23

「まだるっこしいのは苦手なんだ」
 亜子がそう口火を切った。
 最初から敵愾心剥き出しである。怒髪天を突くといった状態に近い。
 一体、何が彼女を怒らせているのか、ゆらには分からなかった。心当たりは無くもないが、彼女が怒るのは筋違いな気がする。
「生徒会に目安箱があるのは知ってる? 匿名で生徒からの意見や要望を汲み上げているんだけど、そこに今日、一通の投稿があったのよ。あなたが他の生徒に呪いをかけてるって内容でね。沙和や満智がおかしくなったのは、その呪いのせいだとか。これってどう思う?」
 亜子の質問に、ゆらはしれっと言ってのけた。
「ええ、その通りですよ」
「認めちゃうわけ?」
「その投稿とやらを真に受けて、わざわざわたしを探していたのは、証拠なり確信があってのことですよね。八島先輩からも何か聞いてるんでしょう?」
「彼女は昨日のこと、何も覚えてないわ。可哀想に、自分の頭がどうかしちゃったんじゃないかって、酷く落ち込んで泣いてたわ」
 彼女はそう言うと、胸のポケットから緑色のヘアピンを取り出した。
「これ、あなたの?」
「そうです。どこで拾ったんですか?」
「満智の部屋に落ちてたそうよ。ねえ、昨日の夜、あなた彼女に何をしたの?」
 微かに身体を震わせながら、質問を重ねる。
「彼女には、とある魔術をかけました」
 ゆらは悪びれた風もなく、正直に答えた。一方で、多少がっかりもしていた。
 ──そっか、この人も一方的な被害者なのね。
 特に企みがあるでもなく、個人的な感情で動いている。悪魔に関する知識に乏しく、呪いと魔術の区別もついていない。前の二人と同じだ。
 ここまで派手に立ち回っているにもかかわらず、敵方からのリアクションが薄いのが、ゆらは不満だった。放置しても害は少ないと、自分は舐められているのだろうか。
 ──ならば、意地でも引っ張り出してやるわ。
 ゆらは目の前に立つ悪魔憑きの少女に、無慈悲な視線を送る。

「その魔術とやらのせいで、満智はあんな風になったの?」
 亜子が続けて疑問を投げかけた。
「Yes」
「ならば、沙和の記憶を奪ったのもあなた?」
「それも、Yesです」
「どうして、そんな悪辣な真似を」
 亜子は激昂した。右手のあたりの空気が、陽炎のように揺らめき始める。
「釈明するつもりはありません。すべて、わたしの都合です」
「彼女たちが、どんな辛い思いをしてるか、考えてみたことある?」
「もちろん、同情はしてます。不幸な運命を背負ってしまったものだと」
 まるで他人事の口ぶりが、亜子の怒りに拍車をかけた。彼女は半身の構えから足を少し開いて、腰の下あたりで左手の拳を軽く握る。
 ──あのポーズは?
 詳しくは知らないが、弓道で矢を射るときの動作の一つだった気がする。しかし肝心の弓と矢が無いのに、どうするつもりだろうか?
「彼女たちを、もとに戻して!」
 亜子が叫んだ。
「できない相談です。人間の身体はトカゲの尻尾みたいに簡単に再生しませんから」
 一度損失した手足が戻らないのと同様、損失した記憶も蘇ることはない。
「それを知ってて、彼女たちに手をかけたってわけ?」
「Yesです」
「もう、分かったわ。あなたが許されざる罪を犯したこと。何もできない二人に代わって、わたしが恨みを晴らしてあげる」
 亜子はゆらに狙いを定め、ゆっくりと弓を引いた。
 その瞬間、彼女の顔の横に突如として炎が燃え盛ったのである。
 まさに炎の矢という表現がぴったりの形状で、長さは1メートル弱、細い棒状の炎がぐるぐると螺旋の回転を描いている。

