魔術人形コーネリア 3

 明け方、コーネリアは働き始める。
 何をやっているのか、ミーナは確認したことがない。この時間、一晩中本を読んでいる彼女は、ロッキングチェアに身を沈めたまま、まどろんでいることが多いからだ。
 屋敷の玄関の戸が開き、コーネリアは外に出てゆく。
 水を汲みに行くのかも知れない。
 作業小屋のすぐ横に、井戸があるのだ。その井戸は地中から湧き出すオーアの影響を受けてか、いつでも清潔な水をなみなみと湛えている。
 コーネリアは多分、その井戸水を台所の水がめまで運んでいる。
 もう何年も、誰に望まれているわけでもないのに、彼女は同じ時間に、同じ作業を続けている。ルーチンワークである。
 ところが、この日は少し様子が違った。
 屋敷を出て30分経っても、彼女は戻って来なかった。
 こんなことは今まで一度も無かったのに。

(聞こえませんか?)
(何が?)
(声です。コーネリアと、それから、男の声)

 脳が半分眠っていて、窓の外が騒がしいことに気付くのが遅れた。
 確かに声がしている。
「止めて、下さい」
「うーるせえ。何言ってっか、分かんねーんだよー。おらあーとっとと出て来いよおー。いーるんだろー?」
 男の声を、ミーナは知っていた。何しろ英語を喋っているのだ。
「あいつ、名前何だっけ?」
 ミーナは呟きながら、椅子から腰を上げる。
 思い出せない。が、容姿なら覚えている。
 元ボクシングの世界チャンピオンと言っていた。両腕が機械仕掛けの大男である。
 4ヵ月前に、勝手にキャンプから姿を消した。
 それ以後、姿を現さないから、とっくに死んだとばかり思っていた。しぶとく生きていたとは驚きである。
 寒いので肩にガウンを羽織り、ステッキを手にすると、ミーナは屋敷から外に出た。
 男の姿は探すまでもなかった。
 作業小屋の近くにある井戸の横。コーネリアを足で踏みつけて動けなくし、誰もいない小屋に向かって声を張り上げていた。
「なあー直してくれえよー。両手がよー、りょーうでがー、動がねーんだよー。なあー、そーこにいーるんだろー?」
「助けて下さい。助けて」
「なあー、しょくにんなんだろー? 直せるんだろー? なーおしてくんねーと、こいつぶっ壊しちまーうぞおー」
 男の様子は明らかに異常だった。左右の目が別々の方向を見ているし、ろれつが回っていない。そして、その原因と思えるものの存在も明らかだった。
「ねえお前、気が付いてる?」
 と、ミーナは背後から近付いてゆく。
「お前の首の後ろ、変な生き物がくっついてる」
「あーん?」
 男は右目だけを動かして、ミーナを見た。
 髪は半分以上抜け落ち、額には大きなコブができている。左側の頬の筋肉は弛緩して、だらしなく垂れていた。
 男の首に吸着しているのは、マーブル模様のボールに似た外見の生物だった。大きさはバレーボールほど。表面がヌメヌメしていて、非常に気持ち悪い。
 名前はキナピス。
 生物に寄生し、その生物の脳髄を少しずつ吸って食料にしている。森林に生息するヒルの一種だとミーナが知ったのは、だいぶ後になってからである。
「わたし思うんだけど、壊れてるのはその機械の腕じゃなくて、お前の脳みそじゃないの?」
「なーに言ってんだあー? わっかんねーよ」
 男は足を踏み鳴らして、ミーナを威嚇する。
 バキッという音が聞こえた。コーネリアの胴体からだった。
「ちょっと、その子を壊したら殺すわよ」
 ミーナは男を正面から睨み付ける。
「やるってのかあー? ああーん?」
「いいから、後ろを向きなさい。その腕、直してあげるから」
「ほーんとーかあー? お前が、しょくにんかあー?」
「ええ、そう。早く後ろを向きなさい」
「わかったあ。よーろしく、頼むぜえー」
 男は疑うことなく、こちらに背を向けた。
 ロボット工学の粋を集めた、機械仕掛けの両腕。この男のボクシング技術と合わされば、相当な戦闘力を叩き出せたはずだ。
 だが──。
「お前、もう終わってる」
 ミーナは躊躇しなかった。ステッキを振り被ると、それをマーブル模様の生物に思い切り突き刺した。
 ステッキの刃は、その生物を突き抜け、そのまま男の喉を貫通した。
「がっ……あが……!」
 血しぶきが噴き上がる。
 男は喉を掻きむしり、一瞬だけその瞳に理性の光を宿した。何かを喋ろうと口を開きかけるが、言葉にならず、その場に膝を付いて崩れ落ちた。
「思い出した。ビット・ゴンザレスだったわ」
 生前の彼を、ミーナはよく知らない。
 スタンドプレイが得意な、派手な選手だったのかも知れない。今回のミッションに参加したのは、金が目的か、あるいは名声が目的か。どちらにしても、もう少し慎重に行動する頭があれば、多少は長生きできただろうに。
 ミーナはステッキを引き抜いて一振りすると、瞳を見開いたまま事切れた男の瞼を閉じてやった。

