたパイナップルとイチゴを食べたら、なにか身体にしみわたっていくような感覚があってすこし元気になった気がした。
薬を飲み、また寝る。

今日はとても天気がよくて、寝室に入る光がやわらかくピンクがかって見える。こんな日に活動できないなんて。相方と子どもは二人で庭を片づけている。声が聴こえる。

十五時ごろ、熱をはかると三七度以下の数字が見えた。たしかにずいぶん身体が軽い。今のうちにとお湯をためて風呂に入る。髪も洗う。すっきりした。

夕飯は子どもの希望でラーメン。わたしはすこし残してしまった。

今日も基本一日中寝ていた。昨日よりは動けるようになっている。しかし喉がとても痛い。傷だらけなんじゃないかという痛さで、唾を飲んでもしみるくらいだ。のど飴はずっとなめていたのだが効き目を感じない。夜、たまらず喉の薬(龍角散ダイレクト)を飲む。効果が一瞬すぎる。

三月十七日(日) 雨

深夜にも喉の痛みで目が覚めた。喉はもともと弱いほうだが、鼻水からくることがほとんどで、今回、鼻が出ていないので油断していた。熱が出ると、口腔内が乾きやすくなり、喉を痛めやすいらしい。知っていたら予防策を打てたのだが。(熱でそれどころではなかったかもしれない)

喉に効く薬といったらあれと決まっている。銀翹散(ぎんぎょうさん)だ。夜のうちに相方に「買ってきてほしい」とメールしておいた。

熱は下がっている。しかし、喉がじりじり、びりびりと痛くて、そこから熱が広がっていくように身体がだるいし、唾を飲むのも水を飲むのも困難。今日も一日ぐったりとする。ただ、スマホを見る元気は出てきた。見ているうちにいつのまにか寝てしまうのを繰り返していた。

朝はフルーツを食べた。昼は、相方と子どもが(システム障害から復活した)マクドに行って買ってきてくれたサラダ。サラダは冷たいのはいいのだが、喉にひっかかり食べづらかった。わたしの好きなホットアップルパイも買ってきてくれていたけれど、熱いものを食べるのが怖いので食べずにとっておいた。

食事をしながら、相方と子どもが会話をしている。わたしは頭がぼーっとしてあまり参加できない。話の内容が入ってこないかわりに、音だけがやたら響く。しんどいのでやっぱりごはんを食べた後は寝室にこもった。微熱がでている。

おやつの時間。空腹で階下に降りるとリビングがいやに静かだ。ちょっとおそるおそる引き戸を開ける。するとリビングじゅうに散らかったレゴと、その中でごろりと横になってぼんやり遊んでいる子どもがいた。(相方はダイニングテーブルに腰掛けていた。)二人でレゴで何かを作っていたらしい。わたしもテーブルのほうに腰掛けて口をもそもそさせながらさっきのアップルパイを食べた。のどごしは良くないが、味はおいしかった。

薬は、なんとなく効いているような、効いていないような。一日三回まで飲めるので、辛抱たまらなくなったタイミングで飲む。あくびをするのも痛い。

夕方、外で庭を片づけている相方と、子どもと、お隣の弟の声が聞こえたと思ったら、二人でサッカーの練習をしに公園に行ったらしい。一七時前だったのですこし「大丈夫かな」と心配になる。(うちでは門限は一七時)十七時半になっても帰らないので相方に声をかけると、迎えに行ってくれた。けがもせず無事に帰ってきてほっとする。

夜は冷たいうどん。細麺で食べやすい。子どもが、「すいようびに、ままがげんきになってたら、あそこの、川のちかくのおそばやさんにいこうよ!」と言った。水曜日は春分の日で休みなのだ。その時には、元気になっているといいな。

そういえば、「今日の服」の記録がここ数日ないのは、ずっとパジャマのままだから。明日こそは着替えたい。

三月十八日(月) 晴れ

喉の痛みは変わらないが、起きあがることはできて、ゆっくりとだが子どもの荷物を準備する。相方も手伝ってくれた。

子どもを送り出して、パンを食べる。パンは喉にちょっとつかえて食べづらかった。

今日はなんとか身支度できた。ひさしぶりにきちんと洗顔、スキンケアをした。スチーマーをかけながら。

今日の服。ベージュのボーダーのタートルネックニット。ホワイトデニムのパンツ。

子どもを送っていった相方が、帰りのコンビニでイチゴを買ってきてくれた。何軒かまわっても無くて、最後の一軒で見つけたそうだった。すぐに食べた。おいしかった。

相方がいやにのんびりしているなと思ったら、今日は有給をとっているという。天気もいいから、自転車でどこかへ出かけようかなと言っている。四月までに有給を消化しないといけないということで、週一ペースで休むとのこと。細切れの春休みだ。

