聖剣狩り(前編) 3

 16聖剣の一人ジェクサーティーは、全身くまなく湿った布を張り付けた、まるでミイラ男のような姿をしていた。剣王の亡き後、不老不死であった彼は急速に老化が進み、肌が土くれのようにひび割れて崩れ始めた。全身に張り付けた布切れは、その症状を一時的にでも食い止めるためであるという。
 しかし外見はどうあれ、さすが剣王の眷属である。
 肉体の内側に秘めたオーアの流れは、常人をはるかに超越していた。赤いオーアの輝きが、ミーナの目には眩しいくらいだ。
 そして彼の名前の元となった、聖剣ジェクサーティー。
 金糸の刺繍がついた藍色の鞘に収まっている。刃渡り80センチほどの、ブロードソードである。
 聖剣のほうからは、オーアの輝きは感じなかった。この剣は彼自身のオーアを引き出すための装置であり、他人が剣を使用したところで何の効果も発揮しないのである。
「お前も異邦人か」
 ジェクサーティーは、ミーナを一目見るなりそう言った。
「運の悪い時代に、運の悪い場所へとやって来たものだな」
 二人が面会を果たしたのは、無人の礼拝堂だった。
 まるでモスクのように、広い床に手織りの絨毯が敷いてあり、正面にはおそらく剣王オストボウを描いたと思しき肖像画が飾ってあった。
 この大陸を1000年の長きに渡って統治した彼は、民衆にとってみれば神そのもの。信仰の対象だったに違いない。
 ジェクサーティーは広い背中が印象的な男の肖像画の前にあぐらをかいて座り、透明な酒を飲んでいた。
「こっちへ来て、一杯どうだ」
「ええ、いただくわ」
 ミーナは彼の対面に座った。
 来客用というより、彼は剣王オストボウとサシで飲むつもりだったのだろう。二つあった片方のグラスに、ジェクサーティーが酒を注いでくれた。
「お前の知人は言葉が通じぬようだな」
「学習中なの」
「お前はかなり流暢にこちらの言葉を話す」
「そうね。いい教師に巡り合えた」
 酒の味はテキーラに似ていた。原料は分からないが、アルコール度数も高い。
 もっとも、ミーナの不死の身体は体内に入った毒素をまたたく間に中和してしまう。彼女は酒に酔えないのだ。
「もうすぐ戦争が始まるの?」
「蟲姫の軍隊が攻めてくる。一ヶ月、二ヶ月後ではないぞ。明日、明後日の話だ」
 もはや臨戦態勢と言ってよかった。
「その蟲姫というのは誰?」
「お前と同じ、異邦人よ。別世界からやって来た、昆虫だか人間だか分からぬ奇妙な連中だ。蟲姫軍の侵攻を受けて、我ら16聖剣もすでに半数まで数を減らした」
 この城塞都市が初めての衝突ではない。大陸各地ですでに戦端は開かれているのだ。
 そして現在、フェスベラルダ大陸で最も勢力を増大させているのが、蟲姫イェナルディーナの軍隊。
 直属の兵隊とは別に、大量の蟲たちも配下に従わせているらしい。
 大空を黒く染めるイナゴの群れを想像して、ミーナは嫌な気分になった。
 少なくとも、そこは自分が安住できる世界ではなさそうだ。
「どうなの? 次は蟲姫の時代がやって来ると思う?」
「そうとは限らん」
 ジェクサーティーは野心に満ちた瞳で、ミーナを見据えた。
「今現在も、大陸じゅうに空いた穴から、お前のような異邦人が続々とこの世界にやって来ている。その中に、どのような化物が潜んでいるか知れたものではない。蟲姫とて、うかうかしてられぬさ」
「あなたも、その顔を見ると、まだ諦めてないみたい」
「当然だ。我らの中から次の王が誕生すれば、時勢は逆転する」
「そういう可能性もあるの?」
「大地の意志が選びさえすれば」
 ミーナには分からない単語が再び飛び出した。
「大地の意志って?」
「俺もよくは知らぬ。大陸の王になる資格を得た者だけが、大地の意志による宣託を受けるのだという」
「つまり蟲姫はその宣託を受けたと」
「だろうな。でなければ、あれ程の大群を従える強大な魔力の説明がつかん」
「他には? 他に選ばれた人間はいないの?」
「どこかに存在はするだろうよ。剣王様が亡くなってから、まだ2年。混沌の時代が幕を開けるのは、むしろこれからだ」
 確か、混沌の隙間は数十年続くと言われている。
「それで、あなたの手勢は、蟲姫に勝てそうなの?」
 ミーナは三杯目の酒をあおった。
「準備は整えた。だが、勝敗はその時々の運も左右する」
「バラバラに戦うより、剣王軍を一つにまとめるべきではないの?」
「そういう考え方もある。実際、動き出している同輩もいる。女子供年寄りは、そっちへ送ったよ」
「あなたは、この町を離れられないわけね」
「剣王様から授かった領地だからな」
 ジェクサーティーは愉快そうにクックと笑った。
 酒に酔っているとはいえ、どこの誰とも知らぬ若い女相手に、剣王の礼拝堂で膝を突き合わせてこのような話をしている自分が、急におかしくなったのかも知れない。

