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熱狂を映す鏡

狂おしいほど、自分を愛する。そんな気持ちでうたっている曲。

ラテンのスタンダードナンバーは、相手への崇拝に近いというか、そう感じさせるような重めの表現でうたわれていることが多くて、なかなかにリアリティを感じにくい。

そこを疑似体験的に演じるという方法も選べはするんだけど、自分が歌を通じて鍛錬してきたのは「自分であり続ける」ことなんだよね。

すなわち、何者かになる、ことから自由になること。

社会に出ると、外部からの要請でさまざまなペルソナを演じる必要が生じてくる。たとえばコールセンターなんかで受電の仕事をしている人は、ふだんとは違う丁寧な人格でお客さまと接する。付随して言葉遣いや声色も変化する。でもひとたびコールが切れると「わたくし」から「俺」とか「わたし」に戻る。

職務上の役割、上司や部下、先輩や後輩という立ち位置に応じて態度を決めて人と接する場合もあるだろうし、友達との間でキャラ被りしないように、個性を調整してるなんてこともあったりすると思う。

親子だってそう。その役割にふさわしい態度を社会的に身につけていく。こう書くと聞こえがいいけれど、まあ擬態だよね。

だって実際起こっているのは、自分の身体的な感覚に蓋をして抑えて、脳で知覚した概念を他者のために表現しているってことじゃないのかな。

そういう意味では、本来のその人自身とずれてどこかバーチャルな存在なのだけど、その代わりアイコニックで分かりやすく情報化されるから、社会的機能としてはスムーズに役割を果たしやすいということがあるのかも。

ただ、他者からの影響によって規定された「自己」って、果たして本当の自分なのか?そういうことを繰り返しているうちに「自分を感じる」ってこと自体なんだかよくわからなくなってきたりしやしないか。

「自分を感じる」っていうのは、すなわち体感覚だよ。なにを感じてる?って訊かれて「思うこと」を話す人、けっこう多い。思うと感じるは明確に違うの〜〜〜!

「自分であり続ける」とは、自分の気持ちやからだのコンディションをごまかさずに素直に感じるってことなのだと思う。

あ、そうだタイトルを「熱狂を映す鏡」ってつけたけど、自分の内にある情熱をうたを通じて観ることがある。なにかを媒体として自分に気づくということがあるよね。

熱狂や情熱というと、アドレナリン系の心拍数上昇傾向な状態をイメージしそうなものだけど、わたしが感じるのは静かにふつふつと湧いてくる質のもので気分の波がないし、ほんわかぽかぽかしている。

セロトニンとか、オキシトシンみたいなほう。ひととひとがハートウォーミングにつながっていくようなこと。でもイメージとは裏腹に、そこへ対する思いはとても深い。と感じる。誰かと比べてじゃなくて自分比で。

この曲も、そんなふうにうたえたらなーとも思う。

もしあなたのことを言い表すとしたら
どれほどか計り知れない

わたしの心の奥ふかくにある
あなたへの愛

狂おしいほどのこの愛は
わたしの魂を包み込む

これはわたしの心を焦がす情熱

あなたはいつもわたしの悲しみのなかにいてくれる
よろこびや苦しみのなかにもいる

なぜって人生のすべてがあなたのなかに
封じ込められているから

あなたがいなければ幸せじゃないわ

狂おしいほどの情熱
あなたとふたりきり

私はしあわせに満ちているの
だってあなたも私を愛しているから

(以下は2009年頃に書いた掌編。このテーマと被るな〜と思ったので置いておく。いろいろ未熟だが直さない。未熟な自分も愛おしいんだよ。ほんとにね。)

ここにいるあたしともう半分ちがう場所に預けてあるあたし。いつもそんな気分がまとわりついていた、理由なんかちっとも判んないけど、とにかく居場所はここじゃない、と思い続けていたのはたしか。ここじゃないけど、今はここ。

とりあえず、次の行き先が判るまではここにいる、そんなふうにやり過ごしていたかもしれない。どこに行けばもう半分の自分と巡り会えるのか見当もつかないし誰に訊いたってわかりゃしないんだから黙ってた。

でもね、あんたには教えてあげる。

なんでかっていわれても説明するのは難しいけど、さっきとてもいい声で電話に向かっておやすみなさい、と告げたのを見てなんだかそんな気になった、そういうことってあるでしょ。

おやすみなさいって誰かに云えるのは、いいよね。

よく昔、眠る前に用事もなく電話がかかってきた。たいていは男の子だったけど、後から思うとさ、おやすみをみんな云いたかったんだと思う。

なにか飲む? ミルクにはちみつ入れて。ひと肌くらいすこし温めて。ね。
そうだ、今夜はブギーバックってうた、あったな。ぼくをそっと、包むようなハーモニーって、そんなの。milk&honeyって歌詞出て来たよね、そうそう。

ほんとうにあんた、きれいな声で唄うわねえ。窓開けてもいい? 風が通ってとっても気持ちよいんだから。夜はね、ここを開けっ放しにしたままなの。
東京は星が見えないけどさ、月はちゃんと見える。

実家にいた頃からずっと夜、駅から月を見ながら帰ってたの。静かな気持ちになれるし、ほっとする気がする。

はいどうぞ、こぼさないでね。

今もそうだね、月を見て、あ、月とはちみつってどうしてハネムーンのことをいうんだろうね。英語だけじゃなくって、フランス語でもスペイン語でも同じなのよ。

話の続き? ああ、さっきの、そうね、とにかくあんまりにも所在なげなかんじがずっとあるので、いつでもきちんとその場に収まることができずに決まりが悪くて目立たないようにしてきた。

場違いな雰囲気を悟られたくないっていうのか…。次の場所に行くまでの辛抱と言い聞かせてたかな。でも果たしてそんな自分にぴったりの場所だったりそんなのあるのか、全然判んないよね。

ねえ、訊いてもいい? ある日男の子が、といっても友達なんだけど、夜泣きながら訪ねて来たの。恋人と上手くいかなくて、でもどうにもならなくて。

あんたならどうする?

人は誰でも自分の居場所を探してるのかもしれないってそのときあたし思ったの。もっとも無防備で安らかにいられるような。

好きな人の傍がそうだったらいちばん最高だけど、彼はそのときそうできなかった。私にはほんの少しだけど母性があったし、彼の中には小さな子どもがいた、それはとても大きな意味を持つって解った。

で、一晩中、子守唄をうたったわけなんだけど、そんなこと信じられる?
まあ、どっちでもいい、本当かどうかなんて人に話したところでなあんにも証明できないから。

いろんなカタチがあってよいと思う、男と女だけで括るにはね、人間はあまりにも複雑っていうのか、複雑なことを複雑なまま味わうことって大事だと思ってるし。あたしはね。

今夜はやたら饒舌かも。あんたのせいね、きっと。眠くなってきちゃったな。お願いがあるの。子守唄うたってくれる?どんなうたでもいいわ、眠るまでつきあって。

電気消して…月が明るい。

ありがとう、こんな夜があるっていいなあ、あの男の子はどんなふうに眠りについたんだっけ…。なんだか夜に溶けてしまいそう。ここが私の居場所だったのね。おやすみ、あたしの愛しいもうひとりのあたし。

(Delirioは自分の音源がないから、大好きなXimena Sariñanaのうたごえをどうぞ)


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