5月29日水曜日〜6月4日火曜日の日記
原稿、なかなか書けない。
子どもからの衝撃のことば。
マリノアの(しょぼすぎる)最後の思い出。
などなどあった一週間でした。
なんだかとても疲れました。
五月二十九日(水) 晴れ
昨夜、子どもが眠ったのはいつもの就寝時刻から一時間あとだった。
今日はゆっくり寝かせてやりたいと相方に伝える。
遅くなったので、車で登校。
体質改善プログラムは、明日からまた新しいフェーズに入る。
朝晩のトレーニングに加えて、ウォーキングなどの有酸素運動をおこなう。
食事内容も、生活リズムも変わる。
以前は、家で仕事をしていて一日外に出ないという日も結構あった。
それが、毎日外に出て運動をする日常へ。すこし前の自分なら考えられない。
今日はウォーキングの練習がてら、早歩きでコンビニまで昼食を買いに行った。行きは涼しかったが、帰りはもう日差しがきつい。買いもののついでに西日本新聞を買う。
帰宅し、昼食をとりながら新聞を読む。『春秋』という毎日のコラム記事の締めに、「無駄な業務を他者に強いるほどブルシットな仕事はなかろう」とあった。定額減税に伴い無駄に増える作業についての苦言だ。
「無駄な業務を他者に強いる」ことで、権力を示してるんだろう。なんと空虚。確定申告なんてその最たるものではないだろうか。
夕食の支度をしながら、『光る君へ』をみた。しばらくみられていなかったのだけれど、「枕草子」が書き始められるところだというのを知り、みたくなった。
〈たった一人の悲しき中宮のために、枕草子は書き始められた〉
清少納言が書く場面、中宮定子が読む場面、どちらも美しく、涙がでた。
たった一人のために書かれたものが、今もなお多くの人の心を動かす。
書くことで、清少納言が守りたかったものを想像する。切実な思い。
先日読んでいたく感動した、島田潤一郎さんの『古くてあたらしい仕事』の一文を思い出した。
「文豪たちの作品は、時空を超えた彼方からの手紙だった。すぐれた文学は、おしなべて、万人のためでなく、まるでぼくひとりのために書かれているように読むことができた。」
何度読んでも、そのとおりだなと思う。そういうものを書きたいと思う。
五月三十日(木) 曇り
朝トレーニング。子どもを送り出してから、ウォーキング。
すっぴんのまま日焼け止めを塗って家を出て、キャップをかぶり歩く。48分。
帰宅してシャワーを浴びる。すっきりする。
最近、運動や食事のことに意識が傾いていて、仕事のペースがつかめなくなっている。
同じプログラムに参加している友人たちにそうつぶやくと、友人たちもそうだという。
書くため、健康に働きつづける体を維持するために走っている人たちは、どのように運動時間を生活に組み込んでいるのだろう、と疑問に思い、村上春樹の『職業としての小説家』をめくる。
〈一人きりで座って、意識を集中し、物語を立ち上げていくためには、並大抵ではない体力が必要です。(中略)ごく一般的に申し上げて、中年期を迎えるにつれ、残念ながら体力は落ち、瞬発力は低下し、持続力は低下していきます。〉
〈そのような減退をカバーするには、体力維持のためのコンスタントな人為的努力が欠かせないものになってきます。〉
〈体力が落ちてくれば、それに従って、思考する能力も微妙に衰えを見せていきます。思考の敏捷性、精神の柔軟性も失われていきます。〉
〈作家は贅肉がついたらおしまいですよ〉
さすが村上春樹…と思う。そして運動する意欲がわいてきた。
運動しなければ、書くための集中力も、思考する能力までも失う。
簡単にいえば、「元気があれば、なんでもできる」
だからこのプログラムに参加したのだった。
目先のことにとらわれず、地道に積み重ねてゆこう。
とはいえ、刻一刻と締切が迫る。
今日は、書けないことを正面から受け止め、古賀史健さんの『取材・執筆・推敲』の「執筆」の項目を読み返していた。
夕方。池袋暴走事故の被害者遺族である松永さんが、飯塚受刑者と面会、とのニュースを見た。松永さんの態度に敬意を抱くとともに、疑問がわく。
このような事故で遺された人が、自分の家族を、なにより子どもを死なせた相手を恨まずして生きていけるものだろうか。
