聖剣狩り(前編) 4

 魔術高射砲は、およそ30度の角度で砲身を上空に向けていた。
 導線を確認すると、台座から後方に導火線のようなものが伸びていて、それが広場の地下へと続いている。とすると、高射砲のエネルギーは地下から湧き出すオーアであろう。オーアを集めるための別の魔術装置が、地下に埋設されているのだ。

(あの導線を切断する)
(いいんですか? 戦争の切り札を奪ってしまって)
(わたしに戦争の勝敗は関係ない)

 彼らは自ら地雷を踏み抜き、自らの両脚を失うことになるのだ。
 その結果、この城塞都市が蟲に埋め尽くされようとも、胸が痛むことはない。わたしがこの場に居合わせたことを不幸だと思ってくれればいい。
 ミーナは中央広場を見下ろせる、三階建ての建物に立った。
 左手を上げ、火球の呪文を唱え始める。
「撃て! 撃て! 撃て! 撃て!」
 広場の熱狂ぶりは最高潮に達しようとしていた。
 兵士たちは拳を天に突き上げ、胴間声のコールを続けながら、同時に石畳を激しく踏み鳴らしていた。
 戦争が近付いているという高揚感にアルコールの熱が加わって、もはや制御できる状況ではなくなっていた。
 ジェクサーティーから吸収したオーアのおかけで、炎の球は急速に膨れ上がる。
 直径が3メートルを超えると、左手が火傷のようにジリジリと痛んだ。
 ミーナはさらにオーアを注ぎ込む。
 その頃になると、建物の屋根に浮かんだ巨大な炎に気が付く者も現れ始める。
「よう、あれは何だ?」
「敵襲か!?」
「違うって。誰かが景気づけに花火を打ち上げるつもりだろう」
「いいぞ! やれっ! やれっ!」
 ええ、やってあげる。
 炎の球は直径5メートルに達した。彼女が支え切れる限界の大きさであった。
 ミーナは魔術高射砲の導線目がけて、炎の球を放り投げた。
 ゴウッという熱風が巻き起こる。
 次の瞬間、中央広場は阿鼻叫喚の地獄へと変わった。
 炎の爆発に巻き込まれて、瞬時に消し炭と化した人間はまだしも幸運だっただろう。
 石畳に衝突した火球は、膨大な熱エネルギーを周囲へと拡散させた。
 そこはまさに荒れ狂う真っ赤な海だった。
 兵士たちは我先に逃げようとするものの、お互いに押し合いへし合い、ついには将棋倒しになって被害を拡大させてゆく。
 彼らの顔を、背中を、手足を、猛烈な炎が舐めてゆく。
 肉や髪の毛が焼ける臭い。断末魔の絶叫が響き渡る。
 酸素が吸い尽くされ、バタバタと意識を失う兵士たち。
 わずか一分足らずで、100名以上が命を落としていた。火傷による重症を負った者は、その数十倍に上っただろう。
 炎の爆発は、魔術高射砲の導線を焼き切ったが、頑丈な石の土台で支えられた本体は無事だった。一方でネウロイが縛られていた柱は、簡素な木組みで支えられていたため、バランスを失ってゆっくり傾き始めた。
「こっちに来なさい」
 ミーナは念動力の呪文を唱える。
 ラナイから貰った魔術書に記されていた、初歩的な呪文の一つである。
 彼女ほどのオーアがあれば、相当に重たい物でも手を触れずに動かすことができる。
 柱は不自然に方向を変え、三階建ての建物に寄り掛かった。
 ミーナは跳躍し、ネウロイを助けに向かった。やはり魔術書に記されていた、風刃の呪文を使って、彼を縛っていたロープを切断した。
 ネウロイが建物の屋根に落下する。その衝撃で、ようやく目を覚ましたようだ。
「あれ?」
 頭に手を当てて、キョロキョロと周りを見渡す。
「あれ、じゃない。お前、処刑されかけてたわよ」
 ミーナは呆れた口調で、事情を語って聞かせた。
 中央広場を取り巻いた炎は、兵隊たちの手によって鎮火しつつあった。
 だが、治療を要する者が大勢いて、なおも混乱は続いている。
「相変わらず、恐ろしいことしますね」
 ネウロイは広場の惨状を眺めて、ふうと息を吐いた。
 これから蟲姫軍との戦争が始まるというのに、剣王軍はいかほどの戦力を失ったのだろうか。最初から望みの薄かった勝利ではあるが、これで一縷の希望さえ絶たれてしまった感じである。
「また捕まらないうちに、僕たちも逃げましょうか」
「そうね。あの建物に、わたしたちの荷物がある」
 ミーナが通りの向こうを指差した時。
 彼女の視界に映り込む人影があった。
 三階の高さの壁をロープも使わずフリークライミングで上って、その人物は現れた。
 いや、人間の形を保ってはいたが、それはすでに人ではなかったのかも知れない。
「魔女め、ここにいたか」
 剣王軍一等守護戦士、ポナイズであった。

