無限のオーア 5

 彼女が元いた世界では、生物の体内を巡るオーアは白かった。
 しかしこちらの世界では、なぜかそれが赤く見える。頭上を行き交う大蟻たちも、そして前方にいる何者かも、同じ赤色である。
 ところが、ミーナ自身の身体を見下ろすと、やはり白色のオーアをしている。
 一方で、ネウロイやデヴィリヨンの兵士たちは、赤色だった。
 もちろん純粋な赤一色ではない。あらゆる色が混在しているが、一番目立つ色が赤ということである。
 果たして、この色の違いは何に起因しているのだろうか。
 そして大地から湧き出しているオーアが色彩豊かなのはなぜか。
 ミーナには、解き明かさねばならない疑問が幾つもあった。

(あいつ、言葉は通じるの?)
(英語を話すとは思えないです)
(そうよね)

 これも解決しなければならない問題の一つだ。
 だから彼女はあえて正面から近付いた。
 不意を突いて殺してしまっても構わなかったのだが、相手の反応を見てみたかった。
 いつでも戦闘に入れる態勢は維持したまま。
 足音を立てて、相手の注意をこちらに向ける。
「お前は誰?」
 と、英語で誰何した。
 黒いフードを被った何者かは、間近で発せられた声にギョッとして腰を低く身構えた。
 男の口からこぼれたのは、これまで聞いたことのない言語であった。言葉は分からないが、ミーナを罵ったことだけは口調から理解できた。
「やっぱり通じない」
 では、こいつはもう用無しだ。
 ミーナは仕込み杖を回転させた。星明りを浴びて、先端の刃が鈍い光を放った。
 男もミーナを敵と認識したようだ。
 言葉が通じないのでは、和解などあり得ない。
 相手の正体が知れない以上、一息で殺してしまったほうがいい。どんな武器を隠し持っているかも定かではない。
 ミーナが距離を詰める。男は両手を前方に突き出した。彼は短い錫杖のようなものを握っている。
 抑揚の無い、呪文のような言葉が耳に入った。
 それは一瞬の出来事だった。
「えっ!?」
 周囲の地面から湧き出していたオーアが、ミーアの足元に集中したのである。
 なまじオーアの流れが見えるだけに、彼女はそれを目で追ってしまう。
 オーアは彼女の足の下で、真っ赤な輝きを放つ。
 直後、ミーナの全身は燃え盛る炎に包まれていた。

(火が!)
(痛いです! 痛い痛い痛い!)
(息が、できない!)

 猛烈な炎は、ゴシックロリータのドレスに燃え移った。化繊で出来た服が溶け始める。
 彼女の美しい乳白色の髪が、ちりぢりになってゆく。
 熱せられた空気が肺に入り込み、呼吸を困難にさせる。
 眼球が焼け、何も見えなくなった。全身の肌が焦げ、肉の焼ける臭いがする。
 焼かれている。わたし、焼かれている。
 痛い。激しい痛みが体じゅうを蝕んでゆく。
 大声で叫びたいのに、喉がただれて声を発することもできない。
 だが──。
 そのような瀕死の状態にありながらも、ミーナは倒れなかった。
 彼女の不死の肉体は、またしても死を拒絶したのだ。

 大地から湧き出す無限のオーアが、ミーナの体内に吸い込まれてゆく。
 爆炎が破壊した肉体の組織を、それを上回る速度で再生してゆく。
 全身の激しい痛みは、依然として続いていた。
 しかし、ミーナは意識を失っていなかった。
 先に勢いが衰えたのは炎のほうである。
 その熱エネルギーすらも、彼女はオーアと一緒に体内に吸収し、自らを再生するエネルギーに変換していたのだった。
 ややあって、ぼんやりと視力が戻って来た。
 炎の術を使った男はまだ、目の前に立っている。
 彼の目には、あの激しい炎に焼かれながらも倒れないミーナの異様な姿が、どう映っていたのだろうか。
 頭では理解できず、逃げることも忘れているようだ。
 男は追撃するべきだった。もう一度、あの不思議な術を使って、ミーナを完全に殺せないまでも、しばらく動けない状態にするべきだった。
 それをしなかったのが、この男の運の尽きであった。
 ヒュウウウウという、肺が空気を吸い込む音。
 ミーナの右手がひるがえる。
 彼女はありったけの力を込めて、ステッキを男に投擲した。
 ステッキは男の頭に命中する。先端の鋭い刃は頭蓋骨を貫通し、そのまま背後にあった樹の幹に突き刺さった。
 男は爪先立ちの姿勢で、樹木の墓標に縫い付けられたまま絶命した。
 男の被っていたフードが、そのはずみでめくれ上がる。
 人間のようで人間ではない。これまで出会ったことのない種類のヒューマノイドであった。頭部から流れ出した血は、ミルクのような白色をしていた。
「痛い。水……」
 ミーナはその場に膝を付いた。
 彼女を包んでいた炎は消えていたが、体のあちこちが燃えるように熱い。
「水。水を……」
 黒く炭化した指先で地面を引っかき、水を求めて喘いだ。
 その時、巨大な影が彼女の真横に降って来る。
 音もなく着地したのは、一匹のジャガー。ネウロイである。
 森の中から突然、立ち上った炎の柱を見て、様子を確かめにやって来たのだ。
 ネウロイは素裸のミーナを一瞥する。そして大きな口で彼女を咥えると、何を思ったか、沢の方角に向かって無造作に放り投げた。
「お前!」
 文句を言う暇もない。
 視界がぐるぐると回転する。
 こんな時でさえも、夜空に浮かぶ逆光の月は美しいと思った。
 一糸まとわぬ白い素肌を、生温い夜風が舐めてゆく。
 そしてボロ雑巾のように、ミーナは谷間を流れる沢水に頭から没した。