わたしは、それなしには、子ども亡きあと生き続けられない気がした。
五月三十一日(金) 雨のち曇り
朝起きてすぐ、なにかの拍子に子どもが「ぼく、この家にうまれたのまちがいだったかも」と言った。ききまちがいかと思った。しかしたしかにそう言った。
「どういう意味?」ときいても答えない。わたしは悲しみからくる怒りが抑えられない。
重い空気を察知した相方が、「子どもと二人にさせて」といい、わたしが二階にいると、一階で相方が、詳しい状況も知らないのになぜか子どもを責めたてているのが聴こえた。
相方はわたしの味方をしているつもりらしいが、いつも間違えている。
「わたしの怒りを奪わないでほしい」と、何度も言っているのにまたやっている。そしてその責め方は子どもを怯えさせている。
放置すればわたしも加担したことになるので、ため息をつきながら間に入り、相方を注意する。
子どものいる前で注意をするのは、このやり方はおかしい、というのを相方だけでなく子どもにも伝えるため。これをわたしまでよしとすれば、子どもは自分より弱い立場の人をいじめる人間になってしまうかもしれない。
話はちゅうぶらりんのまま、子どもは、泣いた目をこすりながら学校へ行った。
子どもを送り届けたあと、相方が帰宅してからさらに注意点を告げ、子どもに謝るようにいう。
相方はぶすっとしていたが「反省する」といい、子どもに謝ることも承諾した。
子どもはどんな気持ちで学校に行ったのだろうか。
心が重くて朝食を食べる気がしない。外は雨。
天気予報を見たら、10時ごろから晴れるとある。
雨が上がったら歩きにでよう、と思った。
その前に朝食を食べよう、とすこしだけ自分を奮い立たせ、食事の準備をした。
雨上がり、フライングぎみに家を出た。緑が生き生きとしている。大きな池のまわりを歩いていると、あたりの空気のなかにも水を感じる。
40分歩いて帰り、シャワーで汗を流したら、気持ちがすっきりとした。
明るく澄みわたるような気分ではないけれど、心の奥にあるみずうみは満ちている。
夕方子どもを迎えに行くと、元気そうだったのでほっとした。
帰ってから、おやつのアイスを食べ終えてご機嫌の子どもに、朝の言葉はなんだったのと尋ねると、とても答えづらそうに「起こし方がいやだった」と言った。
子どもを起こす時に、声がけだけで起きないと子どもの体を触ることになるのだけれど、それがくすぐったかったらしい。(たしかにやたらくすぐったがっていた)
「え、それだけ?」というと、「それだけ」という。
嫌がっていたことを、しかたないとはいえやってしまった。そのことはわたしが悪かった。けれどもその言葉をつかうことが、自分の気持ちにほんとうに合っているのかをよく考えてから口に出すこと、その言葉をつかうことによって、悲しむ人がいないかをよく想像すること、と伝える。
わたしは人に偉そうなことを言えるような人間じゃない。
けれどもわたしは、おかしいと思ったことをなかなかスルーできない。
朝から偉そげにいろいろ言って、とても疲れた。
六月一日(土) 晴れ
昨日あまり眠れず、起きるのが遅くなってしまった。
天気予報を見ると、暑くなるみたいだ。朝食をとってからいそいで準備をして、ウォーキングに出た。
木曜日からのウォーキングと朝晩行っているトレーニングのせいなのか、下半身がやや重い。
歩き続けていると、上半身が前に出て、下半身がついてきていない感じがする。足の力が弱いのだろうな。上半身を前に出さないよう、体を足から前に進めるよう、気をつけながら歩く。
帰宅すると汗だく。シャワーを浴びる。
今日も時間があれば古賀史健さんの『取材・執筆・推敲』を読む。
午後のピアノ(月一度の個人レッスン)は相方に送迎を頼んだ。
その間に自分は原稿作業など。
午前中、相方に昨日の朝のことを子どもに謝ったか、と尋ねると、まだ、と言った。
ピアノに行く途中の車内で謝ったらしく、報告のメッセージが届いていた。
レッスン帰りに二人でいつものイオンにゆき、ゲームセンターでメダルゲームをしたあと、フードコートで夕飯を食べて帰ってきた。
わたしは一人でゆっくりできて、子どもも食べたいものが食べられたみたいで(たぶんまたハンバーガーだ)、よかった。