 ポナイズは腰の剣を抜き、四角い盾を構えた。魔術の盾には赤いオーアを打ち消す、青いオーアが込められていた。
「殺してやる。やはり、あの時、殺しておくべきだった」
 息も絶え絶えに、彼は呟いた。
 それもそのはずである。髪の毛はほとんど焼け落ち、顔の半分が火傷でただれている。右目は潰れ、視界がまともに確保できていない様子である。
 当然、全身が激痛に苛まれているに違いない。
 なぜ立っていられるのか不思議なくらいだった。彼の執念がそうさせているのだろうか。
「お前、死にかけよ」
 ミーナは言った。
「黙れ。メイリーヤの、みんなの、無念を、思い知れ」
 ポナイズは盾を構えたまま、突っ込んできた。
 大怪我を負っているにもかかわらず、彼の切っ先は鋭い。ミーナはそれを身体を反らしてかわしたが、ほんの紙一重で、首を跳ね飛ばされるところだった。
 とっさに風刃の呪文をぶつける。が、盾の効力によって打ち消されてしまう。
 こうなると、なかなか厄介だった。あの盾をかいくぐって相手にダメージを与える有効な武器を、ミーナは持っていない。
「うらあっ!」
 ポナイズの気合の叫びは、横合いからの一撃によって邪魔された。
 ネウロイが足の裏を見せて蹴りを入れたのだ。
「ミーナさん、ここは僕に任せてもらえますか?」
「好きになさい」
「では、遠慮なく」
 彼はスーツの上着を脱ぎ捨てる。
 そして器用にも、その両腕だけをジャガーの前足に変貌させたのである。
 この男とは昔からの知り合いだが、ミーナも初めて見る姿だった。
「お前、そんなこともできたのね」
「凄いでしょう? 僕も一応、進化しているのです」
「別に褒めてない。何だかかっこ悪いわ」
「今は省エネの時代なんですよ」
「こいつも化物かっ!」
 態勢を立て直したポナイズが剣を振り下ろす。
 ネウロイは左手の爪でそれを弾いた。続いてカウンター気味に、右手の爪を繰り出した。
 ポナイズは盾を構え、正面から攻撃を受ける。
 しかし次の瞬間、鈍い音と共に、盾が真横に吹き飛んだ。
「がふっ!」
 ポナイズの顔面が苦痛に歪む。驚いたことに、彼の左腕の骨は折れて、重量のある盾がブラブラとぶら下がっていた。
 相手が人間であれば、難なく受け切れただろう。
 が、ジャガーの破壊力は桁違いである。
 最強の獣であるジャガーにとっては、ワニやアナコンダさえもただの餌でしかない。クマさえも逃げ出すその強力な前足のパワーの前では、人間の腕などただの棒切れである。
 ジャガーを相手にする時は、間違っても接近してはいけなかった。
 至近距離で対峙した時点で、もはや決着は付いているのだ。
 自らの身に起きたあまりの出来事に、ポナイズの表情が恐怖で固まった。
 それが彼の最期となった。