「どうやって、償わせてやろう」
 10分後、清流のなかにミーナは立ち上がった。
 肉体は完全に再生されている。焼け落ちたはずの髪の毛さえも、もとの長さに生え揃っていた。
 それにしても、驚異的な回復力である。
 身体の大部分が焼けて、普通であれば復活に丸一日は要していただろう。大地から湧き出すオーアをどん欲に吸収する自らの肉体が、ミーアには空恐ろしくさえあった。
「替えの服を持ってきましたよ」
 手にビニール袋を提げて、ネウロイがやって来る。
 自慢の髪はボサボサだが、彼自身も着替えを済ませていた。
「お前、殺されたい?」
 ミーナは怒りを滲ませた目つきで、彼に悪態をついた。
「勘弁して下さい。あの時は、あれが最善だと思ったんですよ」
 ネウロイは白々しく笑った。
 着替えを受け取ったミーナは、その場で堂々と服を身に着ける。遥かなる時を生きてきて、もはや己の存在に対する執着すら捨ててしまった彼女には、羞恥心などどこにもない。
 服は、以前のものとまったく同じゴシックロリータだった。
「杖は?」
「まだ、樹に刺さったままでしょ」
「取りに戻る」
 二人は連れ立って、沢を登ってゆく。
 男の死体は同じ場所に残っていた。手足をだらりと弛緩させ、両目は輝きを失い虚空を見据えていた。
 ミーナは男が持っていた錫杖を拾った。先端は精巧な木彫り細工だが、この錫杖からは特別な力は感じない。
「どう思う?」
「どうって、何がです?」
「これ。人間だと思う?」
「人型の生物ではありますよね。身に着けているものからしても、知能はそれなりにあると思います」
 ネウロイは指先で、白濁した血液を触ってみた。
 男の全身は真っ白だった。血の色が白いのだから、人間のように赤みがかった肌色にはならないのだろう。
 指の数は五本。目は二つ、鼻は一つ、口も一つ。ここまでは変わらない。
 決定的に違うのは、左右の頬骨の下あたりに、三つずつ穴のような感覚器官があることだ。これは何のための器官なのだろうか。考えられるのは、熱を感知するセンサー。その証拠に、彼は夜の闇の中でも明かりを持たずに行動していた。
「これが、この世界の一般人なのかしら」
「だとしたら、少し複雑です。美女に出会っても、恋愛感情が芽生えるかどうか」
「お前、人のこと言える? 同じ化け物じゃない」
「それはお互い様でしょう」
 意外と、本心でがっかりしているのかも知れなかった。
 男の死体はキャンプまで運ぶことにした。ステッキを引き抜き、ネウロイが遺体を肩に担ぎ上げる。
「蟻のほうはどう?」
「あらかた片付きましたよ。一部、逃げてしまいましたが」
 ネウロイが思い出したように言った。
「そういえばあのプレリ・プレリンという男、面白い特技を持ってますね」
「特技って?」
「あの男、吸盤人間なんですよ。ペタペタとどんなところにも肌が吸着する。足の裏だけで、木の枝から逆さにぶら下がってましたよ」
 なるほど、だから競泳パンツ一枚だったのか。
 キャンプまでの道のりには、大蟻の死骸がゴロゴロと転がっていた。
 それをデヴィリヨンのメンバーが、写真や映像に収めていた。こいつが蟻を操っていた親玉だと、ネウロイが男の死体を地面に下ろすと、彼らは気味悪いものを見る目つきで映像を撮り始めた。
 男が使った魔術のような力については、ミーナは誰にも喋らなかった。
 オーアが見えない彼らに説明が難しかったし、実際のところ、彼女自身もまだ不確かな部分が多い。
 あの魔術は、誰もが使えるものなのか。
 他にも色々な魔術が存在するのだろうか。
 とりあえずあの呪文を覚えることから始めなければならない。それには原住民との接触は避けられまい。できれば彼らが使用している書物が欲しい。必要とあらば、彼らが暮らしている集落を襲うことも考えなければならないだろう。
「わたし、明日の朝ここを発つわ」
 ミーナは唐突に告げた。
 ネウロイは少し驚いた表情をしたが、ミーナがそう言い出すことは、あらかじめ予期していたようである。
「ならば、お別れですね。物資の補給と通信手段が確立されるまでは、僕はキャンプに留まるつもりです」
「それが賢明ね」
「当てはあるんですか?」
「そんなもの、最初から無い」
 これまでの自分の人生、ずっとそうだった。これからだってそうだ。
 100年後、200年後、自分がどこで何をしているかなんて、分かるはずもない。
「あなたは殺しても死なない人ですから、心配はしませんけどね」
「それはどうも。もし、お前が死にたくなった時は一声掛けて。立派な剥製にして、わたしの家に飾ってあげるから」
 本気とも冗談ともつかぬ口調で、ミーナは言った。

                                                           2章へ続く

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