寝る前に子どもと、「パパが謝ってくれた」という話をした。
「しいくんはそれでよかった?」と訊くと、子どもはにこりと笑って、
「うん。ぼく、ごめんって言われたらぜったいにゆるすよ!」といった。
この人はほんとうにすごいな、と思う。
六月二日(日) 晴れ
今日はマリノアシティに行くことにしている。
思い出いっぱいのマリノアが、閉店するらしい。閉まるまではまだあるけれど、閉店前になると人が増えるし、今のうちに行っておこうということになった。
いつもの朝ウォーキングをして、シャワーを浴び身支度をして、いざ出発。
到着して、何を買う気もなく(来ることだけが目的であった)ぷらぷらとする。キッチンツールを見ていたら、家にあるSTAUBのグラタン皿が半額になっているではないか。子どもの分もほしかったので買い足す。
昼になるすこし前にフードコートへ行くと、テーブルがほとんど埋まっている状態。しかし、タイミングよく空いた席に座れた。
相方が「中華そばが食べたい」というので、同じ店で、わたしと子どもが食べるチャーハン・餃子も注文する。
人がならんでいなかったにもかかわらず(他の店はだいたい行列)、ものすごく待たされる。できあがったらこれがなります、というブザーを持たされているけれども鳴る気がしない。
なぜなら、厨房に動きがほとんどないからだ。
ほかの店舗は行列がさくさくと進み、厨房内はめまぐるしく動いている。
その中華そばの店だけ、時空が歪んでいるようだ。
よくよく厨房内を見ると、餃子はすっかり焼けていて、並べられた数枚のトレイの上に、それぞれ置かれている。置いてから何分経っているのだろう。
店主っぽい長身の男性が、何かを待っている。ずっと待っている。
その時、彼はおもむろに真横に置かれたどでかい炊飯器を開け、なにかを器によそった。チャーハンだった。(チャーハン、おまえ、ずっとそこにいたのか)
すこし前に中華そば用のどんぶりに、店主的な人が「スープの素」然としたものをいれたのをわたしは目撃している。
餃子は焼けてずいぶん経つ。チャーハンは最初からそこにいた。
では、この待ち時間は…? まさか…中華そばの麺なのか…?
わたしの前の客が何人か、「もう待てへん」という面持ちでカウンター前にやってきては、「やっと」「ついに」という表情で食事をうけとっていた。
そして、わが家も。ようやく、うけとることができた。
予想通り、餃子は冷めており、チャーハンも生ぬるかった。
中華そばの麺を食べた相方が言った。「生やん」。
うそだろ……
「並んでいない店には、理由があるんやな」と相方が言った。
そういえば、相方はこういった時、ハズレを引くことが多い。
今後、相方と同じ店を選択しないことを心にきめる。
書いていて思ったが、マリノア最後の思い出がこれってどうなんだ。
六月三日(月) 晴れ
朝、子どもといっしょに家を出た相方がもどってきた。
なにごとかと思ったら、「こねこがいる!」と。あわてて家を出ると、子どもが隣の家の庭を覗き込んでいた。
(ここのお宅はほとんど庭に出ないようで、ねこたちの安らぎの場となっているっぽいのは数年前から気づいていた)
わたしも見てみると、サビっぽいのとサビ白っぽいこねこが2匹見えた。か、かわいい… その手前でお母さんねこが「にゃー」と軽く威嚇しているので早々に退散。
子どもと相方は学校へ。
天気はいいし、涼しいし、気持ちのよい気候にもかかわらず体が重い。
おそらく生理前だからだ、と思っていたら始まってしまった。
気持ちまで重くなる。
今日からまた原稿の日々だ。図書館に資料を探しに行きたいが、月曜休館。
情報が欲しくてもやもやしながら、原稿の種になりそうな作業をこまごまとやる。
今日の午後はは家庭訪問だ。最近の家庭訪問では、家に上がらず玄関先でお話するのみ、ということも増えているようだ。うちの場合は庭のデッキに腰掛けて話すスタイル。なので、昨日は散らかり放題だった庭を三人で片付けた。
帰宅した子どもに、「先生、迷子にならないかなあ」というと、子どもが「だいじょうぶでしょ。せんせい、下見にくる、って言ってたから」という。
なんだと……?
