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3月20日水曜日〜3月26日火曜日の日記

三月二十日(水・祝) 晴れ・強風で寒い

まだ喉が痛いので、あたたかいものが食べられない。ここしばらく冷めたものばかり口にしていて、心から「おいしい」と思うものを食べていないことに気づいた。
あたたかさとおいしさって結びついている。おいしいものを食べられない生活には豊かさがあきらかに不足する。

室内にいると、外が天気よくあたたかそうに感じて、お昼は公園に食べに行きたいと二人にいうと、そうしよう、となった。また公園の近くのサンドイッチ屋さんでお昼を買えばいいね、と。けれど昼前に外に出てみたらめちゃくちゃ風が冷たくて、「外で食べたくない」「もう風邪をひくのは嫌」と一瞬で心が変わった。

子どもは楽しみにしてサッカーボールまで持参していたので、とはいえほんとうに寒いので、複雑そうな表情だったけれども、サンドイッチ屋さんでそれぞれに美味しそうなサンドイッチを選び、気分よく帰宅。(子どもはいちごサンド、わたしはフルーツサンドを買った)
フルーツサンドは、冷たくて美味しかった。喉痛の民にもやさしい食べものだ。

夕飯どき。子どもの希望で近所の回転寿司屋へ。徒歩で行く。相方と子どもは二人で走って先にいってしまった。わたしはゆっくりと行く。何が楽しいのか二人がはしゃいでいる様子を遠くに見て、「この二人がいなかったら、わたしはとっくにこの世にいなかったかもしれないな」とまじまじ考えてしまった。

恨みと愛情が、この世にわたしを引きとめる。それがなかったら、自分をここにつなぎとめるものは他になかったかもしれない。

わたしには、死んだ人の分も生きようなんていう気概はない。
ずっと、「なんでわたしじゃなかったのだろう」と思って生きてきた気がする。
こんなやる気のなさでもやれる限りがんばっている。ほんとうに、なんて自分はえらいんだという気持ちで日々生きている。
わたしだけでなく、この世に生きている人、だいたいみんな息をしているだけでえらい、という気持ちだ。


三月二十一日(木) 晴れ

起きた瞬間には喉が痛いのだが、唾を飲んでも水を飲んでももう痛くない。
明らかに体調がよくなっているのを感じる。
午前中はすこしぐったりしていたが、昼前に身支度を終えた時にわかった。
たぶん、明日完全に治る。そして土日でまた疲れてぐったりとするだろう。
それも含め、いつも通りに戻るのだ。うれしい。

今日の服。白い長袖Tシャツ、ミナのグレーのカーディガン。チノストレートパンツ。水色の靴下。

PCの前に座っているのも、難なくできるようになった。お待たせしていた作業を何件かやり、請求書と見積書などを送ったり事務作業をやる。原稿の作業はまだできないな、と思う。細部にこだわる気力は、まだ不足している。

今日はピアノ。先週はわたしの体調不良でお休みをして、その翌日から急激に悪化したのだった。来月で幼児クラスが終了するので、レッスンの進みが急ぎ足になっていて、一回休んだだけでかなり遅れをとっている。子どもは早起きをして、ピアノの練習をしていた。ピアノに向かう途中の車内で、レッスンの音源を聴きながら移動。

今日のレッスンではピアノを弾く時間が多く、集中力が要るので後半みんなぐったりしていた。最後に先生がリズム音楽にしてくれて、教室の空気が一気に楽しくなった
来年度からは、「弾く」ことが中心のレッスンになるのだろう。そして、親の付き添いはなくなる。付き添いがしんどいと何度も心の中で愚痴ってきた(子どものリズム遊びに付き合ってられないよ、という精神状態の時が何度もあった……)けれども、やっぱり寂しくなってきた。

