聖剣狩り(前編) 1

 人が倒れていた。丸い草が転がる街道の、すぐ脇である。
 警戒するまでも無かった。その人物はピクリとも動かず、誰の目にも死んでいる事実は明らかであった。
「誰かが死んでますね」
「ええ」
 ミーナとネウロイは、足を止め、死体を検分することにした。
 死人とはいえ、この何もない朽ちた街道を半日以上歩いて、やっと巡り合ったこちらの世界の住人である。
 死んでから、さほど時間は経っていない。一日か、二日程度だろう。
 鎖を編んだ鎧を着て、長剣を携帯している。鎧の胸には、16本の剣を放射状に並べたデザインの紋章が飾ってあった。16本の剣が、剣王オストボウが16人の眷属に与えた聖剣を表しているとすれば、この戦士は剣王軍の一員ということになる。
 死体は長い髪の女性だった。
「物取りでは無さそうですね」
 ネウロイが言った。
 高価そうな意匠を凝らした剣や鎧が持ち去られていない。そして彼女の持ち物には、銀の貨幣が詰まった革ポーチがあった。
「これから町に行くのに、お金は必要よ」
「ネコババするんですか?」
「何か問題でも?」
 ミーナはジロリと睨み付ける。
「まあ、相手は死人ですからね。ここにお金だけ放置しても、誰も得しませんしね」
 ネウロイは言い訳をしつつ、革ポーチを自分の手荷物に加えた。
「これは、手紙ね」
 ミーナは彼女が紙片を握り締めているのに気が付いた。くしゃくしゃになった紙を開いてみると、その瞬間、黄色いオーアが香水の香りのように弾けた気がした。手紙にはフェスベラルダ語でこう書いてあった。
『親愛なるメイリーヤ。
 29日の夜、街道の祠で落ち合おう。ジェクサーティー様は優しいお方だ、きっと許してくれるさ。問題ない。君を愛している。   ポナイズ』
 祠というのがどこか分からないが、この街道沿いにあるのだろう。
「見たことのない文字ですね」
「そうね」
 ミーナは考えに耽り、ややあってネウロイに命令した。
「お前、この娘の服を脱がしなさい」
「ええ? 死体の服をですか?」
 露骨に嫌な顔をする。
「いいから、さっさと脱がす。女の服を脱がすの得意なんでしょ?」
「それは生きている女性に限るんですけど……はいはい、分かりましたよ」
 逆らえるネウロイではなかった。彼は鎧の構造に苦戦しながらも、彼女が着ていたものをすべて剥ぎ取ってゆく。
 全裸にしてみると、女の死因は明らかだった。背中に一突き、何かで刺されたような傷跡があった。そして傷跡の周囲の皮膚がただれ、黒い斑点が浮き出ていた。
「傷自体は浅い。ということは、毒ですかね」
 ネウロイの見立てに、ミーナも同意だった。
「それよりも、気付かない?」
「何がです?」
「この娘、人間よ。わたしたちそっくりな」
「あっ……」
 死体を見ても違和感が無かったのは、そのせいだ。
 髪と瞳の色はブラウン。肌は赤みがかっていて産毛が生えている。頭蓋、背骨、肋骨、骨盤、大腿骨、脛骨。骨格の作りも変わらない。もちろん手足、指の数も一緒である。体毛が生えている場所も同じ。そして傷口から見える血の色も赤。
 外見だけならば、紛れもない人間であった。
「どういうことでしょう?」
「考えられるのは、はるか昔にわたしたちの祖先がポータルを抜けて、こちらの世界に来て定住した。あるいはわたしたちとは別のパラレルワールドにも、わたしたちそっくりな人間が住む世界が存在する」
「僕は前者の可能性が高いと思いますね」
 ネウロイはそう言うと、街道の行く先に視線を送った。
 遠くで馬が走る音がする。それがだんだんと近付いてくる。
 土埃が舞い、血相を変えた男が一人、野性味あふれるずんぐりとした馬に騎乗して現れた。