どうやら、先生はとてもまじめな人のようで、生徒たちの家の場所を確認するため、週末に近くを訪ねてきたらしい。
散らかり放題の庭、すでに見られてるやないか。なんなら、みんなで一生懸命片付けているところまで見られてるやないか。恥ずかしいやないか。
先生は時間通りにきっちりやってきた。下見のことを訊くと「えっ!しいくんそのこと話したの…!」と恥ずかしそうな気まずそうな表情。(お互いさまか…)
デッキに座って10分ほど話して終了。漢字をがんばっていること、ひっ算も、むずかしいかな、と思って見ているけどテストではきちんと点がとれていることなど褒めてもらった。すごいじゃん、というと、隣で子どもがくねくねしていた。
以前、「先生は3つのことでしかおこらないから、ぼく、おこられたことないんだよ」と子どもが言っていた。
その3つとは何かと子どもにきくと、「お友だちがいやがること、いのちにかかわるあぶないこと、あと……」
と、もう一つを憶えていないようだったので(把握してないじゃないか)、先生に尋ねる。
「おなじことを繰り返すこと、ですね」と教えてくれた。
なるほどなあ、参考にさせていただきます…できないけど。というと、自分もなかなか、決めてはいても難しいです、と。先生、やっぱりいい人だ。
リビングの時計が壊れ、新しいものを探すけれどなかなか見つからない問題がようやく解決。数日後に届く。これで、子どもがアレクサに何度も何度も時間を確認する、というめんどくささから解放される。
「こわれた時計、すてないでよ」と、子どもがいった。(数ヶ月前にもこのやりとりをしている。二月ごろだったか)
わたしはすぐにモノを捨てたい方の人間なので「えー…」というと、「だって、この家に引っこしてきたときの記念にもらったもので、おばあちゃんに買ってもらったもので、思い出がつまってるものでしょ。思い出のアルバムだよ」と、すてきなことを言う。そして、よく憶えているなあ。
「かざっておこう」と言われ、壊れた時計を飾るとややこしいので、大切にしまっておこうね、と話した。(あんまり納得していない様子だった)
六月四日(火) 晴れ
朝は5時半に目が覚めたのでトレーニング。生理前でけだるいけれど、本格的に動けなくなる前に、とウォーキングにも出かけた。
ウォーキングのおともに「コテンラジオ」(ポッドキャスト)を聴いている。源氏物語の回、中村哲さんの回、おもしろかった。今日は鎌倉殿の回を聴いていたら、まず織田信長の回を聴いてほしい、という話が出たので、鎌倉殿のつづきをきく前に、信長の回を聴くことにする。
ウォーキングのペースと、早口で語られるコテンラジオは相性がいい。ランニングになるとまたちがうのかもしれない。「やなせたかし回」も好評なので、聴くのが楽しみだ。コテンラジオがおもしろくてウォーキングをがんばれている。
帰宅して、シャワー。その後、町の図書館へ徒歩でゆく。(今日の歩数は1万歩を超えていた)
今、神社についての原稿を書いている。
関連する本を四冊と、子ども用の本(メダカについて)を一冊借りて、昼食を買って帰宅。昼食後、本を一通り読み漁って情報をまとめていた。
何冊も読んでみると、共通している部分がある。これが肝なのだなとわかる。
今日は体操教室。学童に行っている子どもを迎えに行き、車にのせて教室へ向かう。
駐車場にとめた車内で着替えながら、子どもが「がんばったらアイス買っていい?」というので、いいよ、とこたえる。
先週、火曜日の体操教室がなかなかしんどいことになっている、と書いた。
今日は、見学する席をできるだけ彼らから遠い席にしてみた。
聴こえない。おじいさんの笑い声も、母たちのしゃべり声も。そして立ちはだかる父も前にいないから視界が開けている。勝った…(?)
いつまでもこの席が空いていますように。
子どもはまたアイス効果なのか、がんばっていた。苦手な側転も今日はいい感じであった。(一進一退なのだが)
最後にやっていたのは、助走をつけて逆立ちでマットに飛び込み、先生の補助を受けてくるりっと回るというもの。
みんな軽やかにやっているが、実際、逆立ちで飛び込むのはかなりの勇気がいることだろう。頭でごちゃごちゃ考えていたらきっとできない。飛び込んでいるだけで尊敬してしまう。
夕食をつくる気力がなく、教室終わりにコンビニでごはんを買う。冷凍ケースを見ていた子どもが、おいしそうなチョコミントアイスを見つけて、ぼくこれがいい、と言うので買った。「サクサクチョコクッキー入り」と書いてある。なんだそれ…すごくおいしそうじゃないか。(おいしかったらしい)
生理がはじまり、いつものすさまじい眠気がくる。子どもを寝かしつけして一緒に寝てしまい、そのまま朝まで目ざめなかった。顔も洗わないままで。
寝つきのいい子どもが時々、「おやすみ、っていって数分しかたってないのにめがさめたら朝だった」というようなことをいう。
大人になってからこれを経験するのは、すこし怖い。
(次回は 6月 20日木曜日 に更新予定です)
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