帰りに、おやつや明日からのお弁当の材料など買って帰宅。子どもはグミばかり買っていた。

子ども、学校で描いた絵が区の何かしらに出展されたらしく、賞状をもらってきた。見せてもらうと、二つに折り曲げられていた。彼の中で「賞状は折り曲げない」というふうにはなっていないらしい。彼的には、書写展で表彰されたお友だちの賞状のほうが大きく立派に思えたらしく「ぼくかきかたをならいたい!」と言っている。気持ちはわかるが、体操教室も始まるのだし、ちょっとおちついてほしい。(と言いながら、近所で書き方教室はないかと調べてはみた。)

明日は修了式。お弁当生活が始まる。お弁当をつくるのは苦ではない。「おいしいのつめこんだるでぇ……」とほくそ笑みながら卵焼きを焼いたり、いろんな味のおにぎりをにぎったりする作業はとても楽しい。

子どもが、何をつめても「ふわぁ〜、おいししょ〜!」と喜んでいた幼児期を思い出すからかもしれない。


三月二十二日(金) 晴れ

休憩なしで身支度ができた。このところ、洗顔とスキンケアが終わったら疲れてしまって、一旦座って休憩を挟んでからでないと化粧できずにいた。(そのまま化粧せず、の日も)やはり体調が回復した。やっと通常営業にもどれる。

今日の服。オフホワイトのタートルネックニット、青いシャツ。黒いウールのパンツ。

気分を変え、午前中にスタバに行くことにする。手帳と、ポメラと、本を一冊持参。チャイティーラテを頼んだ。いつもの店長さんがいて、挨拶をする。

隣の席のおばさま二人がえんえん親戚らしき人の悪口を言っているのが気になった。入院着と思われる服を着たおばさまに、普通の服のおばさま(おそらく見舞客)がずっと愚痴っている。その話は、入院しているその人の健康を害するのでは……と心配になったが、入院着のおばさまもノリノリだったので、むしろ健康法なのかもしれないと思い直した。作業は一個も捗らなかった。

今日は、子どもが黄色い帽子とランドセルカバーで登下校する最後の日だ。
帰りに写真を撮ろう、と思い、カメラを持参して歩いてお迎えに行く。
途中で、夕飯の材料を買い物。(クリームシチューにするための鶏むね肉)

子どもと一緒に、ゆっくりゆっくり写真を撮りながら帰った。数日前から感じていたが、日が長くなった。夕方五時でも明るい。

帰宅して写真を見ていて気づいた。子どもは、踊るように歩いている。
バレリーナのようにくるくるまわったり、手をのばしたり、片足を浮かせたり飛び跳ねたり。一緒に歩いていて「酔っぱらいみたいだな」と思っていたけれど、写真の中の子どもはとても優雅だった。

通知表は「Aがふえたよ」とうれしそうだった子ども。わたしは、先生からの「明るく朗らかにお友達に接するしいくんは、友達に慕われていました。」というコメントがとてもうれしかった。先生、一年間ほんとうにありがとうございました。

いよいよ二年生になる。
なにがあってもあなたの味方でいる。かならずそばにいるよ。
夕日にやわらかく照らされた子どもの写真を眺めながら、そう思った。


三月二十三日(土) 雨

七時半ごろ目がさめて、朝食。昨日ののこりのシチュー。三人とも食べて、それで昨夜つくったぶんはきれいになくなった。

午前中、相方は美容室へ。
相方、このところずっと目の調子が悪く、昨日「みて」といわれて見てみたら左目が真っ赤に腫れていた。眼科に行くようすすめると、すぐに自転車で眼科へ行き、ちゃんと診てもらったのかと不安になるほどすぐに帰ってきて、それから目薬をしていたが、まださほどよくなっていない。

今日の服。セントジェームスの黒カットソー、白Tシャツ、チノワイドパンツ。

相方が帰宅してしばらく後、昼は「元気になったら行こう」と言っていた川の近くのお蕎麦屋さんへ。もりそばと、とり天と、おにぎりが定番セット。

子どもが「きつねうどんがたべたい」と言うので、そばを少なめにして、きつねうどんを注文。量が多かったらしく、食べるのに苦労していた。
おそば、とり天、おいしかった。

