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謐けさに響くおと

なんてしあわせ……。
わたしに世界を憂うことなど何ひとつない。こんな感じだから、恐怖がほとんど植え付けられるものだと知っている。人生は偽善が激しく隠された幻想であると、いったい誰が否定できるでしょう。

わたしは驚かない。迷いから覚めることを願う。多くの傷を癒やしたのだから死なない。
死が訪れるまでこのまま生きるつもり。

運命が道を示してくれるままに
わたしは自分の運命を決めます。

soy tan feliz


音楽が鳴っているのに、謐けさのほうが却って聴こえてくるようなことがあります。

今思い出せるのは、むかし根津にあったNOMADというカフェで流れていたBGMです。

音量を幽けきほどに小さくしていて、それゆえに店内での会話も自然と慎む心持ちになりました。

そのカフェでは音楽とは裏腹に、コーヒーを淹れたり、食器を重ねたり、わたしたちの身の回りから生まれる、ふだん気にも留めない環境音なんかがとてもはっきり聴こえてくるのです。

そしてその音が妙に心地よく感じられて、お店に行くたびに、静かであることがいかに日常生活のなかで得難いものかにはっとするのでした。

疲れたときにふらっとそのお店に立ち寄ってぼんやりしていると、なんだかいろんなものがふわっと抜けてからだがゆるまるのが分かる。

当時のお友達が、独りで行ってよく泣いていたといってた。

供されるドリンクも料理もとても丁寧につくっているのがよく伝わる、店主はお店の果たす役割をとても厳密に描いて、環境設定を繊細に守り抜いている、会話をせずとも鮮烈にそれが分かる。本当に控えめだけど存在感を放つお店でした。

ホセ・アントニオ・メンデスのSoy tan felizを聴いて、NOMADで流れていそうだなあって、ふと思い出したんです。

彼の飾る気がまるでない、こころに感じたことをただその通りの音にした素朴な声が空間を揺らすと、安らかで落ち着いた空気に謐りかえる。

この心地が、いったいどこから発せられるのだろうと辿ると、この曲に表現されるしあわせの源泉に行き当たる。

多くの傷を負うなかで、自分の外側の世界を観照することを覚え、癒す術を身につけ、そうして生き延びてきた先に得た安らかさこそが、その正体なのではないか。

それは彼にとっては運命が指し示す道をほのかに照らす灯でもあり、聴くものにとってはその道を歩むと決めた彼自身のうたごえでもある。

読んでくださって嬉しいです。 ありがとー❤️