(玉砕覚悟って感じですね)
(まあね。生き延びたところで、蟲姫の支配する世界に、彼らの居場所は無い)

 これは生存権を賭けた戦いなのである。
 平和主義者が掲げるような和解も降伏も共存もあり得ない。
 負ければ蟲の餌になるだけなのだ。

「ところで、なぜメイリーヤを殺した」
 ふと思い出したように、ジェクサーティーは問いかけた。
「それはこちらの台詞。なぜ、彼女を殺すよう命じたの?」
 ミーナは挑発的に瞳を細め、服のポケットから例の手紙を出して広げた。
「この手紙には魔術が使われていた」
「ほう、そうかね」
「推測だけど、手紙を読んだ者の行動を強制するような魔術でしょ。彼女はこの手紙を読んでしまったがために、嘘の情報を信じて町を出て行った。そしてあなたが用意した伏兵が、彼女を襲って殺した」
「ふむ。どうしてそう思う?」
「一般の兵士がこのような魔術を使えるとは思えない。彼女の恋人の、何て言ったかしら、一等守護戦士? も、事情は知らなかった。だとしたら、彼よりも上の立場の人間が絡んでいると考えるのが普通じゃない?」
「半分正解で、半分間違いだな」
 ジェクサーティーは空になった酒瓶を、面白くなさそうに見つめた。
「メイリーヤを町から追放したのは、俺の命令だ。だが、彼女を殺したのは、蟲姫の手勢の者だ。お前、あの背中の傷を見ただろう?」
「ええ」
「クロジューアという、毒蜂の姿をした厄介な敵がいる。奴らは腹の先端の毒針を使って人を襲うのだ。彼女は運が悪かった」
 町を出て街道を歩いていたところ、蟲姫軍の斥候と鉢合わせてしまったのか。
「なぜ彼女を一人きりで?」
「もちろん邪魔だったからだよ。メイリーヤとポナイズは戦争を放棄して、この町から逃げ出す計画を練っていたのだ。二人だけならまだしも、彼女は他の兵士たちにも話を持ちかけ、少なからず賛同する者が出始めた。蟲姫軍を迎え撃つ準備が整ったというのに、ここで大量の離脱者を出しては、兵士たちの士気に影響する」
「当然ね。指揮官の判断としては、間違っていない」
 ミーナが彼の立場でも、おそらく同じことをしたと思う。
 事実、愛する人を失ったポナイズは、やり場のない怒りを持て余している。彼の好戦的な言動が周囲の兵士にも波及すれば、結果論ではあるけれど、剣王軍の士気にとってはプラスに働いたことになる。

(どうせ負け戦なのですよね?)
(おそらくね)
(好きにさせてあげればいいのに)
(老人は諦めが悪いから)

 過去の成功体験が忘れられないのだ。
 ジェクサーティーが夢見るのは、新たな王の誕生。
 あわよくば彼自身が王になろうという欲望すら見え隠れしている。
 ミーナは継ぎ接ぎだらけの肌をしたこの老人を哀れに思った。
 1000年の長い時を生きてなお、権力への執着を捨て切れずにいる。
 剣王オストボウ軍の一翼として、ジェクサーティーはあまたの戦場を駆け抜け、数々の武勲をその手にしてきた。
 我々は圧倒的だったのだ。様々な異邦人たちと戦い、討ち果たしてきた。花姫トゥーミアーの眷属たちにも負けなかった。
 あれから1000年の時が経った。それでは問うが、あの頃と現在とでは、何が違うというのだ? 何も変わってはいないではないか。剣王軍を支えた16聖剣は、いまだ健在なのである。どこに負ける要素があるだろう。
 王がいないのであれば、新たな王を玉座に迎えればいい。
 それを決めるのは、1000年間フェスベラルダ大陸を統治した、我々であって然るべきではないのか。
 ジェクサーティーのそんな心の声を、ミーナは聞いた気がした。