子どもは川に行きたがっていたのだが、雨がひどく、また川が氾濫して遊歩道がなくなっており(昨年の夏に大雨の時にはこうなっていたらしい)、歩けなかったため、ご機嫌ななめになっていた。川に行きたいのは、「(磁石で)砂鉄をあつめたい」という謎の目的があってのこと。なぜ砂鉄を集めたいのか、なぜ川なのか、謎。

帰りにJAの産直に行き、野菜やお肉など買って帰宅。

夜、明日の朝ごはん、子どものメロンパンしかないね、という話になった。
明朝はやく家を出て、数年ぶりのサイラーに行くことにする。


三月二十四日(日) 雨

エネルギーが満ちるのを感じる。エネルギーが満ちてくると、掃除や片付けの行き届いていないところがやけに目がつく。来週、天気のいい日を見つけたらまず水回りの掃除をしよう。

早起きをしてパン屋さんが開いたらすぐに行くんだ、と言っていた子は言葉どおり六時半に起きて(平日もこの勢いで起きてほしい)、早々に一階に降りた。しばらくして相方が二階にあがってきてシャワー。その間にわたしも身支度をする。

今日の服。ベージュのセーター、白いデニムパンツ。

サイラーは長丘にあるオーストリア菓子とパンのお店だ。創業者がオーストリア人のサイラーさんで、日本でサイラーを開いたのは4代目のアドルフ・サイラーさん。(現在は弟のルドルフさんに引き継がれているらしい)
パンとケーキがおいしくうつくしいだけでなく、店内のインテリアや音楽からヨーロッパの伝統的な雰囲気が感じられるのも素敵で、地元民にとても愛されている。

八時ごろお店に着くと、すでに何組かが店内で食事をしていた。それぞれに食べたいパンを選ぶ。子どもは甘いパンを二種類選んでいた。わたしはクロワッサンのサンドイッチ。相方はクロワッサンと、おかず系のパンを二種。パンの会計を済ませてから喫茶スペースに入り、コーヒーを注文する。(喫茶が混み合うので本来は席を確保してからパンを買うのが良いそう)

レジで「喫茶で食べます」と伝えていたパンは、リベイクされ、食べやすいサイズにカットされて出てきた。なんて親切なのだろう……優しさが沁みた。そしてリベイク具合が絶妙で、どれもこれも本当に美味しかった……

先週末は寝込んでいたわたしは、美味しいものを食べられる喜びを噛み締めていた。


三月二十五日(月) 雨

霧雨が降るなかを、子どもと相方が出発していった。今日から春休みの学童が始まる。お弁当生活も(金曜日から)始まった。子どもは、「明日はハンバーグがいい!」「明日はおにぎり弁当!」とかリクエストしてくる。
そんなことを言われたら、はりきって作るしかないのだ。

お弁当をつくるのは苦ではない、と数日前にも書いた。
幼稚園の時、毎週お弁当を作ったり、長期休みの間は毎朝お弁当を作ったりの生活にすっかり慣れてしまった。お弁当をつくらない人には大変そうに思われるかもしれないが(子どもが保育園に通っていた時、年1の遠足のお弁当ですらものすごい苦痛というかプレッシャーだった)、お弁当をつくっている人は皆「なんとかなるもんだよ」と思っているだろう。

今日の服。白いバンドカラーのシャツに桜色のカーディガン。ブルーデニム。

今朝、取材先の方からメールが届いていた。体調不良の期間を挟み、長引いてしまっていた記事がようやく校了した。すぐさま体裁を整え、担当の方にメールを送る。もうすぐ記事が公開される。とても良い取材ができて、とても良い記事になった。

「その場」を真剣に大切にする仕事をしていきたい。
その日の気候、そこにいてくれる方たちのスケジュール、体調、心の状態。(もちろん自分も)それらすべてが調和してその「場」ができあがる。
その偶然を純粋に楽しみたい。なんて有り難い仕事だろう。


