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息子のNICU入院を振り返る


正直、こんなに長くかかるとは思っていませんでした。


息子はずっと逆子だったため、予定帝王切開で産むことになりました。
わたしの母もそれに合わせてお仕事の休みを取得してくれて万全の体制で入院しました。

そして分娩台?手術台?に上がった数十分後、お腹から出てきた瞬間、おぎゃー、と泣いてくれたのです。
その泣き声を聞いたとき涙が出てきてしまいました。

エコーでは一向にお顔を見せてくれず、今わかっている病気以外に何かあったらどうしようとずっと不安だったのですが、とても可愛いお顔を見せてくれました。

そのとき羊水を飲んでしまったようで、「一旦NICUに行くね~」とのこと、ここからNICU生活が始まります。

最初は帝王切開によくあることらしい、羊水を飲んでしまっただけのはずだったのですが、なかなか呼吸が落ち着かず、大泣きしてしまったタイミングで羊水を飲んで傷がついた肺に穴が空いてしまいました。

そこに加えて、横隔膜が開きにくく、吸って~吐いて~が上手にできていないようで、持病の影響なのか週数38週で産まれたけれど、呼吸機能が未熟児に近いイメージだと把握しました。

数種類の呼吸器を使用してくれていたのですが、最終的には『挿管』されてしまい、小さな小さな身体に点滴やらなんやら管をいくつもいくつもつながれてしまいました。

呼吸器をつけていた頃はお顔とよく見えなかったのですが、挿管されてから皮肉にもお顔がよく見えるようになりました。

ですが、眠るお薬を入れてもらって、起きて泣いてしまうことがないように、また消化よりも呼吸に集中すべく、ミルクではなく点滴で栄養補給され、5日くらいずっとすやすや眠り続けていました。

その間スタッフさんにお手伝いいただいて、母乳が出るようになってきていたわたしは頑張って夜中に起きて搾乳しても飲んでもらえないことも悲しくて、泣いてしまうほど、想定していたものとはずっとずっと違う育児のスタートとなりました。


やっと管が外された日は、わたしだけが退院した日、その後でした。


眠くなるお薬と痛くないお薬も減らしてもらってむにゃむにゃ動く姿を見たときは「良かった」以外のなにものでもなかったです。

そこからは毎日1歩ずつ、ミルクをチューブから飲めるようになって、生後8日目やっと抱っこをさせてもらうことが出来ました。

同じNICUに居る子は早産、未熟児の子が多かった印象ですが割とみんな直ぐに抱っこはさせてもらえているようでした。

息子はNICUいちと言っても良いほど大きいのに、抱っこ出来る状況でないのが悲しくて、そこに追い打ちをかけるかのように、親戚からは「抱っこしたい。」「抱っこさせてね。」というメッセージをいただいて、『わたしですら、まだ抱っこ出来てないのに、、、』とここでも余計悲しくなってしまっていました。

生まれてから8日目で、やっと抱っこできた息子くんは重くて、尊くて、愛おしかったことを覚えています。


ここまで来れば退院までもう少し。
哺乳瓶からミルクが飲めるようになって、『もっとミルクちょうだーーーい!』と泣いた瞬間おめめが開きました!


点滴の管が外れて、沐浴ができるようになり、生後12日目にしてやっとおっぱいから授乳することができました。



ここからは妊娠中から疑いのあった[軟骨無形成症]についての検査が始まります。

遺伝子検査はこれからでしたが、所見で[軟骨無形成症]である、との事で承認されたばかりの注射治療をすることになりました。

注射の練習をしたり、MRIを取ったりで結局、退院出来たのは生後24日後でした。

お休みを取ってくれていた母の休暇中には結局退院できず、仕方がないことですが悪いことをしたな。と思いました。


そしてその間、NICUでは両手で足りるかな?くらいの赤ちゃんが入院しては退院していき、12を争う程の長期入院となっていました。

たくさんの看護師さんにお世話になり、わたしもスタッフさんたちの動きから育児のコツを盗ませていただきました。
皆さんのおかげで退院する頃にはミルクのタイミングもある程度ルーティンになっていたり、母乳でも哺乳瓶でも大丈夫なようになっていた点には感謝です。


そして生後24日目にしてやっと、家族3人の生活が始まることとなりました。

欲を言っても許されるなら、生まれてから1ヶ月しかない新生児の時期、もう少し一緒に居たかったかな。





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