10
「なんか、気持ち悪い」
ベッドのなかで、ゆらは呟いた。
時刻は深夜3時を回ったところだ。隣では、じゅうぶん満足したのか、沙和が安らかな寝息を立てている。
もとより、魔女に禁忌など存在しない。ときには自分の肉体を使って、性的な儀式を執り行うこともある。そういった魔術の方法も、ゆらは英国で一通り学んでいた。もっとも知識として覚えているだけで、実践経験は一度もなかったわけだが。
「いやらしい」
ゆらは素裸のままベッドから抜け出した。汗ばんだ肌に、夜の冷えた空気がまとわりついて体温を奪ってゆく。
このままでは寒いので、ベッド脇に落ちていたバスローブを羽織った。
窓のカーテン越しに、ぼんやりとした月明かりが差し込んでいた。寮内は寝静まっていて、森からの風が古い建物をガタガタと揺らす音がやたらと大きく響く。
沙和が使用している316号室は、ゆらの部屋と構造は一緒だが、派手な内装に彩られていた。部屋全体に薄いピンクの壁紙が張られ、ベッドのシーツや枕は花柄模様で統一されている。
テーブルの花瓶には、水仙の花が活けてあった。勉強机の上に飾られた可愛らしいアンティークの小物類は、すべて彼女の趣味であるらしい。入口近くの壁際には、他の部屋では見かけない大きな鏡台が設えてあった。高級そうな化粧品や香水の瓶が、ひしめくように並んでいる。
部屋の装飾に関してどこまでが許容範囲なのか知らないが、さすがにこれは行き過ぎの感がある。ひょっとしたら、得意の幻覚によって寮長の目をうまく逸らしているのかも知れない。
「All right. 始めましょう」
しばらくの間、身動ぎせず精神を統一していたゆらが立ち上がった。
持参した手荷物のなかから、茶色表紙の魔術書と銀色の指輪を取り出した。本を小脇に抱え、左手の薬指に指輪をはめる。
戦闘準備完了である。
沙和が悪魔憑きであることは、もはや疑う余地はない。悪魔の正体も、およそ見当がついている。能力を発現させるほど力を蓄えており、もし抵抗されたら非常に危険な状況に陥る可能性がある。
それゆえ、邪魔者の介入を許さないシチュエーションが必要だったのだ。できる限りの不確定要素は排除する。とくに多希などは、直情的な性格で、何を仕出かすか読めないところがある。多希に手伝いを願い出るほどに、ゆらは彼女を信頼していなかった。
幸いにも、今回は沙和のほうから自室に招いてくれた。ルームメイトは事情を了解して別の寮生のところへ避難している。部屋には内側から鍵を掛けた。
条件は整った。
ゆらはベッドサイドに立てひざの構えを取ると、深呼吸を一つして心を落ち着けた。
ゆっくりと目を閉じ、魔術書に記された呪文を詠唱する。
「東の王アマイモン、西の王ガープ、南の王コルソン、北の王ジミマイ。72の悪魔を統括する精霊王よ……」
呪文を唱える声は次第に小さくなり、ゆらの意識は、やがて強烈な力に吸い込まれていった。
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