三月二十六日(火) 雨・強風

すてきな人が岡山からやってくる。初めてお会いして、すこし福岡の街をアテンドすることになっている。

今日の服。黒いセントジェームスのカットソー(白Tシャツ)、ミックスブルーチェックのスカート。外は雨なので、長靴が履きやすいスカートにした。

駅に着いてみると、髪の毛は強風でボサボサに、服は雨でびしょびしょになっていて、持っていた手ぬぐいで雨を拭いた。手ぬぐいがしっとりとしてしまった。

博多駅に着き、新幹線の改札口へ向かう。
春休みだからか、親子連れで帰省する人たち、お迎えの人たちがたくさんいてやや混雑している。わたしは待ち人を見失わないか、緊張しながら改札奥のエスカレーターを凝視していた。
すると、ひときわ目をひく人があらわれて、一瞬でその人だとわかった。
岡山からやって来たのは、写真家のNさん。SNSや雑誌などでずっと見てきた、そのまんまのNさんだった。

すこしキョロキョロしているNさんにわーっと手を振りながら近づくと、Nさんもこちらに気づいてくれた。はじめまして、と軽く挨拶をして、バスに乗るために博多口へ移動する。Nさんは口元がきゅっと上がっていて、ぴかぴかしている。

バスの中でNさんは「荷物が多いの。なぜならば……」といい、今日会う人たちへのおみやげでいっぱいのエコバッグを見せてくれた。「荷物を軽くしたいから、ごめんね!」と、バッグを広げ、わたしの分のおみやげを次々に取り出すNさん。わたしはすでにNさんの新刊を予約していたのだけれど、気をつかってその本も持ってきてくれていた。

薬院駅に着き、そこから傘をさして移動。Nさんの希望で、平尾にある書店へ。書店スタッフのお二人とNさんは、Nさんの新しい本について話されていた。それを横で聞いていたら、さっき受け取った本を今すぐ読みたくてしかたなくなっていた。
この本がどんな本か、というのはNさんのSNSなどでもテキスト情報として見ていた。けれどこうやって作者本人が「どんな経緯でこの形の本ができた」と語ることにはやはり特別な力があるのだな。

書店と併設の雑貨店を見て、「大満喫!大満足!」と言っているNさんを連れてまたすこし歩き、アクセサリー作家の友人fさんのアトリエに向かう。fさんの車で、警固のヌワラエリヤへ。

着いてすぐ、イラストレーターの友人Mさんが合流した。Mさんも今日、岡山から博多に来ていて、タイミングが良いのでみんなでランチをしようということになっていたのだ。fさんとMさんとはそれぞれに自分と縁が深く、二人ともとても大切な友だち。その二人が、Nさんとの縁をつなげてくれた。特にfさんは「あやちゃんとNさんを会わせたい」とずっと言ってくれていて、念願叶ってうれしそうだった。

カレーを待つ間や食べている間にNさんの話をたくさん聞かせてもらったけれど、Nさんが話し始めるとなぜか「物語」が始まってしまうのが楽しくておもしろくて、つられて自分もだいぶ余計な話をしてしまった気がする。

ヌワラを出て、パッパライライへ移動。すんなり4名入れて幸運だった。
パッパライライを出て、わたしとfさんは解散。NさんとMさんは天神方面へ。笑いすぎて、頬が痛くなった日だった。

帰宅してからすぐにNさんの本を読み始めた。帯文に「どこまでも正直で透明。」とあるのだけれど、そういうことか、と思う。わたしが経験したことではないのに、Nさんが「痛い」というと、わたしまで痛くなる。言葉がまっすぐだからかもしれない。
「おかえり」という章を読んだとき、「ああ、この本はほんとうに良い本だ」と思った。この本はきっと、今現在、苦しんでいるだれかをたすけることができる。

今日、Nさんといる間、というか別れたあともずっと、今朝観た「北欧、暮らしの道具店」の動画『あさってのモノサシ』の中で、一田憲子さんがいった言葉が頭の中を巡っていた。

「何か大きなことをやることと、たった一人の人のために心を尽くすことは同じことなんだっていうことをすごく思ったんですね」


(次回は 4月10日水曜日 に更新予定です)



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