「助かりました」
 コーネリアを立たせてやると、彼女はお礼を言った。胴体と右足のジョイント部分に大きなヒビが入っていた。
 現状、自立歩行は可能だが、いつ壊れてもおかしくない状態である。
「お礼はいい。それより」
 ミーナは腰に手を当てて、コーネリアを見据えた。
「そろそろ本当の名前を教えて。お前は何者?」
「質問の意味が分かりません」
「とぼけたら、容赦なく壊すから。わたしに駆け引きが通用すると思わないで」
 ミーナの瞳が赤く光る。コーネリアを動かすオーアの流れがはっきりと見えた。
 赤いオーアと、黄色いオーア。
 赤いオーアは彼女の全身をくまなく巡っているが、黄色のオーアは胴体の中心部に集中している。そこに、この人形を操作するからくりが眠っているらしい。
 しばしの沈黙の後、コーネリアは答えた。
「いつから気付いていましたか?」
「日記を見つけた時から。お前、ラナイでしょう? どこにいるの?」
「そうですか。バレていましたか。こちらです」
 隠しても無駄だと悟ったのだろう。
 彼女に案内されたのは、屋敷の東側だった。
 屋敷全体が蔦に飲み込まれたような有り様なので、今まで気付かなかったのだ。
 蔦の一部を除けると、地下室へと続く扉が現れた。
 扉の奥の階段は、ちょうどコーネリアの足の長さに合わせて設計されている。彼女は毎朝、ミーナに気付かれないように、この地下室に水や食べ物を運んでいたのであろう。
「お邪魔するわね」
 コーネリアに続いて、ミーナは階段を下りてゆく。
 ランプの明かりが灯る、狭い地下室に足を踏み入れる。
 そこにいたのは、痩せこけた一人の少女だった。
 肌が真っ白の、例の白い血液をした人種である。肌は白いのに、体内を流れるオーアは真っ黒だ。呼吸が浅く、半分目を閉じてベッドに横になっている。
 彼女の肉体を蝕む黒いオーア。病巣は全身に渡っており、手の施しようがない状態だと推察できた。
「お前がコーネリアを操っていたのね」
 つまり、あの魔術人形は自立した思考は持たず、魔術によって遠隔操作されていたわけである。ミーナが会話をしていたのは、コーネリアではなく、このベッドから動けない少女であった。
「その通りです。初めまして、ラナイと言います」
 彼女の声は、コーネリアの声にそっくりだった。

 近くの森と井戸から水と食料を採取できたとはいえ、よく一人で4ヵ月間も生き延びていたものだと思う。
 地下室にはベッドの他に粗末な書き物机があるだけ。
 地上へ出られる扉の他に、部屋の奥にもう一つ扉があるが、そこは排泄物やゴミを処理するためのトイレであった。
 書き物机には、父親の書斎から持ってきた本が山積みにされている。
 兄のメサフがいなくなって4ヵ月。
 果たしてラナイは今も兄の帰りを待っているのだろうか。
 しかしミーナは、残酷な事実を告げなければならなかった。
「最初に言っておく。お前の兄は、もう帰って来ない」
「死んだのですか?」
 表情一つ変えず、そう聞き返した。
「そう。わたしたちのキャンプを襲って、そして死んだの」
「そうですか」
 嘘は言っていない。ただ、彼女自身が命を奪ったことは黙っておいた。
「悲しまないのね」
「はい、むしろ胸のつかえが取れました。わたしが死んだら、兄は一人きりになってしまう。それだけが心残りだったので」
 この少女は、すでに自分の死を覚悟しているのだ。
「病気は悪いの?」
「もう長くはなさそうです。近頃は起き上がるのがやっとという感じで」
「そう」
 わたしなら、彼女を救える。その方法はある。
 ただ、そうすることがイコール彼女の幸せとは言えまい。
 ここで生き延びたとして、これから拡大するであろう戦乱の世を、混沌の隙間を、彼女一人でどうやって生きてゆくというのか。
 待っているのは、より悲惨な死かも知れないのだ。
 そしてラナイ自身も、すでに生きる気力を失っていた。
 この4ヵ月間は、それこそミーナが必要としたから、彼女は存命でいられたのかも知れない。勘違いなどではなく、コーネリアを通じてミーナと交わす短い会話だけが、この暗い部屋の中で、彼女を現世に留めておく細い糸だったに違いない。
「お前には酷だろうけど、もう少し死ぬのを待って欲しい」
 ミーナはベッドに寝たきりの、彼女の細い手を握った。
「どうしてです?」
「わたしに魔術を教えて。知ってる限りでいいから」
 すると、ラナイはこくりと頷いた。
 彼女は震える手を伸ばし、書き物机の上から一冊の本を手に取った。

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