「どうやら前夜の宴が始まったようだ。今夜は食糧庫を開放して、兵士たちに腹いっぱい食わせている」
 町の広場からは、大きな歓声が響いていた。
 ちょうど酒が尽きたところで、ミーナとジェクサーティーは連れ立って、礼拝堂の外にあるテラスに足を運んだ。
 教会の建物が丘の頂にあるため、このテラスからはセルギュネの町が一望できる。
 建物の屋根という屋根にかがり火が焚かれ、城塞都市はまるで昼間のような明るさであった。
 相手が昆虫の大群であるなら、炎や煙は大きな武器になる。決して炎を絶やすなと命令が敷かれているのだろう。
 中央広場には、人がごった返していた。
 魔術高射砲の周りが、特に騒がしい。祭りというよりも、まるで暴動のような熱狂ぶりである。
 そんななか、高射砲の門前に一本の柱が建てられた。何事かとミーナが遠視の呪文を行使したところ、その柱には一人の男が縛り付けられていた。
「ネウロイ!?」
 他とは着ている服が違うので、すぐに判った。
 あたかも処刑される罪人のごとく。いや、あれではまるで高射砲の標的である。
「お前が命じたの?」
「いやいや、俺は何も。奴らには、今夜は自由にやれとだけ言ってある」
 ジェクサーティーは人の悪い笑みを浮かべた。
「そういえば、オ・クックが魔術高射砲の試し撃ちをやりたいと言ってたな」
「早く止めさせなさい」
「無理だ。連中の顔を見てみろ。熱病に浮かされておる」
 男たちの轟音のような歓声。
 蟲姫の手下を捕えたぞ、メイリーヤの仇討ちだ、こいつを殺せ、高射砲の塵にしてやれ。
 先陣を切って煽っているのは、ポナイズ一等守護戦士だ。
 松明を右手に掲げ、狂ったように喚き散らしている。

(なぜ、ネウロイは抵抗しないの?)
(見て下さい。彼、眠らされてます)

 食べ物に薬を盛られたに違いない。
 ミーナはテラスの手擦りを強く掴んで、ジェクサーティーに告げた。
「ネウロイを助けに行く」
「止めておけ。あの人数を相手に、何ができる」
「お前の兵士をたくさん殺してしまうかも知れないけど、許してね」
「悪いことは言わん。巻き添えで酷い目に会いたくなければ……」
 ジェクサーティーは言葉を続けられなかった。
 真っ赤な瞳をしたミーナが、彼の喉元を掴み上げたのだ。剣王の眷属といえど、酒に酔っていては隙だらけだった。
「丁度いい。お前の力をもらうわ」
「うぐっ! ぐああっ!」
 体内のオーアが吸い取られていくのを、彼も感じているようだった。
 さすがに剣王の眷属だけのことはある。普通の人間ならば致死量のオーアを奪っても、後から後から溢れてくる。この無限とも言えるオーアが、聖剣ジェクサーティーの驚くべき能力を支えているのであろう。
 ミーナの体内に、純粋なオーアが飽和する。
「何者だ、お前は?」
「驚いた。まだ喋れるのね。わたしは、わたしよ。別に何者でもない。お前がさっき言ったじゃない、異邦人って」
「この化け物め」
「それもさっき聞いた。異世界からやって来る連中のなかに、化け物が混じっているかも知れないのでしょう?」
 ミーナはジェクサーティーを殺すつもりはなかった。
 ある程度満ち足りたところで、喉に掛けた左手を放してやった。
 彼は咳き込みながら、その場にうずくまった。これだけのオーアを一度に失えば、しばらくは立ち上がることも困難だろう。
「そうね。わたしが、その化け物かもね」
 ミーナは呪文を唱えながら、テラスの手擦りに足を掛けた。
 そして前方の建物の屋根に向かって、大きく跳躍した。

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