 無残にも首の骨が折られたポナイズの死体が、足元に転がった。
 ネウロイは涼しい顔だ。
 両腕をもとの人間の姿に戻すと、スーツの上着を拾って肩に掛けた。
「結局、人の住む町に来てみたはいいものの、あまり収穫はありませんでしたね」
「そうでもない」
 ミーナは被りを振る。
 少なくともこの世界には、自分たちと同じ人間が暮らしている。
 そして彼らの文明の程度も見聞できた。
 仮に彼らが、1000年前の混沌の隙間に、ミーナたちが居た世界から、こちらの世界に移住したとしよう。こちらの世界の1000年は、向こうの世界ではおよそ600年ということになるから、15世紀頃になる。
 15世紀といえば、産業革命以前。
 彼らが現代のテクノロジーを有していないのも頷ける。
 こちらの世界には蒸気機関も、発電所も存在しない。電気や、化石燃料や、電波を使った道具が何一つ見当たらない。
 もっとも、化石燃料に関しては、大地から湧き出す魔力(オーア)がその代替物となっている。
 オーアを使いこなせれば、化石燃料が出来ることの大半は、こちらの世界でも可能なはずである。それこそ、ガソリン自動車ならぬ、魔力自動車だって開発できるはず。
 問題はそれを可能にする時間が圧倒的に足りないこと。
 次代の王が誕生し、ポータルが閉じるまでわずか数十年。たった数十年で、一体どれだけの技術をこちらの世界に運び込めるだろうか。
 しかも次代の王は、世界全体を思うままに作り変える。
 それまで大陸を支配していた文明は、ことごとく破壊される。
 1000年おきに繰り返し、何度も鎖国をしているようなものだ。
 もちろん多少の文化やテクノロジーは残ってゆくだろう。ラナイたちタムアム族が細々と、あの森の中で魔術人形を製作していたように。
「何を考えています?」
 城塞都市の景観を眺めるミーナに、ネウロイが問いかけた。
「もし、自由に世界を創造できるとしたら」
「はい?」
「お前がもし、世界を創造するとしたら、どんな世界を作ってみたい?」
 唐突な質問に、ネウロイは目を丸くする。
「そうですね。空中庭園とか、ハーレムとか、憧れちゃいますね」
「俗っぽい願望」
「いやあ、そんなこと考えたこともありませんから」
「でも、この世界ならそれができるかも知れない」
「そうなんですか?」
「戦乱を収め、大陸を平定する力があれば、だけどね」
「じゃあ僕には無理だ」
 ネウロイはあっさりと諦めた。
 果たして、わたしはどうだろうか? どんな世界が理想だろうか?
 今のわたしに何かやりたいことが残っているだろうか?
 答えはとても曖昧だった。
「わたしは、退屈しない世界がいい」
 ミーナはぽつりと呟く。
 そういった意味では、こちらの世界は今のところ非常に刺激的だった。次から次へと新しい発見があるし、魔術という新たな能力には無限の可能性を感じる。
「ミーナさん、僕はいったんキャンプに戻ろうと思うんですけど」
 ネウロイがそう提案した。
「情報を共有しておくのは大切でしょ? ミーナさんも一緒にどうですか?」
「そうね。それもいいかも」
 二人は没収された荷物を取り戻しに、検閲所の建物に向かった。

 二人は屋根から屋根へと跳躍した。
 中央広場からは400メートルほど離れている。ほとんどの兵士が広場のほうに出払っているため、誰にも見咎められなかった。
「夕方に確認しておいたの。ちょうどこの真下の部屋。入り口からは一階の右手奥にある物置みたいな場所」
「分かりました。僕が取って来ます」
「ステッキを忘れないで」
「了解です」
 ネウロイは三階の屋根から飛び降りると、狭い通路にある建物の出っ張りを伝って、軽々と地面に着地した。
 ミーナは屋根に腰を下ろし、新月が輝く夜空を見上げる。

(蟲姫の軍は、やっぱり空を飛んで来るのかしら)
(昆虫だらけの世界は理想的ではありません)
(ええ。わたしは蟲姫とは敵対すると思う)
(賛成です)

 かといって、剣王軍に味方するわけでもないのが少々複雑なところだ。今夜の噂が広まれば、彼女は剣王軍からも追われる立場になるに違いない。
 星の瞬く夜空に、何やら青白い光が飛び交い始めた。
 鳥でもない、ましてや昆虫でもない。
 一本一本が弧を描くような、規則的な動きをしている。
「あれは何?」
 青白い光は次第に数を増してゆく。こちらの世界に見られる自然現象の一つ?
 いいえ、と彼女は直感した。もしかしたら、あれは生き物ではないのかも知れない。
 ミーナの目には、それらが青白く光るブーメランのように見えた。

(ミーナ、逃げて!)
(分かってる!)