昨日に引き続き、洗濯機をまわしたり、掃除機をかけたり一通り家事をやってから昼前には出かけていった。

デッキに、相方がセットしたらしき段ボール箱が置いてある。中にバスタオルをしいてあげて、うちに来る野良猫のベッドにしてやっている。
朝からくろねこが来て中に入っていた。かわいい。
相方が庭に出て声をかけるが、箱から出てこない。わたしが声をかけてもずっと箱で寝ている。(箱から身体がはみだしている)

この黒猫は、いつも来ているベージュ三毛の子どもだ。もうすぐ一歳になるのか。すっかり母猫より大きくなってしまった。

わたしは、今日は仕事はせず、しかしできるだけ横にならずにいようと目標を立てていた。箱のくろねこに目をやると、くろねこの視線の先に、庭の大きなトネリコの木の影。ゆらゆらと風に揺れている。その光と影が動くのををわたしも一緒に見ていた。寝ているのか起きているのか、わからなくなるような時間だった。
くろねこは一四時くらいまで箱の中で寝ていた。

何事もなく平和だったが、とても疲れた。いつになったら仕事ができるのか、という思考は、なるべく頭の外に追いやるようにしている。

三月十九日(火) 晴れ

ようやくPCの前に座れて、メールの返信などはできるようになった。まだ喉は痛い。いつになったら、食べたいものが食べられるようになるかな。

今日は夕方、子どもの体操教室の体験がある。ちょっとまだふらついているので、車で行くのはやめて、子どもと一緒にゆっくりと歩いていく。子どもは見るからにワクワクしている。

体操教室に入ると、外とちがってとてもあたたかかった。半袖で大丈夫だろうか、と心配していたが杞憂だった。(暑過ぎてちょっとくらっときた)

子どもはうちの子を入れて8人。女の子と男の子が半数ずつ。うちの子より年下の子も、年上の子もいたけれどだいたいは小学校低学年の子たち。最初は男性の先生が一人で、その後出勤してきた大学生のアルバイトと思われる若い男性がヘルプしてしっかりと子どもを指導してくれていた。

開始からずっと、いろんな方法で全身を動かしていて、うちの子は「やったことのない動きばっかり!」といった感じで戸惑いつつも楽しそうにしている。

体操教室に行った方がいいかもしれないと思ったのは、子がいろんな運動をやっているのを見てきて、まずこの人は体の使い方をもうすこし知った方がいいのでは、と思ったからだ。ラジオ体操一つとっても、子どもはたぶん、自分の思う通りに体を動かせていない。とってもかわいい。かわいいのだけれども。

相方がどうだったかは知らないが、わたしは子どもの頃から運動神経が悪い方ではなかった。ただ、苦手な運動はあって、そのコツを身につけるまでに苦労するタイプだった。(それで、運動神経がさほど悪くないのにもかかわらず、体育はあまり好きではなかった。)この「コツ」を身につけるタイミングに、優秀な先生がいてくれたら、きっともっと体育やスポーツを好きになっていたのではという気がしている。

「側転」をやったことのないうちの子に、大学生(らしき)コーチが一つずつ動きをレクチャーしているのを見て、「こりゃ素人では絶対に無理じゃ」という思いを新たにした。通おう、ここに。子どもも、「ぼくここに通いたい!」と言っていた。
それは、習い事の体験に行くとかならず彼が口にするセリフなのだが、母は何度でも真に受けるのだ。四月から通うことになると思う。

夜、子どもが「あした、たのしみだなー」といったので「なんで?」ときくと、「あしたの朝ごはん、メロンパンだから」という。そんなことで毎日をたのしみにしてくれるのなら、365日メロンパンを買おうじゃないか……と思ったがやめた。
毎日メロンパンということになると、それはもう楽しみでなくなってしまうのだ。きっと。

(次回は 4月4日木曜日 に更新予定です)



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