 この死体の知り合いだろうか。同じ紋章の鎧を身に着けている。ただ一つ違うのは、男は背中に大きな盾を背負っていた。

「メイリーヤ! メイリーヤ!」
 男は馬から飛び降り、近くにいたネウロイを突き飛ばすと、女の死体を抱え込んだ。
 メイリーヤと呼ばれた女は、すでに冷たくなって動かない。
 男もそれは分かったはずだ。しかし諦め切れないのか、悲痛に暮れた表情で、何度も何度も女の身体を揺すり続けた。
「さあ、行きましょ。ネウロイ」
「いいんですか、このまま放っておいて」
「わたしたちには関係ないことだもの」
 ミーナは顎をしゃくって先を促した。実のところ、愛憎のもつれは苦手なのである。この男の様相からして、手紙に名前があったポナイズに違いない。
「ああっ! ああああ! なぜだ!? どうしてこんな……」
 ポナイズは拳で地面を殴り付ける。
 どうしても何も、お前が手紙で彼女を誘い出したのではないのか。
 彼女の手紙はミーナが所持したままだった。手紙からは微かに魔力が感じられ、少しだけ気になったのだ。
 なかなか現場を離れようとしないネウロイに、ミーナが苛立たしさを露にする。
 ポナイズのやり場のない怒りは、立ち去ろうとする彼らに矛先を定める。
「待てよ、そこの二人!」
 喉の血管が切れそうな、低い声を絞り出す。
「何か用?」
 ミーナが振り返り、フェスベラルダ語で応じた。やはり面倒なことになったではないか。
 ポナイズは殺気のこもった目で彼らを凝視した。
「正直に言え。お前らが彼女を、殺したのか?」
「ここを通り掛かっただけ。彼女はもう死んでいた」
「嘘を付くとためにならんぞ。お前ら、どこから来た? その妙な格好は何だ? お前、ひょっとして、蟲姫の手先か? そうなんだな?」
「わたしたちに、彼女を殺す理由がない」
「黙れ、怪しい奴らめ。おい、そこの地面に手を付け。抵抗するんじゃないぞ。抵抗すれば殺す。荷物を見せてみろ」
 ポナイズは腰の剣を抜いて立ち上がった。ミーナのフェスベラルダ語の発音で異国人だと確信を深めたのか、こちらの話を信じようとしない。
「驚いたな。ミーナさん、いつ言葉を覚えたんです?」
「お前とは頭の出来が違うのよ」
「まあ、そこは認めますけどね。あとで僕にも教えて下さいよ」
 事情が分かっていないネウロイは、呑気な口調で言った。
「彼、わたしたちが彼女を殺したんじゃないかって疑ってる」
「ええ? どうして?」
「そこに手を付いて、荷物を見せろって」
「それはマズいな」
 ネウロイの動揺が顔に出る。彼女の持ち金をネコババしたことを気にしているのだ。
 ポナイズはネウロイに詰め寄って、スーツの胸倉を掴んだ。
「勝手に喋るな。一体、どこの言葉だ? このクソどもめ。逃げ切れると思うなよ。一等守護戦士の権限において、お前らを連行する」
「おいおい、汚い手で触るなよ。服が汚れるだろう」
 ネウロイは男の手を邪険に振り払った。
「こいつ!」
 その態度を反抗的と解釈したようだ。ポナイズは剣の柄でネウロイのこめかみをいきなり殴り付けた。
 鈍い音がして、ネウロイが膝を付いた。
 頭から赤い血が頬を伝い落ちる。
「二度目の反抗は、命をもってあがなうことになる」
「少し横暴じゃないの?」
「お前も同罪だ。町まで連行する」
「死体はどうするの? このまま放っておく気?」
「痛えってつってんだろ!」
 一瞬の間隙だった。今度はネウロイの拳が彼の顎にヒットした。体格的にはポナイズのほうが一回り大きいにもかかわらず、さすが獣人のパンチである。ポナイズは仰向けに倒れ、口の中を切って血の混じった唾を吐いた。
「しかし、言葉が通じないと不便ですね」
 ネウロイが服の埃を払って立ち上がる。
「やってくれたな」
 ポナイズのほうも殺気を膨らませて立ち上がると、剣を構えて対峙した。