 危険を察したミーナが立ち上がった瞬間、青白い光が背後から飛来した。
 音も気配も感じなかった。
 右足に熱した鉄を押し付けられたような痛みが走る。
 驚いたことに、ミーナの膝から下が切断されて無くなっていた。
「何なの!?」
 身体のバランスを崩し、建物の屋根から落下した。
 受け身が取れず、背中から仰向けに地面に叩き付けられる。どこかの骨が折れる嫌な音がして、全身が動かなくなった。脊椎にダメージを負ったのかも知れない。
 夜空を舞っていた青白いブーメランが一斉に襲い掛かって来た。
 意識だけははっきりしていたミーナは、その幻想的な光景を目の当たりにして小さく囁いた。
「きれいね」
 無数の青白い光が、彼女の全身を串刺しにした。

 セスカはゆっくりと目を覚ました。
 傍らには、こちらを覗き込むネウロイの姿があった。
「あ、起きましたか。あれだけボロボロにやられても、一晩で回復してしまうのだから凄まじいですね」
「ここは、どこです?」
 セスカはキョロキョロと視線を動かして、戸惑いがちに尋ねた。
「まだ、セルギュネですよ。町外れの空いていた民家を借りてます。全身切り刻まれていたミーナさんをここまで運ぶのに苦労しましたよ。一体、何があったんですか?」
「よく、覚えてません」
 セスカは左の手のひらを握ったり開いたりした。
 この実体のある感覚は久しぶりだった。
 とても疲れているようだ。肉体の再生にたくさんのオーアを消費してしまったからだろう。早急にオーアを補給しなければ、まともに動けなくなってしまう。
 着ていたゴスロリ服も裂け目が目立っている。
 忌々しい。誰かを殺せばすっきりするでしょうか。
「ついに戦争が始まってしまいましたよ」
 ネウロイが言った。
 そういえば、建物の外がやけに騒がしい。人が走り回る音。剣戟の音。爆発音。
 時折、地面から振動が伝わってくる。
「僕たちはとっとと退散したほうが良さそうです」
「なぜです?」
 セスカは可愛らしく首を傾げた。
「殺し合いなんでしょう? だったら、一緒に楽しく遊べるじゃないですか」
「遊べるって、そんな……」
 途中まで言いかけて、ネウロイの表情が激変した。
 人が恐怖に青ざめる瞬間だった。瞳は大きく見開かれ、唇が細かく震える。額や首筋には脂汗が滲み出す。
 彼は気が付いたのだ。
 今、自分が会話を交わしているのが、ミーナではないことに。
 そして彼は完全に縮み上がった。最強を誇るジャガーの獣人が、恐怖のあまりおろおろとする様は、いかにも滑稽であった。
「どうかしましたか? ええと、ネウロイさん」
「あなた、もしかして、セスカ様ですか?」
「お久しぶりですね。前に会った時は……そうだ。ごめんなさいね、あなたのお友達たちを、大勢殺してしまって」
 ミーナが告げると、彼は毛を逆立てた猫のように飛び跳ねた。部屋の隅に身を寄せ、瞳には涙さえ浮かべて訴えかけた。
「お願いです、セスカ様。僕、まだこんなところで死にたくありません。どうか、どうか、命だけは助けて下さい」
 平身低頭。威厳も何もかなぐり捨てて、懇願する。
 ネウロイにとっては、酷いトラウマであった。魔女の首を狩ってやると勢い込んで彼女に挑みかかり、返り討ちに会った挙句、仲間の獣人を六人も失ったのである。
 そして彼自身も、半殺しにされた。
 80年前の、悪夢のような出来事だった。
「お腹が空いてます」
 セスカはゆらりと立ち上がった。絶対的強者の立場から、彼に申し渡した。
「ネウロイさんは、わたしの側に近付かないほうがいいですね。間違って、殺してしまうかも知れないから」
「は、はい。分かりました」
「わたしは少し遊んで来ます。ミーナを助けてくれて、どうもありがとうございます」
「と、当然のことをしたまでです。はい」
「うふふ。飽きたら、またミーナに戻りますから」
 セスカはステッキを手に取ると、散歩に出かけるような軽い足取りで、入り口の扉から外に出て行った。
 しかしそこは剣王軍と蟲姫軍、総勢3万の兵士たちが互いの命を奪い合う、戦闘の最前線なのだった。

                          (第四章へ続く)

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