「その力……」
 悪魔の能力に違いなかった。しかも物理的作用を及ぼすほどに強力なものだ。
「ふん、驚いたかしら? 魔法を使えるのは、あなただけじゃないのよ?」
 亜子は嗜虐的な笑みを浮かべる。
 能力の発現と共に、すでに精神の侵食も始まっているようである。
「わたしを殺す気ですか?」
「それだけのことを、あなたはやってしまったのよ!」
 ボッと音を立てて、矢が放たれた。
 ゆらは咄嗟に木の陰に身を寄せて、盾にする。
 飛来した炎の矢は樹木の表面で弾け、盛大に火の粉が飛び散った。熱風がゆらの顔を掠めて吹き抜けてゆく。
 恐ろしい威力だった。直撃したら、ただでは済まない。
「次は外さないわよ」
 亜子は再び弓を引いた。第二矢が番えられる。
 ──炎の矢なんて使う悪魔いたかな?
 ゆらは樹木の陰から顔を半分覗かせて、お互いの距離を確かめる。目で見て避けられるというのは大袈裟だが、十分な間合いさえとっていれば早々当たるものではない。
 ──炎の矢……炎のつらら……マルコシアスか!
 記憶を探り当て、ゆらは得心がいったように頷いた。
 ペットが飼い主に似るとはよく言うけれど、悪魔と宿主にもそれは当てはまるのだろうか。曲がったことが嫌いな彼女の性格など、まさにマルコシアスそのものである。
「さあ、コソコソしてないで、出て来なさい!」
 亜子は遊歩道の真ん中に仁王立ちしたまま動かない。上半身の回転だけで、こちらに狙いを付けている。
 ──やっぱり、そうなんだ。
 強力な炎の矢といえど、それを扱うのは彼女である。その命中精度は、彼女の弓道の腕前に準拠する。
 勝機を見つけたゆらは、彼女に飛びかかるタイミングを計った。第二射を外し、第三射が準備されるまでの合間がチャンスである。
「出て来ないのなら、こっちから行くよ」
 亜子が動いた。弓を構えたまま、ジリジリとすり足で近付いてくる。
 ゆらはソロモンの小さな鍵を小脇に抱え、反撃の態勢をとった。

「養田さん、止めて! お願いだから話を聞いて!」
 ところが、緊迫した空気は思わぬ横槍によって破られる。
 小道を挟んだ反対側の茂みを掻き分けて、一つの人影が飛び出したのだ。
 それは、多希だった。
「shit!」
 ゆらは反射的に跳躍した。こういう狂いが生じるから、彼女には帰れと言ったのに。
 多希を邪魔者と勘違いした亜子は、その身を反転させ、彼女に向かって炎の矢を射かけた。炎の矢が直進する。矢の軌道に割り込むように、ゆらは自らの身体を盾として差し出した。
 間一髪のところで間に合った。
「ぐっ!」
 肩先に激しい痛みが駆け抜ける。ゆらの左半身が、真っ赤な炎に包まれた。
「ゆらっ!?」
 地面に尻餅をついた多希が悲鳴を発した。
 ゆらは地面を転がった。昨夜の雨で湿っていたこともあり、2,3度転がると、まとわりついた炎は鎮火した。だが、そのダメージは大きく、苦痛に顔を歪めたまま動けなくなってしまう。
「イヤッ! ゆら!」
 多希が金切り声を上げて、駆け寄った。
 全身泥まみれになったゆらが、四つん這いの姿勢のまま顔を上げる。
「大丈夫!? わたし、こんなつもりじゃ……」
「先輩はバカですね……。彼女は止まった的しか射たことがないんですから、早々当たるもんじゃないのに」
「ごめん! ごめん! 今、救急車呼んでくる!」
「その前に、まだやることが残ってます」
 喘ぐように呟くと、ゆらは亜子を睨みつけた。
 火だるまになったゆらの様子は、矢を射た本人にとっても衝撃だったらしい。小道の中央で棒立ちしたまま、亜子は呆然と虚空を見つめている。当惑と恐怖。悔恨と怯え。彼女の内側で今まさに何かが起こっている。
 悪魔を排除するとしたら、無防備な今しかなかった。
 ゆらは荒い息を吐きながら、ようやくのことで立ち上がった。その強靭な精神力は、踏まれても折れない雑草を思わせる。
「ゆら、もういいよ」
 多希の訴えを無視して、彼女は前進する。
 魔術書を右手で開きながら亜子の眼前に立つと、左手の指輪をページの上にかざした。
「先輩、後よろしくお願いします」
 呪文の詠唱が始まる。
 ゆらの意識が飛び、事切れたように膝から崩れ落ちた。


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