「二度目は死と言った」
「どうしましょうかね、ミーナさん」
 口調とは裏腹に、ネウロイもやる気満々のようだ。
「もう、どっちでもいいわ」
 ミーナは正直なところを伝えた。
「ネウロイ、聞きなさい。もしこの男に従うのならば、わたしたちは殺人の容疑者としてセルギュネの町に連行される。もしこの男を殺せば、ちょうど服と鎧が二着できるから、それを着て夜半に乗じて町に入ることができる。どちらにしても、目的は達せられる。だから、どっちでもいい。好きにしなさい」
「僕がやられてしまったら?」
「わたしがこの男を殺して、以下同文」
「なるほど。分かりましたよ」
 ネウロイは諦めたように笑って、両手を高く上げた。降参のポーズだ。
 彼らしい選択だと思った。しかし相手に伝わっているか分からなかったので、ミーナがフェスベラルダ語で口添えした。
「彼を説得したわ。大人しく従うそうよ」
「もう遅い。くそったれが」
「いいの? あなたたちが戦ってる間、わたしはあの女の顔を潰しちゃうけど。二度と見られないくらいに、めちゃめちゃに」
 ミーナの瞳が赤く光った。数の優位はこちらにあるのだと暗に仄めかす。
「そんなことをしてみろ。お前もこの場で叩き切る!」
 ポナイズはギリリと歯噛みをした。
「いいのね? 本気でやるわよ?」
 ミーナは語気を荒げた。彼女とて辛抱強い性格ではない。ここまで譲歩すること自体、彼女にしてみれば珍しいことなのである。
 町へ入る目的がなければ、とっくに殺している。
「そこまでだ!」
 仲裁の声は、ポナイズの右腕から聞こえた。
 彼が手首にはめた腕輪から、黄色いオーアが明滅している。
 これが、こちらの世界の通信手段であろう。黄色オーアは伝達をつかさどるという。思ったよりも、はっきりと会話が可能なようだ。
 声の主は、ポナイズを諫めるように告げた。
「ポナイズ一等守護戦士、冷静になりたまえ。その二人は、ジェクサーティー様が直接、尋問する。ポナイズ一等守護戦士、聞こえているか? 返事はどうした?」
「……了解、しました」
 彼は苦渋を滲ませながら、剣を鞘に収めた。
「そちらの二名、悪いが拘束させてもらう。まだ、殺害の容疑が晴れたわけではないのでね」
「だそうよ」
 ミーナはフェスベラルダ語を翻訳して、ネウロイに伝える。
「これで僕たちも囚人ですか」
 ネウロイはやれやれと肩をすくめた。
 城塞都市セルギュネまでは、そこから徒歩でおよそ一日の行程であった。

 城塞都市セルギュネ。
 剣王オストボウの16人の眷属たちは、大陸各地に16個の巨大な城塞都市を建築した。
 ここセルギュネもその一つで、町を統治するのは、ジェクサーティーという名の16聖剣の一人である。
 都市と同じ名前の丘の上に広がるのは、70万の人口を有する、古い石造りの街並み。
 山林から水路が引かれ、水汲み場、洗濯場、共同浴場などが町のあちこちに点在している。山林に近い町の北側は、広大な墓地が広がっている。
 町の中央は共同広場。マーケットの中心地だ。
 城塞都市と呼ばれるだけあって、町を囲む防壁はしっかりしている。
 現在、その広場の中央では、とある巨大な兵器が建造中であった。
 天に向かってそびえ立つそれは、ミーナの目には高射砲に見えた。
 それだけではない。
 町の人口が減っている。女子供の姿がまったく見当たらない。
 町を歩いているのは、鎧を身に着けた軍人ばかりのようだ。
「何だか物々しいですね」
「戦争でも始めるのかしらね」
 ギリシャの遺跡に似たファサードを抜けながら、ミーナはそんな感想を漏らした。

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